>ユダは長子エルにタマルという名の妻を迎えた。(以上、38-6)
>ユダの長子エルはヤハウェの目に悪者と映った。ヤハウェは彼を死に至らせた。(以上、38-7)
>そこでユダはオナンに言った、「兄嫁のところに入り、彼女に義弟としての務めを果たしなさい。
>そして、お前の兄の子孫を起こしなさい」。(以上、38-8)
(※創世記38-6・38-7・38-8、旧約聖書翻訳委員会訳)
此の記述の背景には、いわゆるレヴィラート婚の制度があるとされる。
それはともかく、「ユダ」の子は「エル/オナン/シェラ」の三兄弟であり、
続いて、今日で言うところの「オナニー」(=自慰)の由来譚が展開される。
>オナンは子孫が自分のものにならないことを知って、
>兄嫁のところに入る度ごと、〔子種を〕地に流した。兄に子孫を与えないためであった。(以上、38-9)
>彼が行なったことはヤハウェの目に悪と映った。ヤハウェは彼をも死に至らせた。(以上、38-10)
(※創世記38-9・38-10、旧約聖書翻訳委員会訳)
* * *
この話は端的に言って、『アーリオーン・メッセージ』の以下の部分に、
大いに関係する。この部分は、「アマテラスの義弟たち」の初出箇所だ。
既に引用したこともあるが、あらためて、その前段部分から引用しておく。
> そこで、出雲族の族長であったフツは、息子スサノオ、スサノオの第五子であるトシ(後のニ
>ギハヤヒ)らを伴って、九州に住む日向族の制覇に乗り出した。出雲族の強大な勢いに恐れを
>なしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の
>回避をはかり、二部族間の同盟を申し出た。このスサノオとアマテラスとの婚姻によって、出雲
>族と日向族は結びつきを深め、当初の予定通り緊密な協力体制を培っていくことになる…はず
>であった。
> ところが、この婚姻に真っ向から反対する人物がいた。その人物は『アマテラスの義弟たち
>である』とアリオンは言う。その人物は、一人ではなく複数であるらしい。“彼ら”の名は、歴史の
>中には留められていないが、その強大な影響力は現代に生きる私たちにまで及んでいる、とい
>うのだから、これを「歴史の中の一エピソード」として聞き流すわけにはいかない。
(※『アーリオーン・メッセージ』31~32頁より、改行位置変更)
単純に考えようが、複雑に考えようが、「アマテラス」は女性なのだ。である以上、
その夫である者の実弟が、「アマテラスの義弟」に当てはまる。この点はよかろう。
しかし、「スサノオ」の実弟として描かれるような人物は、日本神話の中には居ない。
* * *
ところが、そもそも【ΣWΣNA】(山由理草、869)の本名は、【Z】(狭井、8)である。(※古事記・神武天皇条)
これは月宿の【畢】である。その梵名は「Rohini」だが、月宿の【心】の梵名の別名も、
やはり「Rohini」である。したがって、月宿の【心】は実は「スサノオ」と呼べるのである。
【心】=【Σ】=「四百」だから、【YHWDA】(ユダ、40)の長子の【OYR】(エル、400)は、
ゲマトリアにより、日本で言うところの「スサノオ」(須佐之男ないし素戔嗚)に全く重なる。
一方で…出自不明の【十MR】(タマル、850)は【ΣMΣ】(太陽、850)に一致する。
多くは【ΣMΣA】(太陽、852)に綴られるが、実は、その【ΣMΣA】(太陽、852)が、
まさに【NWHRA D・ΣMYA】(天照、852)に一致する。「エル」と「タマル」の婚姻は、
意表を突いて、「スサノオ」と「アマテラス」の婚姻に重なる。「タマル」の義弟「オナン」も
「エル」と「タマル」の間の子孫が残ることを拒否する。この内実としての自慰行為である。
#「オナン」(弟)と「タマル」が性交して子供を生んでも、それは、
#「エル」(兄)と「タマル」の子供ということになる…それがイヤで、
#精液を外に漏らし続けたという話だが、これを今に置き換えれば、
#自分の手柄が悉く死んだ兄の手柄になってしまうのはイヤ!!という
#心情である。これはまさしく、「アマテラスの義弟たちの我欲」だろう。
#それを、「我欲」と言ってしまうと、別の問題も生じるような気もするが、
#そのことは主題からは外れるので、また、機会があれば書いてみたい。