「須佐之男」はウケヒの後に、「我心」が「清明」であることを強調する。
【ΣWΣNA】(山由理草、869)は【十NWRA】(心前、869)に一致する。(※「心前」は「鳩尾」の意味)
一般には、此のあたりのチャクラを「アナハタ・チャクラ」(梵語)と呼ぶが、
当然、「アナハタ」という言葉は、イラン方面の「アナーヒター」と通じている。
>アナーヒターはアヴェスター語形で、パフラヴィー語ではアナーヒト(Anāhit)といい、
>いずれも「清浄」を意味する。他にもナーキッドという別名もある。
(※Wikipediaの「アナーヒター」の項より)
「心」が「清明」であることは、「心」が「アナーヒター」(清浄)であることを、
即ち、英語圏に言う「ハート・チャクラ」が「アナハタ・チャクラ」であることを、
言っているのである…それは、取りも直さず、古事記の「清明」という漢語に、
イラン方面の「アナーヒター」という言葉なども想定されていることを意味する。(※中期イラン語・ソグド語・ペルシャ語)
#というわけだから、「須佐之男」が「泣き」の神様であることも、
#イラン方面の「ナーキッド」という言葉との関係が問題になろう。
#英語の「naked」は「裸」の状態を言い、「naked heart」は「真心」。
#「泣き」が強調されるのも、或る意味では、【DMOA】(涙、137)が、
#すべてのものを洗い流すからだろう。月宿の【心】の梵名の別名が、
#「Rohini」である点に注意する必要がある。「Rohini」は月宿の【畢】だ。(※即ち「須佐之男」だ)
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話は変わって、いわゆる倭の五王の「讃・珍・済・興・武」は「翼・軫・角・亢・氐」。
「済」の字義は「清」に通じる。そもそも月宿の【角】(少女宮)は清らかなのである。(※「アナーヒター」の意を帯びる)
イエス・キリストを描く映画パッションで、【ANA HW】(それは私、77)という台詞を
イエスが言う場面が有る。「アナ・ホゥ」と聴こえる。傍通暦の【角】(7月7日)に繋がる。
「男淺津間若子宿祢」(允恭天皇)と「穴穂」(安康天皇)の関係は父子であり、もちろん、(※照応表を参照)
【角】(7月7日)と【ANA HW】(穴穂、77)の関係に比される。したがって、「穴穂」の語も、
「アナーヒター」との掛詞である。「ANA HW」はSemitic、「アナーヒター」はIranianである。
#ヤコブ派だと、「修道女の外套」を【ΣDYA】(修道女の外套、427)、
#または【GALAA】(修道女の外套、50)と言うが、ネストリウス派だと、
#【APY十A】(修道女の外套、614)と言う…【XMΣA】(五、461)に通じ、
#【AN十十A】(女、1064)にも通じる。アリオン預言の「青い外套の女」は、
#実際、「青い」かはともかく、【APY十A】(修道女の外套、614)を指し示し、
#【ANA】(己、64)は【心】(8月8日)を表し、「心月」(夏五月)を表す。然るに、
#【XMΣA】(五、461)という数字は【APY十A】(修道女の外套、614)に連結。
#イランの「アナーヒター」は【ANA APY十A】(私は外套の女、678)と読める。
#これも、今の日本に流布する言葉で言えば「アナハタ・チャクラ」を示すものだ。
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━━━━━━━[追記]━━━━━━━
「青い外套の女」が「涙」に関係していることは、いろいろな形で、
今日まで伝わっているようだ。「涙の聖母への信心」の頁を見ると、
「青い外套」を着ているのは、「天」の御国を思い起こさせる為という。
もともと【ΣDYA】(外套、427)は【ΣMYA】(天、472)に繋がっている。(※旧稿も参照)
たとえば「青い外套」の例は、フランスのモン・サン=ミッシェルの修道女。
「http://88.cameranokayano.com/?eid=810620」で綺麗な写真も見られる。(※但し写真は修道士)
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