どうして「鰆」を「佐和良」と訓むのか…此の問題は、以下に引用する
古事記の次の箇所に大きなヒントがある。要するに、此の「佐和良」は、
【SHRA】(月、378)の意味。こう理解するのが、最も整合的な捉え方だ。
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>次平群都久宿祢者、【平群臣・佐和良臣・馬御樴連等祖也。】
>次木角宿祢者、【木臣・角臣・坂本臣之祖。】
(※古事記・孝元天皇条より)
引用した二行目の「木角宿祢」の「宿祢」は、称号のようなものだから、
名前それ自体は「木角」である。姓か名か判然としないが、その後ろの、
「木臣」の「木」は姓であり、また、「角臣」の「角」も姓である。である以上、
「木角宿祢」の「木角」は、二つの姓を前後に並べた呼称、という話になる。
したがって…引用した一行目の「平群都久宿祢」の「平群/都久」が、
「平群臣」の「平群」と、「佐和良臣」の「佐和良」の並列であってもよい。
「都久」(月)を、実際に【SHRA】(月、378)と言うから、「都久」に対応し、
「佐和良(SHRA)臣」に作られるのである。その点は、認められるだろう…
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ところが、さらに、【AYK SHRA】(如月、430)は、「翼月」(春二月)であり、(※前項を参照)
「双魚宮」(いわゆる魚座)に当たる。仲春であるところの「翼月」(春二月)が、
【AYK SHRA】(如月、430)なのである。無論、「如月」の意味は「月」の如し。
「如月」の意味は【SHRA】(月、378)の如し。然らば、「鰆」という中国の漢字を、
【SHRA】(月、378)の如く訓む謂われが存在する。「鰆」は「如月」に他ならない。