教育の教は学力、育は課題解決能力などの多様な能力に当たると思うという前の記事からの続き になります。
育というのは育てようとすることではなく、人の中にある多様な能力が育つ環境を作ることだと私は思っています。
多様な能力は学力と違い、育てようと積極的に働きかけて育つものではないからです。
教の学力は教えれば育つ能力なのですが、育はその反対で教える以外の方法をとることで育つ能力だと私は考えています。
指導者が教えない方がいいのです。
自分の感覚で感じ、自分の頭で考えて答えを出していくことが大事だからです。
教えたり、答えを与えたりし過ぎると人は自分で答えを出さなくなります。
自分で答えを出さなくても、聞けば答えを教えてもらえる環境があるのですから、そうなるのは当然のことでしょう。
そうしたら、受身や指示待ちになってしまうのは仕方ないことだと思います。
創造的な能力の発揮は私が一番楽しみにしている部分でもあります。
ここにそれぞれの個性が現れるからです。
自分との向き合い方や、考え方とか感じ方のコツを教えてもらいたくなるでしょうが、そういう部分に創造的な能力が発揮されるので、私は教えたいと思わないのです。
10人いれば10人違った向き合い方、考え方、感じ方があっていい。
どんなふうに向き合うのか、どんなふうに考えていくのか、どんなふう感じて受けとるか工夫することはとても楽しいことです。
私はそうやって自由に向き合い、自由に考え、自由に感じたことを受けとってみて、自分を生きるとはこういうことだなぁと感動を覚えました。
自分だけの成長過程をみなさんにも存分に楽しんで欲しいなぁと思っています。
人間的な魅力というのは、自分を生きてみれば自ずと湧き出てくるものです。
自分を生きる過程で人は様々なことを知ります。
自分の至らなさに気づいたり、人のこころの痛みを知ったり、それまで気づかずにいた人の優しさ、人の愛に気づくこともあります。
そうすれば人や物事に感謝する気持ち自然と湧いてきます。自分と同じように人にも優しい気持ちで接しようという本来の愛が前面に出てくるようになるはずです。
自分のやりたいことを大切にして、これまでのように我慢せず表現するようになると、他人の価値観やあり方が、自分のそれと違ったとしても、受け入れられるようになってくるでしょう。
新しいものや多様なものは、受け入れる姿勢というのは、作ろうとするものではなく、自分を生きていれば自ずとそういう姿勢になっていくものなのです。
新しいものや多様なものを受け入れていくことは、特にこれからの時代は大切になります。
私は、昨年から教わった概念や手法を手放し、自分の人生を生きはじめました。
最近のブログでお伝えしているとおり、私は人とは大きく違う個性があります。
自分の個性を(少しずつですが)認めはじめると、他の人の個性や価値観、あり方というものがみえてくるようになりました。
自分が受け入れ難い価値観やあり方、自分の大切にしている価値観と対局にあるような価値観を持っている人に対しても、その人の立場からものをみてみるということができるようになりました。
そうしてみてはじめて、その行動の意味がわかるようになったり、その人の立場からみるとその考え方や行動は正しいのだなぁと理解できるようになりました。
そういったことを、これから多くの方が経験するようになるのではないかと感じています。
教えることをこれまでと同様に続けていく人も多いと思いますが、教える以外の方法で多様な能力が育つ環境を作ろうという、私のような考えの人もこれからは少しずつ増えてくると思うのです。
今後はそういう考えに興味のある人に向けて情報の発信をしていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
自分と繋がって、創造的に生きたい人を応援します!
今日も読んでいただき、ありがとうございました
※カウンセリングはしばらくの間、お休みいたします。