私はずっと自分の寂しさをなんとかしようと思いながら生きてきたのだなぁと自分の人生を振り返ってみてそう思います。
行動を起こすための動機がすべて自分の寂しさをだったのです。
自分の寂しさに何人の人を巻き込んできたことか。。
そうやって寂しさをなんとか人に埋めてもらおうと頑張ってきたんだなぁと、自分にお疲れさまと言ってあげたい気持ちです。
この寂しさは誰にも埋めてはもらえないのです。
先のことはわからないですが、多分自分にも埋め切れないものだと私は今の時点では感じています。
それでいいのだと思います。
人はいつまで経っても不完全な生き物だと思うからです。
その寂しさは自分がわかってあげればそれでいいものなのだと最近はすごくそう思います。
自分の中に寂しさがあることを誤魔化さないこと。
しっかり自分の中の寂しさを見て、その寂しさと一緒にいてあげることなんだろうなぁと思うのです。
人はこの寂しさと一緒にいることがツラくて苦しくて、そこから何とか目を反らせたくて、他人を巻き込んでまでなんとかしようともがいてしまうのかもしれません。
そうやって自分の寂しさを誤魔化そうとするから、人は幸せになれないのでしょう。
寂しさはなんとかしようとするものではなく、その寂しさと一緒にいるものなのではないでしょうか。
無意識ですが、寂しさをなんとかしようとして人は自ら不幸な生き方を選んでしまうのでしょう。
寂しいことはダメじゃない。
寂しさを悪者にしないで、寂しさと仲良くする。
寂しさがあったら幸せになれないというのは自分だけの思い込みなのです。
寂しさがあったら幸せになれないという思い込みを手放すかどうかはその人次第です。
私はこの歳になるまでずっと、自分に寂しい思いをさせた親のせいで自分が幸せになれないと思い込んで生きてきました。
人は責任逃れをする生き物
だから、それは仕方ないところもありますが、親のせいにしていることに気づいたらそれを手放すこともできるのです。
私は、自分を寂しくさせた親のせいで今でも寂しくて幸せになれないという思い込みを手放す選択をしました。
自分で自分を幸せにしたいから。
それが純粋に自分を愛することだと思っています。
自分の寂しさを理由に幸せになれないと決めている。
そこには大きなメリットがあるはずです。
そのメリットを手放すことで幸せへの一歩を踏み出せるのではないでしょうか。
この記事を読んでくださったあなたの幸せを願っています
今日も読んでいただき、ありがとうございました
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