自己紹介1 | 許可の向こう側の世界に行こう  自信がなくて生きづらい人のための優しいカウンセリング

許可の向こう側の世界に行こう  自信がなくて生きづらい人のための優しいカウンセリング

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モニタークライアントさんを募集させていただいても、カウンセラーがどんな人かわからなければ、申し込みし難いですよねあせる

遅くなりましたが、少しずつ私自身のことを書かせていただこうと思います。

私には3歳下に重度の知的障害(自閉症)を持った弟がいます。自閉症は言葉も話せなくて、他人と(家族とすら)コミュニケーションを取ることが難しいという障害です。

私が小さい頃から、家族は弟中心の生活を送ってきました。

弟が危険な行動をとらないか、他人に迷惑な行動を起こさないかと家の中にいても、外に出ても母はそのことを常に気にして、いつもピリピリと神経を張り詰めていました。

弟の育児について、母と父と意見が食い違うこともあったのでしょう。

それは、今考えれば当たり前のことですが、子供の私には両親が言い争いをしているように感じて、とても悲しかったのです。

『お母さんは一生懸命頑張っているのにお父さんにまで怒られて可哀想だ。

お母さんのこと助けてあげたい。

これ以上、お母さんが大変にならないように、良い子にしておこう。

お母さんの手伝いを頑張ろう。

Tちゃん(弟)は病気だから、私よりすごく大変なんだ。

私は病気じゃないし、お姉ちゃんだから、もっとしっかりしなくちゃいけないんだ。』

小さい頃にそんなことを決めました。

そして、勝手に作った役割を果たすために、自分の感情を抑えつけてまで頑張り続けました。

そんな生活を続けるうちに、いつの間にか『私さえ我慢すればすべては丸くおさまるんだ』と思い込んで生きるようになっていました。

母や弟の助けになることを優先するあまり、自分をどんどんすり減らし続けました。

そんな犠牲者的なあり方がいつまでも続くはずもなく、31歳の時にうつ病で倒れてしまいました。

私のうつ病は重症の部類で、お医者さんからも「一生治ることはないだろう」と言われていました。

精神科に通う期間が長くなるほど、症状を訴えるほど病名は増えたり、変わったりしました。

最初はうつ病、不安神経症だけだったのに、パニック障害、統合失調症、適応障害、人格障害といろいろな病名、障害名がついてしまいました。

倦怠感がとても強く、体力が著しく低下して、一時期は車椅子で介助してもらわなくては外出もできないほど弱ってしまいました。

4年間、お医者さんの指示通り何種類もの薬を飲んできましたが、自分に合う薬には巡り合わず「きっともう私の病気は治らないだろう」と絶望的な気持ちで毎日をただただ無気力に「一日も早く消えてなくなりたい」と思いながら過ごしていました。

そんな絶体絶命の状態から奇跡的に抜け出すことができたのです。

うつ病を発症してから5年半ほどで回復することができました。

長くなってきたので、その後のお話しはまた続けて書いていこうと思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございましたクローバー



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