キャプテン・アメリカが亡くなった。

また好きな俳優が亡くなった。

ピーター・フォンダ、安らかに。

 

 

映画が好きだという話は何度もしているが、

『イージー・ライダー』は映画図鑑みたいな本にはいつも出てきていた。

伝説の映画100選、というようなランキングには必ず入る映画。

いつか観たい、と思っていて初めて観たのは高校生の頃。

 

ロックにハマりだした自分とちょうどリンクしていて、

劇中に流れる曲を一つ一つチェックしたりした。

どうしてこんなに重くて救いのない映画なんだろう?と良くわからなかった。

その後、60年代という時代のことを色々と知っていくと、

映画のもっている重さや意思が少しずつわかるような気がしてきた。

 

雑誌か何かで「60年代を最初に否定したのはジョン・レノン」という

記事を読んだことがあったが、

『イージー・ライダー』もまさにそういう映画だったのだろうと思う。

60年代を否定した映画。

 

60年代。

音楽も映画もファッションも全てが花開いた時代。

ラブ&ピース。

そんな60年代の最後の年に公開された映画。

僕らはその時代がどんな時代か全くわからないけど、

華やかの時代の影で、その虚構や絶望を感じ取っていた人がいて

それを実際に作品にしていたというのはすごいことだと思う。

 

時代に乗るのも、時代に逆らうのもどちらでもいい。

どちらにしても、その時代の只中にありながら

客観的に見ている自分を感じているのかどうか。

でも時代に背を向けていたり、

流れから外れたところで拗ねて文句を言っていても意味がない。

ジョン・レノンにしても、ピーター・フォンダにしても、

デニス・ホッパーにしても、

自分たちが生きている時代が狂っていて、

かつ自分はその真っ只中にいることを

受け入れていたように見える。

当事者でありながら、醒めて眺めている。

 

ピーター・フォンダがどんな意思と意図をもって

その時代を生きていたのかはよくわからない。

俳優一家に生まれて、ドラッグにも浸り、

浮き沈みの激しいその人生は、ただ流れされるままの人生だったのかもしれないし。

でも僕は彼が好きだ。

時代に生き、時代とともに終わっていたようにも見える。

 

自由の国で、自分の自由に従って生きる。

華やかで自由な時代。その嘘と現実。

自分が翻弄された華やかな時代の現実を冷たく描いたのが

『イージー・ライダー』だった。

そこから彼の精一杯の反骨精神や叫びが聞こえる。

 

彼は器用な人ではなかったのだろう。

キャプテン・アメリカも演じているわけではなかったのかもしれない。

自分の心のありのままが映し出されたキャラクラーだったのだろうと思う。

それでは俳優としてキャリアを重ねていくのは難しかっただろうなと思う。

 

時代に生き、

時代の空気を全身で受け止めて、

時代の表舞台に立ちながら、

かつその時代を否定する。

それしかできなかったんだろうなと思う。

そんな彼の不器用さが僕は好きだった。

 

安らかに。

 

 

 

今日も読んで頂き、感謝です。

ユズル

 

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