コロナは国や社会の有り様、個人の仕事や生活、

生き方まで全ての事を容赦無く大きな渦に巻き込みながら広がっている。

生物としてのウイルスは、ただ自分の生存のために全てを賭けて拡散しているだけ。

それが僕ら人間の生活・生存と衝突している。

その衝突は僕らに数えきれないくらいの行動や意識の変革を要求してくる。

炙り出されるものもたくさんある。

それについて少しずつ考えていこうと思った。

 

僕らの生活がおびやかされている。

大きな衝撃を受けていて、大きく変化しようとしている。

個人では対応しきれないような事態に対応するのは政治の役目だ。

 

僕らの生活の根幹のルールは政治が担っているというのは

日常ではほとんど忘れられている。

むしろ忘れて生きていていられるのは社会が安定している証拠だ。

政治が日常的に問われなければならない社会は

とても不安定だということだ。

そして今、僕らの社会はそうなろうとしている。

それは避けて通れないことなのだろう。

 

個人的な話だが、僕は歴史が大好きだ。

歴史は僕という人間にとってものを考える一つの軸になっている。

哲学も、音楽も、文学も、アートも、

歴史の流れの中で捉えるのが楽しくて仕方ない。

実存主義がどうだとか文化大革命やらチェ・ゲバラやら五月革命が

60年代の音楽やアートとどう結びついたかとか

ゴダールとストーンズがどうだとかあれこれ考えるのはぞくぞくするほど楽しかった。

衒学的でしかなかった高校生の頃から、

そんな自分の考えを少しでも深めたいと思って生きてきた。

自分が今、どの程度の理解の深さなのかはわからないが

60年代やパンクに限らず、中世の頃から音楽やアートはその国の歴史や政治と結びついていると思っている。

政治だって歴史の一部であり特別なことではない。

政治について思うことは友人達と議論もする。

政治の話とかしたくない、という人とは話さない。

それだけ。それはその人の自由。

関心をもつのももたないのも自由だが、

政治の話題は腫れ物に触るようなもの、ではなく自然な話だと思っている。

 

政治的発言がこれだけ大騒ぎになる日本の幼稚さ。

反中反韓なら右翼だとか政府に文句を言えば左翼だとかあまりにも幼稚。

三島由紀夫を好きだと言えば右翼だと言われかねない。

マルクスを読んだら左翼だと言われかねない。

僕は三島由紀夫が大好きだし、マルクスは読破できていないが面白いと思う。

マルクスにしても長い哲学の歴史の一部にすぎない。

僕は日本の伝統が好きで、お寺も神社も大好きだ。

こんな僕は右なのか左なのか。

政府に疑問を述べるのが日本の伝統を破壊することなわけもないし。

 

僕は今の政府のやっていることには疑問がたくさんある。

彼らのいう道徳や愛国心という言葉を聞いても、

70年前か、多く見積もってもせいぜい130年くらいの前の話にしか聞こえない。

個人的な意見だが、政治家になるならせめて1000年くらいの視点をもっていてほしい。

本当は1000年でも全然足りないが。

今の政府が1000年単位でモノを考えて決定し国を導いていこうとしているとは

とても思えない。

1000年単位でモノを考え、日々の僕らの衣食住のルールを考える。

政治は大変な仕事なのだ。

 

政府の政策や実践に賛成しそれを支持する人もいるのだろう。

でも論理的にも科学的にも全然納得できないことがどんどん決まるのは単純におかしい。

その疑問を解消してくれるようなクリアな説明をしてくれればいいだけなのに。

国民がその行間を読まなければいけないような政府は説明能力がないのか、

そういう政策を作れないかのどちらか。

 

僕は政府の発言をいつも真剣に聞いている。

その上で「わからない。おかしい」と言うと

政府の意図はこういうことなのだ、とどこかで解説している政府ファンがいる。

だがそれは政府に対して失礼だ。

彼らは明確な説明をしているはずなのだ。

それが彼らの義務であり仕事だから。

それをしていないならサボりであるか無能であるかのどちらかだ。

政府が一生懸命考えて発した言葉を解説や翻訳をする必要はない。

 

自分たちで勉強して完全に理解してからじゃないと意見を言ってはいけないなどということもない。

繰り返すが、僕らが理解できるように説明しするのは

政治家・議員たちの義務であり責任だ。

彼らは哲学者でも宗教家でもない。

難しい言葉で僕らを思索させる必要はないのだ。

彼らは僕らと同じ俗世間に生きているただの人間であり、

僕らの生活の安全を保つよう仕事をするよう委託されているだけだ。

彼らは決断し行動しその結果の全責任を負うのだ。

だから僕らは税金を払って彼らがそれを給料とすることを認めている。

 

僕が政府に求めるのは

「それは僕らの生活がよくなるね!」と思える最善のルールを作り行動し、

それをわかりやすく論理的に説明すること。

国民から疑念を抱かれるのなら

「ああ、そういうことではなかったんだ」と僕らが頷ける説明をするべき。

そこにイデオロギーの問題など微塵もない。

別に政府が嫌いだから疑問を呈しているわけでもなく、

よその国に命令されて国を混乱させるために疑問を呈しているのでもない。

政府に疑問を挟むのは右だからだ左だからだ、とイデオロギーのせいにされても困る。陰謀論にされても困る。

もっとシンプルな話なのだ。

 

彼らが何を言っているのか、何をやっているのかわからないから

「どういうこと?」と聞いているだけなのだ。

それなのにその疑問には説明もなくコトが進められるので、

「いやいや、ちょっと待ってよ。どういうことなの?」と

何度もしつこく聞くことになる。

 

と、ここまで書いてきたが

僕はこうした自分の発言がたいした「政治的発言」であるとは思わない。

別に特定の支持政党を掲げて政治活動するような発言でもないし。

(そもそもそんなことはしたくもない。)

今書いているこの程度で「政治的発言」と言われてもな、と思う。

でも今たくさんの芸能人なんかが叩かれる「政治的発言」というのは

このくらいのレベルだろう。

叩かれるレベルの話ではないと個人的には思うが、

ここは言論の自由の国なので批判は構わないことだし、

ここは資本主義の国なのでスポンサーの意向に従って発言を制限されることもあるのだろう。現代の芸能人とはそういうものだし。

 

このレベルでも十分政治的発言だ、と言うのならそれでも良いのだが、

仮に政治的発言したことで社会的に抹殺されたり監視されたり投獄されるようなことがあるなら、それではすでに日本はどこかの歪んだ独裁国家たちと同じだということになる。

それは絶対に間違っている。

僕らの国はそうした独裁国家とは違うので、

僕らは自由に政府に疑問を提示できるし、

意見の対立する相手と監視や密告や投獄の心配もなく自由に議論することもできる。

好きなことが言える。

好きなことが言えないのは同調圧力だけで十分。

それで十分うんざりしているのに、そこに言論まで統制されたらもう悪夢でしかない。

それで一度滅んでいるではないか。

政府が疑問に答えなくなったり言論を統制してきた経験がある国なのだ。

この国は。

国による監視と統制の結果、国が滅ぶことも知っている国なのだ。

 

政治は大袈裟なことではない。

だがとても重要なことだ。

僕らの日々の生活のことだ。

僕らのお金と衣食住に関わることだ。

だから意見も言うし選挙にも行く。

 

コロナは、国や社会や個人の問題を一気にあぶり出す。

そして問答無用に変えていくように思えて仕方ない。

日本では政治をどれだけ自然なことにするか、

が今必要な課題なのかもしれない。

 

僕は生き残ることを大切にしながら

どんな変化が起きるのかこの目で見届けたい。

 

長くなってしまったので今日はこの辺りで。

また次回も色々考えたい。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

皆さん、どうか健康に気をつけてください。

新しい時に向かって行きましょう。