今日はとりとめのない話を。

 

 

日々生きている。

スッキリと晴れわたった気分で過ごせる日もあれば

どうしても納得いかなかったりモヤモヤしている中で悶々と過ごす日もある。

多くの場合、人が悩んだり苦しんだりするのは

そのモヤモヤ悶々の中にいるからだ。

モヤモヤ悶々の原因はみんな違うだろうが、

まるでそれが永遠かのように感じて、

悶え死にしそうになるような気分になる日もある。

悶え苦しむために生きているのか、と思うくらい。

みんな千差万別のモヤモヤ悶々を抱えている。

 

哲学者たちはそれを根本から考えて、

そもそも人間とは、という意見を僕らに説く。

僕らはそれを聞き、ああなるほど!と合点がいき

ちょっと楽になったりする。

だがその意見はその哲学者の人生から得られた意見なので、

それだけでは自分個人の問題が解決されるわけではない。

一人として同じ人生を生きている人はいないので、

結局自分の人生は自分が向き合うしかないのだ。

神様にすがり続ける人生を選んだとしても、

それは思考を停止して死ぬまでの間の人生の時間つぶしをしているだけになってしまうのではと思う。

そもそも神様もそんな風にすがりつかれることを望んではいないだろう。

 

手っ取り早くモヤモヤ悶々から逃れるには、思考停止すればいい。

それは麻酔みたいなものなので意外と安易にそれを選ぶ人も多い。

思考停止している間に時間は流れ年老いていつの間にか死の時を迎えるのは

考えようによっては幸せかもしれないし。

 

でも僕はやっぱりそれは嫌だな。

それよりは辛くても向き合う方がいいなと思う。

で、またモヤモヤ悶々の中に戻っていく。

これは生き方の選択の問題。

誰がどんな人生を選んでも僕の知ったことではないし、

僕の生き方のことを誰かに説明しても、知ったことではないと言われるだろう。

 

知ったことではないが敬意はもっている。

その人が自分の人生を選んで生きていることを

僕は絶対に肯定したいし尊重したい。

モヤモヤ悶々の道でも思考停止でもどちらでも。

その人の選択を僕は肯定し尊重する。

 

何の話なのだがよくわからないが

僕は何であれ人生を肯定し尊重したいと思っているわけだ。

自分のものも他人のものも。

どんなにずるい人やせこい人に出会っても、

そんな人さえ、肯定し尊重したいと思う。

共感しあえる人間とは切磋琢磨しながら共に進む。

考え方が違う人間とは、ただ自分とは違う、と言うだけだ。

お互いが全く違う人間だと肯定しあって進めばいい。

難しければ、妥協というスパイスを振りかけてみればいい。

 

自分の手で、足で、それぞれが愚直に生きていけばいいのではと思う。

 

 

今日も読んで頂き、感謝です。

ユズル

 

********************************************

THE MOLICEは、

2018年から活動の拠点を東京からアメリカに移し、

ツアーや音楽制作、アート創作を行なっています。

日々の活動の中で考えた事を、アメリカから発信しています。

 

THE MOLICEの音源は、

SpotifyBandcampを始め、

各ストリーミングサイトにてお聴きになれます。

ホームページは、こちらです。

(各SNSサイトへのリンクもあります。)

 

僕らの音楽に興味を持って頂けたら、

活動の励みになります!

どうぞよろしくお願いします!

 

********************************************