ソチ落ち10周年(このタイミングで) | 大好きな羽生結弦氏を絶賛するアップルのブログ

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世界の至宝である、プロフィギュアスケーターの羽生結弦選手を全力応援中!進化をやめない彼を心から尊敬しています!その底知れない魅力を、いろんな角度から見つめ、絶賛しまくってまいります!

いよいよ明日からRE_PRAY最終公演というタイミングにこんな記事はどうかと思うんですが、始まる前にどうしても書いておきたかったので、すみませんww

2月は思い出深い記念日が多いですよね。スーパースラムを達成した四大陸も2月でしたし、3度出場した五輪もすべて2月。現地に到着した日、初めて練習をした日、SPの日、FSの日。メダルセレモニーの日。帰国の日、記者会見の日…記念日は次から次へとやってきます。今日は平昌のバラ1の日ですよね?


後方の二人が可愛い😍


そして、ソチ落ちの我々はこのたび、10周年という節目を迎えました。今やすっかり重鎮?となった我々ソチ落ちですが、当時は「ソチニワカ」なんて言われて古参の方々に疎まれていたもんです。


まあ、ぶっちゃけ外見から入ってますしwwアイドル扱いが気に入らなかったのでしょうね。ルールも知らずに騒いでいた人もいたから、今となっては先輩方の気持ちも理解できます。


でも断言してもいいけど、今残ってるソチ落ちはかなり根性入ってるよ。あの後に続く激動の日々、「羽生くんかっこいい!」だけでは到底乗り越えられるもんじゃありませんから。


今日はそんな懐かしい日を振り返ってみたいと思います!



2014年。末っ子はまだ小学6年生でした。それがもうすぐ大学を卒業、社会人になります。そう考えると長いですよね。その間1日たりともゆづを思わなかった日はない。私はかなり飽きっぽい性格ですが、彼はとびきり刺激的で飽きさせない男なんです。

私が初めて羽生結弦という人の存在を知ったのは、ソチ五輪フィギュア団体戦の翌日。ZIPのMCだった枡アナウンサーが、ゆづの鮮烈な五輪デビューを笑顔で伝えていました。



小顔にスラリと長い手足、今どきの子だなあという印象。五輪の大舞台だというのに楽しそうに、自信満々に演じる姿はキラキラして、私は衝撃を受けたのです。

私は長いこと、この時に彼に落ちたと思い込んでいました。しかし私はこの青年がメダルを取るかどうかには関心がなかったんですよね。だから個人戦をいつやったのかも知らないし、史上初の100点越えの瞬間も見ていません。



そもそも、フィギュアスケートに関心がなさすぎて、SPと FSがあることも知らなかったんですから!

 FSは、日本時間の夜中にやったんですよね。夫が一人で見ていたようで「羽生、転んじゃったよ」と言い、「あら可哀想に」と会話した覚えがあります。そして翌朝「羽生、金メダルだよ」と夫。「えっ、そうなんだ。すごいじゃん。よかったね」と私。これは大方の日本人としての感想です。



そして、運命の会見です。「あの子はどんなに喜んでいるだろう」という気持ちで見たのだと思います。

しかしその場に現れた彼は、金メダルを取ったとは思えない、思い詰めた表情をしていたのです。私は驚き、彼から目を離すことができませんでした。



僕一人が頑張っても、復興のためになるわけではない。
何もできていない。無力感を感じる。

彼はそう言ったんです。ものすごいショックでしたね。
無力感…無力感だって?アスリートの最高峰、五輪の金メダルを手にしたのに。
この子は若いのに、なんて大きなものを背負っているんだろう。

しかし会見の後半には笑顔を見せ、

ここからがスタート。金メダリストになったからこそ、やれることがある。

と、前向きな言葉を発したので私は心底ホッとしました。

思えばこの時、彼に落ちたんですよ私は。もっと彼の言葉が聞きたくて、各局のインタビューを見まくったんですから。

仮設住宅に住む高齢のご婦人が涙ぐみながら彼の偉業を喜んでいる様子が映されると、これ以上ないくらい優しい眼差しで頷いていました。



被災地の方々が集まって声援を送り、歓喜の涙を流す様子が映されると、丁寧に頭を下げて感謝する、その姿に育ちの良さと誠実な人柄が現れていました。



そして特に印象深かった上田インタ。

はやく4Sの練習をしたい!
フリーの演技を母と見て、反省会をした。

そんな話をして、上田氏を唸らせる。


「パトリックのミスは願わないの?」と聞かれると笑顔を見せ、

彼の最高の演技が見たいから応援していました。

それが自分のためになると思ったので。


わずか19歳の若さでそうきっぱりと答えた人間性の素晴らしさに感動しました。


五輪メダリストは、帰国してしばらくはテレビに引っ張りだこになるのが通例です。私も彼がいろんな番組に出るだろうと期待していました。


ところが、そうした番組には目もくれず、最低限のインタビューと故郷への挨拶を済ませるとわずか2日でカナダに帰ってしまったんですよね。


こういうところがまたいいじゃないですか。


この時のインタビューではすでに、

ジャンプが演技の一部となる、流れのあるスケートが僕の理想

なんて言ってました。本当にブレないよね。


とにかく私は彼の発する言葉に魅了されました。頭の回転が早く、言葉選びが的確。

また、立ち居振る舞いが美しく礼儀正しいところね。


そして心を掴まれた私は文字通り寝食を忘れて彼の情報を集め演技を見まくりましたね。


大好きで見ていた動画です。



初めての五輪出場を目指して爆走する彼が眩しいです。


毎日こんな動画を見ながら過ごし、彼がワールドに出場するため3月に帰国するころには、すでに完全に沼の底にいました。


フリーの冒頭、因縁の4Sを鮮やかに決めた時には涙が出ましたね。


あの時はフリーの後半は苦しそうに顎が上がり息も絶え絶えで、終わると倒れ込んでいたなあ。


それが今やデカい会場に人を集め、配信を含め数万人が見つめる中、10曲以上をたった一人で滑り切るんですから、すごいよねえ…信じられない。


ゆづ、いい男になったよねえ。


少年から大人の男に成長する過程を見つめ続けた10年。本当にいろいろなことがありました。


拳を天に突き上げ歓喜の雄叫びをあげた平昌五輪。この日のために応援してきたんだもの。嬉しかったなあ。

何度も訪れる試練。大怪我もあったし病気もあった。快癒を一心に祈ったものだ。


人に誇れるような人生を送ってきたわけじゃない私だけど、ゆづに落ちたことは褒めたいと思う。


競技から離れた今でも並々ならぬ努力を続け、見るたびに進化するゆづ。

一流の方々と繋がることで今まで隠れていた才能が溢れ出し、フィギュアスケートの枠を超え、素晴らしい芸術作品を生み出している。それを楽しみにし、見ることのできる幸せに浸りたい。


さて、RE_PRAY横浜が始まります!

ゆづ、ここしばらくのいろんな思い、思い切りぶつけていいよ!!氷上では、貴方は自由なのだから!私たちはそれをしっかり受け止めて、幸せに変えて貴方に降らせてあげる!


さあ、盛り上げていきましょうね!