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運はめぐる
安岡正篤一日一言
命は先天的に
賦与(ふよ)された性質能力ですから
「天命」と謂(い)い、
またそれは
後天的修養によって
変化せしめられるもの、
動くものという意味に於て
「運命」とも申します。
運は
「めぐる」「うごく」という
文字であります。
然るに人は
この見易いことを見誤って、
命を
不運命、宿命、
即(すなわ)ち動きのとれない、
どうにもならない定めのように
思いこんで
大道易者などに
それを説明してもらおうとする。
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まさしく、
天命を受けて、運命を拓く、です。
命というのは、
絶対性、必然性を表し、
数学的に言うならば
「必然にして十分」という
意味を持っている。
人間も
人生そのものが「命」である。
それは
絶対的な働きであるけれども、
その中には
複雑きわまりない因果関係がある。
その因果関係を探って
法則をつかみ、
それを操縦することによって、
人間は自主性を高め、
クリエイティヴになり得る。
つまり自分で自分の「命」を
生み運んでいくことが
出来るようになる。
運はめぐる②
安岡正篤一日一言
命は天命であると共に
その意味では、
「我より作す」ものであり、
自分から造るものであります。
宇宙は
時々刻々の新しい造化、
創造、変化ですから、
常にいわゆる
「義理再生の身」
とならねばなりません。
これを知命、立命と請います。
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「義理再生の身」の
「義理」という言葉は、
もともと
「正義の道理」という意味です。
「義」は、
武士道の中でも
最も厳しい教訓であり、
武士にとって
卑劣な行動や不正な行為ほど
忌むべきものはないとされています。
義とは、
勇気をもって為される決断力であり、
道理にまかせて決断をし、
いささかもためらうことをしない
心です。
「義」は道徳的実践であり、
「理」はその哲学理論になります。
人は哲学的・実践的に
日々自らを鍛えることの必要性は
多くの先人が説いていることになります。
これを
「義理再生」というそうです。
己も、
この「義理再生の身」であることを
自覚し行動しなければなりません。
これこそ、
命を知り、命を立てる
覚悟になります。
ありがとうございます