【和歌山の旅】6月14日 徐福公園 不老不死の薬を求めて | その先、ヒカリ♥

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徐福公園

和歌山県新宮市

 

 

極彩色の楼門は新宮市のシンボル。

 

楠の巨木と天台烏薬の木に

囲まれた園内には、

徐福の像や墓所、

不老の池などがあります。

 

由緒版は

公園の完成を記念して

始皇帝が徐福と出会ったという

中国・龍口市から贈られたものです。

 

天台烏薬は

クスノキ科の常緑灌木で、

近年の研究によれば

活性酸素除去作用があるといわれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、天台烏薬!

 

 

 

 

徐福の石像の脇にある不老の池には、

徐福を支えた7人の重臣にちなみ、

 

それぞれが有していた

7つの徳、

和・仁・慈・勇・財・調・壮が

刻まれた石柱が立ち、

7匹以上の鯉が泳ぎ、

北斗七星の形に

石橋が渡されています。

 

 

伝承によると、

徐福

 

秦の始皇帝に

東方にある蓬萊・方丈・瀛州に

不老不死の霊薬があると具申し、

 

命を受けて

財宝と共に数千人を従えて

秦から東方に船出したというが、

 

その内蓬莱に当たるのが

ここ新宮とされていて、

 

徐福は

その後新宮に住み着いたという。

 

ここに住み着いた徐福と

その従者たちは

大陸からの文化や農耕、

捕鯨や漁業に関する技術を

新宮の人々に伝え、

ここ新宮の地で歿したと伝わっている。

 

 

 

 

 

熊野の伝説によれば、

徐福はこの地で亡くなったとされ、

 

中国でも

ここに徐福の墓があることが

定説になっています。

 

現在の墓碑は、

紀州藩の祖

徳川頼宣の命で

儒臣の李梅渓(ばいけい)が

揮毫したもので、

 

元文元年(1736)

6代藩主宗直によって

建立されました。

 

7人の重臣は、

徐福が眠る右側の

「七塚の碑」に祀られています。

 

 

 

画像お借りいたしました

 

 

 

 

 

 

和歌山県南部に位置する新宮市は、

太平洋の大海原に面し、

沿岸を黒潮が流れる温暖な地。

 

そんな新宮の

熊野川の河口近くにある蓬莱山は、

こんもりと

半球型の美しい形をしていますが、

 

今から2200年ほど前、

これを見てここに上陸した

といわれているのが

徐福(じょふく)という人物です。

 

徐福は秦の始皇帝の命で、

東方海上の三神山にあるという

不老不死の仙薬を探すために、

 

司馬遷の『史記』に

 

東方の遥か海上に

蓬莱(ほうらい)・

方丈(ほうじょう)

・瀛州(えいしゅう)という
3つの神山があり、

ここには仙人が住んでいます。
 

童男童女とともに

不老不死の仙薬を

捜しに行くことをお許し下さい。

 

 

東方の三神山とは、

渤海の先にある

神仙が住むとされた島で、

蓬莱方丈瀛州東瀛とも)

のことであり、

蓬壺・方壺(ほうこ)・瀛壺

とも称し、

あわせて「三壺」という。

 

 

3000人の童男童女を引き連れ船出。

 

何日もかけた大航海の末に

たどり着いたのが、

日本の熊野地方とされています。

 

徐福一行は

この地で

「天台烏薬(てんだいうやく)」

という生薬となる植物を

発見しましたが、

 

温暖な気候、美しい風景、

さらには土地の人々の温かさに触れ、

ついに熊野を永住の地と定めます。

 

そして田畑を開墾しただけでなく、

農業や漁業の技術、

さらに捕鯨などを伝えた

といわれています。

 

 

『史記』巻百十八

「淮南衡山列伝」によると、

 

秦の始皇帝に

「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」

と具申し、始皇帝の命を受け、

3,000人の童男童女(若い男女)と

百工(多くの技術者)を従え、

財宝と財産、五穀の種を持って

東方に船出したものの三神山には到らず、

 

「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て

王となり、

秦には戻らなかったとの記述がある。

 

 

『史記』巻六「秦始皇本紀」

に登場する徐氏は、

 

始皇帝に不死の薬を献上する

と持ちかけ、

援助を得たものの、

その後始皇帝が

現地に巡行したところ、

実際には出港していなかった。

 

そのため、改めて

出立を命じたものの、

その帰路で

始皇帝は崩御したという記述

となっており、

 

「不死の薬を名目に

実際には出立せず、

皇帝から金品をせしめた詐欺師」

 

として描かれている

 

 

徐福に関する伝説は、

中国から日本や朝鮮半島に伝わって散在し、

内容は地域によって様々である

 

学者たちは

徐福の到来は根拠がなく、

虚構であって

徐福は実際には

日本に渡来していないという。

 

この虚構の伝承は

中国と日本に拡散し、

 

徐福が

天皇の先祖で大和政権を建設した

とか

徐福が秦氏の先祖である

という虚構の伝承

作られるようになった

 

 

 

昔の熊野のあたりが

『秦住』と書いた、

徐福の住舊地を土人に伝えされている。

 

波田須駅付近には徐福ノ宮があり、

彼が持参したと伝わる

すり鉢をご神体としている。

 

 また、同地からは

秦代の貨幣である

秦半両が出土しており、

 

伝説と関連するのでは

とも言われている。

 

近隣の和歌山県新宮市には、

徐福の墓とされるものが伝わっており、

徐福公園が造られている。

 

 

 

 

 

 

いずれにしても

全国に

伝承と創作が残っています

 

 

 

 

 

 

木の実植ゑ 徐福はこゝに 棲みつきし

(山不鳴)

 

読みは

“つちやま さんふめい”

略歴は

「土山壽郎

 明治二十四年九月十七日

和歌山懸古座町に生る。

會社重役。

俳句雑誌熊野を平松竈馬等と共宰す。

(略)」とある。

土山山不鳴に

「熊野俳壇前記」

(「熊野」昭和37年1月・

「新宮市史史料編」下巻所収)

 

新派の俳人だそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新宮市はまだ

周れていない場所もあり

 

来年、縁あらば

また訪れたいところです

 

さて

国道168号線の山道を

橋本市まで

 

 

山間なので

山に囲まれていると暗い

 

 

 

一台幅のつづら折りは

慎重に

 

見てください!

崖が崩れたら、と思うと

怖いですよ

 

 

 

 

集落が見えると

安心しますね

 

でも

人が通るかもしれないので

慎重に

ここはもう、奈良県五條市

あの神社が見えてきた

 

 

あっという間に

太陽は山の向こうに

 

 

ようやく

五條市の、分岐

橋本へ

 

 

夏で良かった

日が長くて

 

国道168号線は怖いです

 

ホテルに着いたのは

新宮市を出て

3時間20分

 

やはり、一台幅の道路は

慎重になってしまいます

 

特急バスも行き来して

いますからね~

 

 

 

 

 

 

 

上の2種類は

天台烏茶と番茶のブレンド

 

 

 

ふるさと納税の、緑のパッケージ

100パーセント、天台烏茶

 

100パーセントのものを

購入しましたが

天台烏茶自体は、色が薄く

飲みやすいです

なので、物足りない方は

番茶とのブレンドを

 

 

 

直接、徐福公園から購入できます

お尋ねください