【和歌山の旅】6月13日 丹生官省符神社(慈尊院内) | その先、ヒカリ♥

その先、ヒカリ♥

拝読感謝♥
開運行動があなたを変える!
黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 

丹生官省符神社

 

 

主祭神

 

主祭神

 

第一殿

丹生都比売大神ー丹生明神

高野御子大神ー狩場明神

天照大御神

 

第二殿

大食都比売大神ー気比明神

誉田別大神ー八幡大神

天児屋根大神ー春日大神

 

第三殿

市杵島比売大神ー厳島明神

 

もとは

丹生都比売大神、高野御子大神、

大食都比売大神、市杵島比売大神の四神に

 

太神宮(天照大御神)、八幡神、

春日明神の三社を合わせて祀り、

神通寺七社明神とも呼んだ。

 

 

 

 

 

    

神社ができた当時の位置は、

現在の渡し場の東にあたる

宮の橋の付近であったと

考えられています。

 

その後、

河北から高野領地となり、

官省符21ヶ所村が成立しますと、

その総氏神として

栄えてきました。

 

 

慈尊院の弥勒堂が

現在の位置に移された際、

 

この神社も

一段高い

神楽尾山(かぐらおやま)

移されました。

 

 

 

 

 

当社は

高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、

応永3年(1396年)の文書に

「官省符鎮守・神通寺七社」との記録がある

(『官省符荘庁番殿原請文』)

 

 

 

 「官省符荘」とは

 

 

本来は太政官符・民部省符を得て

不輸租を認められた荘園を指すもので、

 

日本各地に存在した

荘園の類型の1つであるが、

 

本項の荘園は

それをそのまま荘園の名称として

採用したものである。

 

また、領主である

高野山金剛峯寺の麓にあり、

同寺と一体化した荘園であったことから、

 

高野本荘(こうやほんしょう)

金剛峯寺荘(こんごうぶじしょう)

 

とも呼ばれていた。

 

 

本殿は国の重要文化財(建造物)

境内は

国の史跡「高野山参詣道」を構成する

「町石道」の一部として

史跡に指定されている。

 

ユネスコの世界遺産

『紀伊山地の霊場と参詣道』

(2004年〈平成16年〉7月登録)の

構成資産の一部として登録されている

 

 

 

 

 

慈尊院の一部でした

 

元々、丹生高野明神社

と呼ばれ

空海が、慈氏寺を建立した際、

南側に設けた、丹生高野明神が

元になっています

 

諸天善神の祈願地として

この地を天と地に通じる地として

 

別名を神通寺として

いましたが

 

その後、丹生七社大明神や

丹生神社へと変遷

 

のちに

丹生、高野明神

厳島、気比の四所明神と

しました

 

 

 

 

 

180町石

 

 

 

脇に、熊野古道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿脇から

ご本殿が見えていますが

 

撮影禁止、です

 

 

 

 

 

 

神社下に、179町石

 

文永6年(1269年)、

鎌倉幕府第6代執権北条長時の弟、

時茂によって建立されたもの

 

 

ヒヨドリ

 

 

 

駐車場は写真右下に

 

13号線から

直線に入ります