悪人と善人 勧善懲悪 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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SBIホールディングス
北尾吉孝さまのお話

シェアさせて頂きました




『悪人と善人』

(2023年4月20日 16:30)



弱さと悪と愚かさとは、
互いに関連している。

けだし
弱さとは一種の悪であって、
弱き善人では駄目である。


また 
智慧の透徹していない人間は
結局は弱い


--明治の知の巨人・森信三先生は、
こう言われています。

私が私淑する
もう一人の明治の知の巨人・
安岡正篤先生の言葉を
借りて言えば、


善人は
自分を省みるもので、

「たいてい引込み思案、消極的で、
傍観的であり、団結しない。
自然の草木と同じように自ら生きる。
他に俟(ま)たないもの」

です。

他方悪人は元来、

「猛々(たけだけ)しく深刻で、
攻撃的・積極的であり、
必要に応じてよく団結」

するものです。



「君子は
義に喩(さと)り、
小人は利に喩る」
(『論語』)

--本来人間は皆
「赤心…せきしん:
嘘いつわりのない、ありのままの心」
無欲の中に此の世に生まれ、
誰しもが持っている良心というのは、
欲に汚れぬ限り
保たれて行くものですが、

段々と自己主張するようになり
私利私欲の心が芽生えてき、
そして
私利私欲の強さに応じ
次第に心が雲って行き、
結果として
悪人になったりする人も
出てくるのだろうと思います。


但し
私利私欲のため
悪の限りを尽くす人間も
いるにはいますが、

根っからの
苛烈な悪意が染み付いたような
悪人は非常に少ないのでは
ないでしょうか。


悪人というのは、
ある面で鍛えられており
結構強いものです。


上記
両先生共に
善人のある種の問題点を
指摘されているわけですが、

ではそれを克服すべく
善人が変わる必要性が
あるのでしょうか。


私は、
善人は
有るが儘(まま)で良い
のではないかと思います。


と言いますのも、

仮に善人が
妙なふうに機敏に活動的になり、
てきぱきと
何かをやり出したとなれば、
最早それは
善人とは言えない雰囲気を
醸し出すようなことにもなるからです。


善人について
安岡先生は
次のようにも述べておられます

--悪人は一人でも
「悪党」と言います。

それじゃ
善人をさして
“彼は「善党」だ”
とは言いません。


悪党という語があっても
善党という言葉は使わない。


だから
悪党と善人では、
一応善人側が負けるものです。

負けてから、

懲りて奮起して、

いろいろ苦労して勧善懲悪する


(『[新装版]運命を開く』)。



「積善の家には
必ず余慶(よけい)有り。
積不善の家には
必ず余殃(よおう)有り」
(『易経』)

--善行を積み重ねた家には
その功徳により幸せが訪れ、
不善を積み重ねた家には
その報いとして
災難が齎されます。



「俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じず」
(『孟子』)

自らの心に一点の曇りなきことを、
世のため人のためと思い
自分の使命として
次々に堂々と為して行くならば、

人の助けのみならず
天もまた助けてくれることでしょう。


こうして得られる
様々なサポートもあって、

善人というのは

「負けてから、懲りて奮起して、
いろいろ苦労して勧善懲悪する」

ものです。



ありがとうございます

勧善懲悪
久しぶりに聞きました
「善を勧め、悪を懲しめること」

ここにおいて
一国衆人の名代なる者を設け、
一般の便不便を謀て政律を立て、
勧善懲悪の法、はじめて世に行わる。
福沢諭吉 『中津留別の書』)



北尾さまは
こちらでもお話しています
抜粋いたしました


10年前発売された拙書『安岡正篤ノート』

(致知出版社)の第2章で、

私は

「陽明学を日本に普及させた安岡正篤」

と題し次の通り述べました--

「悪が必ずしも滅びるとは限らない」

「力の強い者が勝つ」

と考えるような人たちが出てきているのは、

日本人の遺伝子が

変異してきているためかもしれません。

しかし、これは

日本人らしさを失うことに他なりません。

性善説、勧善懲悪という考え方は、

時代を超えて

訴え続けていくべきものだと思います。

私は

「正義は必ず勝つ」

「悪はろくなことはない」

といったことを、

テレビドラマ等を通じ

日本国民に啓蒙すべきと思うのですが、

嘗て小生が子供時代に観ていたような

勧善懲悪の番組は

今非常に少なくなっているように

感じられます。

或いは、

「積善の家には必ず余慶(よけい)有り」

(『易経』)

とのエッセンスが入った

テレビ番組があれば良いと思うのですが、

何故かそうした類が

無くなって行っており

私は此の現況を大変憂慮しています。

「正義は必ず勝つ」というような

テレビドラマを

子供時代に観て育てば、

悪い思いになる人は少ないでしょう。

例えば『水戸黄門』を観て、

悪代官を最後に遣っ付ける

単純なストーリーだと思う人は

いるかもしれませんが、

その結末が

悪い終わり方だと思う人は

いないでしょう。

訳の分からぬ終わり方で

何かスッキリしない結末の番組は、

最早不要ではないでしょうか。

我国が

「世界一安全な国」で

在り続けようとするならば、

国民の道徳心や良識を

更に高めるための

テレビ番組を制作して行くことが

極めて大事になります。

或いは、

これからかなり増えるであろう

移民に対しては、

「日本社会においては

○○○が非常に重要視され、

○○○から逸脱する行為者は、

逆に著しく軽蔑される」

、といった具合に

道徳的教育を施して行かねばなりません。

その時、彼等を

何に同化させるのかと言えば、

それは、日本人が持っている

伝統的な良き特質に

同化させることに他なりません。


確かに
勧善懲悪の、スッキリとした
番組は、ほぼ皆無です

サスペンスとか
人殺し、強盗など
そのやり方を教えている
ようなもので
わたしは、一切
拝見しません

そんな番組は要らんです

ならば
NHKの朝ドラ、大河を
観ている方が
まだマシです

昭和の頃は
ホームドラマも
素晴らしいものがありました

テレビ番組は
お笑い芸人で溢れている

どこかへ出かけて
地元の人たちと触れ合い
地元のものを紹介する
番組は好きです

出川さんの充電も
大好きです

人間同士の語り、触れ合いは
今の日本人には
足りないものだから


結局、どんな事を
していても
人間関係だけは
切っても切れない
大事なコミュニケーション
だから

それに飢えているんだよ
日本人は


昨日の大河も
強烈でしたね

遺体を
両手で穴を掘って
埋葬するところ

道長が
「自分が余計なことを
したばかりに
申し訳なかった」と
大泣きするところ

盗みに入ったのだから
罪人なのだが
人殺しをしたわけでは
ないから放せ、と
袖の下を渡したのにも
関わらず
殺されてしまったことに
この世の無常を
感じた、道長

すごいシーンだったなあ
と思います

人殺しをするという事

カネは受け取っても
受け取った相手は、情け無し

カネは大事でも
人の命は、ゴミ同然

世が、いかに
荒れ果てているか

都とは、名ばかりの
陰の気、漂うところなり

今の日本のような


ああいうものを視て
どう感じるか

何を学ぶか