出雲の地鎮祭 人間の命の再生を願う祖霊信仰 | その先、ヒカリ♥

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漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

2007年 まだ遷座前の

出雲大社 ご本殿の屋根

 

 

蛯原さまの考察

シェアさせて

いただきました

 

 

 

 

『出雲と古代』

〜地鎮祭と雲と龍

 

 

 

【出雲の地鎮祭】

 

 

 

一般的な地鎮祭は

土地の四隅に青竹を立て、

その間を注連縄で囲って祭場となし、

斎主たる神職のもと、

建設業者・設計者・施主らの

参列の上で執り行う。

 

 

場合によっては、

赤白の横断幕を張った

テントの中で行われる事もある。

 

祭場の中には

木の台(案という)を備え、

その中央に神籬

(ひもろぎ、大榊に御幣・

木綿を付けた物で、

これに神を呼ぶ)を

立てて

祭壇(南向きまたは東向き)となし、

米・酒・魚・野菜・塩・水等の

供え物を供える。

 

また、

関西などの特定の地方によっては

 

伊勢神宮近隣の浜から

砂または塩を取り寄せ、

四隅に置く場合もある。

 

祭壇の左右に、

青・黄・赤・白・黒の

五色絹の幟に榊をつけた

「真榊」を立てる場合もある。

 

この五色絹は

五行説における

天地万物を組成している

5つの要素、

つまり

木・火・土・金・水を表している。

 

 

 

 

 

昔は

『龍柱(祝い柱)』を建て、

丑寅(北東、鬼門)と未申(西南)の方向に

それぞれ矢を立てて

普請の安全を祈った。

 

 

日本以外では

韓国や台湾でも

地鎮祭に似たお祓いをすることがある。

 

 

出雲大社では、

 

土地の最高神である

大国主大神を仰ぎ、

 

土地の平安堅固を祈る地鎮祭を

「出雲屋敷」として、特別な神事を行う。


 

出雲大社の御土である「御神土」を

屋敷に埋めることにより、

大国主大神の御支配される屋敷となる。

 

そして、

鬼門、たたり、方位、障りは無くなり、

いよいよ繁栄するようになるという。

 

神事は

出雲大社伝統の儀式法にて行う。

 

神語三唱や御神土埋納、

四拍手など特殊性がある。

 

出雲屋敷後、

年々多少の初穂を献納する

出雲年貢を行う地域がある。

 

 

 

『出雲大社教布教師養成講習会』

発行 出雲大社教教務本庁

平成元年9月1日参考

 

 

 

 

 

【雲と気】

 

 

古代人たちは

空を流れる雲にも精霊がいると考え、

それは龍の形をしたもので、

「くも」の意味を表わすために、

雨かんむりをつけて

『雲』という字が出来ました。

 

 

本来は

「云」が雲が立ち上がる象形だったので

「くも」の意味の字だったのですが、

云は

雲から龍が尻尾をのぞかせている形で、

「旬」「九」も

同じ龍の形になります。

「気」は

雲が空に流れ、

その一方が垂れている形です。

 

つまり、

雲気とは

雲の中に龍がいることを表すとともに、

龍の尾が垂れている形でもあるんです。

 

*八岐大蛇の尾からでた

『天叢雲剣(アメノムラクモ、草薙の剣)』

の名前の意味が

これでわかりますね。

 

『日本書紀』

神代紀上第八段本文の注には

 

「ある書がいうに、

元の名は天叢雲剣。

大蛇の居る上に

常に雲気(くも)が掛かっていたため、

かく名づけたか。

日本武皇子に至りて、

名を改めて草薙劒と曰ふといふ」

 

とある。

 

 

古代中国には

四海や河、湖などを守護するとともに

暴れ者として

河を氾濫させるといわれる

龍王が存在し、

その龍を退治する英雄が

登場することもあります。

 

とはいえ、

多くの龍は

神の配下や吉兆を示す

神聖なものであり、

さらには

長寿、円満など人々の願いを

象徴した信仰の対象だったのです。

 

龍は雲を起こし、

恵みの雨をもたらす神であり、

雨乞いの対象とされ、

海や河川の支配者として、

水や雨を自在に操り雨を呼び起こす。

 

さらには

洪水の原因となる

と考えられていたのです。

 

そのため

龍を敬い、崇めるのです。

 

乾いた土に水をかけ

その泥で龍型をつくり、

その『土龍』に降雨を祈る、

 

また、

土龍は地上の龍、つまり馬、

特に名馬の事であり、

降雨や止雨を神に祈願する

現代の絵馬の原型にもなっています。

 

 

 

 

 

 

 

日本では

土馬と呼ばれる

奈良時代の土でできた馬が、

井戸や流路などの水辺での

出土数が多いことに

関係しているのかもしれません。

 

唐の玄宗皇帝は

大干魃時に、

龍だけを描いている絵描きに

龍を描かせ

雨乞いをしたとも伝えられています。

 

また、龍は

長寿または不死と結びつき、

天高く飛翔することから、

天地を行き来することができ、

天上への乗り物と考えられていて、

 

春分に

地上から天に昇っていき、

秋分には

下りてきて川などの淵に入る

と考えていたのです。

 

 

ニコニコ暦では

夏至あたりで、九星陰遁に入り

冬至あたりで、陽遁に入りますね

 

 

ニコニコ「説文解字」

 

「龍は鱗虫の中の長なり、

能く幽かに、能く明らかに、

能く細に、能く巨に、

能く短に、能く長なり、

春分にして天に登り、

秋分にして淵に潜む」

 

「龍は鱗(うろこ)のある

蛇の中の長(かしら)であり、

時にかすかであったり、

明瞭であったり、

小さかったり、巨大であったり、

短かったり、長かったりする」

 

龍は、水ですから、雨を表し

その様子が書かれています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、

農耕などの雨乞いだけでなく、

 

亡くなった人の魂が、

 

天上と地上を往来する

『祖霊信仰』を持っていた

古代日本人の信仰に溶け込み、

 

古代から現代まで続く

龍神信仰や日本人の『龍好き』にも

繋がっているのかもしれませんね。

 

 

 

 

八雲立つ 出雲八重垣  妻ごみに

八重垣作る その八重垣を

〜素戔嗚命

 

八というのは、

この場合、方位を表していて、

 

垣は

土地の中であり、

 

いろいろな場所から雲が昇る様子を

『八雲立つ』と呼んでいるのだと

考えられます。

 

 

また、スサノヲの歌となると

 

スサノヲと櫛名田比売を陰陽に見立てた

中心を囲む歳神の八将神であり、

 

中心のスサノヲと合わせて九星神、

あるいは

九天を意味しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

島根県の宍道湖は

斐伊川や神門川の流れにより

堆積した土砂により形成され

(4000年前から2000年前にかけて)、

 

その場所は

神話で引き寄せられた

北にある島根県半島の山々と

南の山陰山地の間なんです。

(自然の地形)

 

 

そこに出来た新たな大地は、

スサノヲの歌に出てくる八雲立つ、

まさに

新しい(清々しい)『須賀』の地

なのです。

 

 

 

 

 

ここでは、

森林の伐採や鉱山開発により、

豪雨災害で荒れた山や谷が崩れて、

川によって

再生された土地が出現するように、

 

大地再生の土地神信仰が育まれ

 

そこに縄文時代から続く、

人間の命の再生という願いが、

土地神信仰へと込められていった

のかもしれません。

 

 

 

新羅や朝鮮半島との往来があった

日本海側の山陰では、

 

大陸の文化が古くから入っていて、

稲作や農耕とともに、

治水、灌漑技術も伝わっていました。

 

古代中国では、

雲の中にいる龍を神が

天上と地上を往来する乗り物としいたり、

または

雨や水を自在に操る神そのものとして、

畏れと共にお尊ばれてもいました。

 

やがて

龍は

地上において、

土龍や土帝、伝説の黄帝にもなり、

四神の青龍のように

天上の星神へと昇華していきます。

 

 

 

ニコニコ地上において、伝説の黄帝

五行論ですよ!

漢方養生士の資格取得で勉強した

黄帝内経は有名です

 

 

 

 

 

*おそらく出雲大社本殿の

天井画の雲(黒黒)は

龍が中にいることを暗示している。

 

また、古代出雲大社の社殿は、

中古(平安時代)には

16丈 (48m)、

さらに上古(神代の後、平安より前)には

32丈(およそ96m)であった、

という伝承があり、

実際に柱の遺構も出土しています。

 

神話では、

大国主神は国譲りに応じる条件として、

 

「我が住処を、

皇孫の住処の様に太く深い柱で、

千木が空高くまで届く

立派な宮を造っていただければ、

そこに隠れておりましょう」

 

また、大和から見て

 

西方に位置する出雲は、

星が沈む場所(土中に潜る場所)であり、

 

不慮の死を遂げた人々が、

禍いをもたらす鬼神(荒御魂)ではなく、

幸福をもたらす存在として、

 

或いは

再生する願いの象徴として、

 

冥界の神大国主祭祀という、

新たな出雲が神話と共に

作られていったのかもしれません。

 

 

 

ニコニコ出雲にもある、熊野大社

 

昨年、和歌山の熊野三社に

参拝してわかった

熊野こそ、黄泉の国

蘇りの地

 

 

 

 

文、蛯原春比古さまに

帰属します

マネはできません!

 

ありがとうございます