敬する心①
安岡正篤一日一言
人間が人間たる意義を求めるならば、
先ず
敬するという心を持つことである。
人間とどが現実に留まらないで、
限りなく高いもの、尊いもの、
偉大なるものを求めてゆく、
そこに生ずるのが
敬という心である。
この敬の心が発達してくると、
必ず相対的に
自分の低い現実を顧みて
それを恥ずる心が起る。
------------------------------
敬について、
「ただ親を養うだけならば、
古人もしばしば一言っているように、
烏や獣でもやっていることである。
人の子には
「うやまう心、敬」がなければならない。
くわしく言えば、
感恩報謝の気持ちと意志に
よらなければならない。
恥について、
敬は人においてやや高い問題である。
「恥」こそ
最も身近にある問題ではあるまいか。
孔子も、
我が身の振る舞いに
恥じるところがある者が
士(立派な人間)と言うことができる
(『論語』、子路篇)と説いており、
『孟子』の盡心章に
「人間は羞恥心がなければならない。
若し羞恥心のないことを
本当に恥ずかしいと思うようになれば、
ひとりでに
(人から)恥辱を受けることは
なくなるものだ」
と説き、
「羞恥心というものは、
人間にとってきわめて大切である。」
と安岡先生は言われています。
敬する心②
安岡正篤一日一言
フィヒテが児童教育を論じて、
子供は
家にあって愛だけで育つ
と思ったら大間違いで、
愛と同時に敬を求める。
従って、
愛の対象を母に、
敬の対象として父に求めていると
痛論している。
人間が進歩向上する
一番大切なことは
敬する心を発達させることであり、
それによって始めて
恥を知ることが出来る。
------------------------------
敬は
自然とできないと
いけません。
そうなると
小さい時からの躾と
その子の感性ですね。
こういう記事を読みました。
浅田真央選手を育てたコーチ、
山田満知子さんが語った
「伸びる人と伸びない人の差」
はっきりいって、
頭が悪いのはダメですね。
学校の勉強じゃないですよ。
1を言って10を知るじゃないけど、
コーチがいま何を考えているかとか、
きょうは何を練習したらいいかとか、
こちらが何も言わなくても
察することができる。
そういう勘がいい子が伸びますね。
私の場合、
チャンピオンにするとか、
メダリストにするとか、
実はそれほど興味がないんです。
うちに習いに来て、3しか能力がない子を
5とか7とかにすることはできても、
もともと10の才能を持っている
天才にはかなわない。
五輪に出てくる選手なんて
みんな天才ですよ。
その天才たちがさらに天才的に努力をして、
やっとメダルに手が届くかどうか。
そういう厳しい世界です。
世界の頂点に立てるのは
天才の中の超天才だけ。
たまたま(伊藤)みどりや
(浅田)真央はなれましたけど、
なれない人がほとんどなんですよ。
そりゃ私も
2番より1番のほうがいいですよ。
でも、たとえ5番でも、みんなから
「あの子、いい子だったね」
「あの人の演技って素敵だったね」
と言われる
スケーターがいいなと私は思います。
だってジャネット・リンだって3位ですよ。
誰も1位の人なんて覚えちゃいない(笑)。
彼女のスケートのいろいろなシーンに
人間性が出て、
それがいつまでも
私たちの心に残っているんです。
だから私はジャンプができないとか、
スピンが下手とか、
そういうことではまず怒らない。
礼儀とか躾のほうが多いかな。
反抗期の時、生意気だったり、
先生にプンみたいな態度でいる子には
「ちょっと待ったぁ!」と。
「私はあなたより年上で、
しかも先生でしょう。
いまの受け答えはないでしょう」
とはっきり言います。
要するに
生き方の注意のほうが多いですね。
みどりはハートの強さと優しさが混ざった
演技をするスケーターでしたし、
真央は素直で自然体の愛らしい演技をする子。
それってそのまま彼女たちの性格ですよ。
人間性が
全部スケートに出ているんですね。
ありがとうございます