スサノヲと、織田信長公 | その先、ヒカリ♥

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蛯原さまの考察

シェアさせて頂きました


ありがとうございます


 




『スサノヲと冬のソナタ』



春川市(チュンチョン)は、

大韓民国江原特別自治道の道庁所在地で、


日本でも人気となった

テレビドラマ『冬のソナタ』の

舞台およびロケ地として知られています。



春川地域は、古代、

古代部族国家である

貊国(はく)の首都となり後日、

新羅に征服され、


637年(善徳女王6年)に

牛首州と命名されています。


紀元前2世紀の

朝鮮半島と満州にいた

「濊」「貊」は、


濊貊・沃沮・高句麗・夫余の

四種族の前身であり、


現在の韓国江原道溟州にいた

「東濊」は

前漢代の中国東北部にいた

濊と同じ民族とされ、


濊貊系とみられる集団は、

他に沃沮・部類(符類、附類)・

高夷・東濊などと、

貊と同音

または

近似音の貉・北發・白民などがあり、

史書には、

夫余の出自が濊とみられる記述もあります。


また貊を

高句麗の別名または別種といわれ、

『後漢書』では、

濊・沃沮・高句麗は

元々朝鮮(衛氏朝鮮)の地に居た

と記されています。


日本で

スサノヲと習合したとされる

牛頭天王の名は


韓国語のソシモリ(曾尸茂梨) に

由来する

とされていて、


このソシモリは

スサノヲが

高天原から

先ず最初に降臨した場所だと


『日本書紀』には

記されています。


ソシモリは

ソシマリまたは、 ソモリともいい、


韓国語の

牛(ソ・ソシ)頭(モリ)にあたり、


「牛頭」または「牛首」を意味し、

(一説ではソホル・ソウル

=新羅の都を意味する)


江原道春川には

牛頭山があり、


この地で信仰されていた

高句麗人の神ともいわれ、


これが日本では

牛頭天王となっていくのです。



また、牛頭天王は

中国の辟邪神、天刑星と同一視され、


天刑星は

道教の神で

疫神をとって食らうと

信じられていたので、


怨霊退散、 疫病厄除去を祈るために

道教の神とも

結びついたと考えられています。


朝鮮が

日本の統治下(日帝統治時代)にあった

1919年(大正8年)、

春川市には

明治天皇と素戔嗚を祀る

江原神社が建てられました

(戦後、廃社)。



当時の日本政府も

この地を素戔嗚と関係の深い地だと

認めていたのです。




参考

京都市の新羅神社(その三)

神々のルーツ『素戔嗚と牛頭天王』

片岡伸行




『ときは今・・・本能寺の変』


儒教には

五常「仁・義・礼・智・信」

というものがあり、


仁・義・礼・智・信 とは

「優しい心」「強い心」「感謝する心」

「正しい心」「正直な心」を差し、


陰陽五行では

仁は木気、義は金気、礼は火気、

智は水気、信は土気

とされているようです。


土気は、

色は黄色、方角は中央、

季節は季節と季節を結ぶ

中央の土用になります。


信とは、

心と言葉、行いが一致し、

嘘がないことで得られる信頼です。






また、死は

土気であり、

五行の中央で

すべての季節をつないでいます。

死は

陰が極まる象徴であり、

陽の萌す始まりなのです。

ですから、死は

次なる繁栄を導く契機である

と考えているのです。


つまり、土は

万物の命をその中から生成し

発現させる働きを有すると同時に、

土はまた、

万物の終わり、 

死を促す交替の働きを強く有しています。 



織田氏は

越前国丹生郡の出自です。


丹生はニウ、つまり「牛」を意味し、

牛宿には織姫と牽牛がいて、

織姫の一字から

織田と名乗ったのかもしれません。



尾張熱田神宮の神剣は

水気のアメノムラクモ

(天叢雲、水を生じさせる雲、

天空では星団)であり、

草薙の剣

(焼津で火攻めにあった

ヤマトタケルを救う)です。


織田氏は

越前丹生郡の出自で


劔神社の神官、

スサノオが御祭神で、

織田氏の津島神社も

スサノオ(牛頭天王)祀っています。


スサノオは海を司る神、

信長自身は牛頭天王(スサノオ)


と言っていますね。


つまり、水なんです。

水を堰き止めるのは土、

土気は陰陽五行の中心で

死を意味すると共に始まりも

意味しています。

「あめ」は水ですから。



信長が

天下に知られるようになったのは

『桶狭間』、

つまり、水を入れる器(桶)だったんですね。


光秀は

近江高島の大溝城の築城の際、

縄張り(設計)をしていて、

津田信澄が

城主となっています。

信澄は

織田信長の甥であり、

光秀の娘婿であった事が災いし、

本能寺の変の際、

四国攻めのため大坂にいて、

市中には

謀反は信澄と光秀の共謀である

という噂が流れ、

織田信孝と丹羽長秀は

信澄を襲撃して

謀反人として

丹羽家家臣・上田重安によって

討ち取られています。


この二つの祭祀場には

その「酒波」という言葉と

「日置、日吉」など

「日」が共通していて、

瑞浪の日吉の隣町は

月吉という集落になっていて、

日と月という陰陽

(太陰が月、太陽が日)が地名

となっています。


日置の名前を持つ古代豪族は

「日置氏」と言って、


もともとは

宮内省主殿寮殿部(とのもり)の

負名氏(なおいのうじ)の一つで、

本拠は

大和国葛上郡日置郷にあり、

地縁的にも職掌的にも

同じ負名氏の鴨氏と

類縁の関係にあった

と考えられているのです。


葛城の鴨氏が

阿治須岐託彦根

(あじすきたかひこね)神を

祀るのに対し、


日置氏は

この神の妻という

阿麻乃弥加都比女

(あまのみかつひめ)を

祀っていたと、

尾張国風土記は伝えています。


鴨氏と言えば

上賀茂・下鴨を祭祀してきた

陰陽道の中心と

言ってもいいでしょう。



その鴨氏と近い日置氏も

また陰陽五行に基づき

「阿麻乃弥加都比女・天甕津姫」

という女神を祭祀がしながら、

近江高島や美濃瑞浪で

大嘗祭や新嘗祭に特別に造られる

「神酒」、

「白酒(しろき)黒酒(くろき)」を醸す

長(造酒児)の助手として

奉仕していたのかもしれません。



びっくり!!石神山精神社の宮司さまから

頂いた、白酒

新嘗祭の御神酒!

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【土岐氏の家紋】

家紋は空色桔梗紋で、

白黒紋などではなく

彩色紋として知られています。

その由来は

土岐光衡が

戦さで桔梗花を兜に挟んで

戦ったのを記念して、

家紋としたのが始まりと伝えられて、

「土岐桔梗」と呼ばれているます。


旗紋としては

空色(水色)地に白抜きの桔梗紋。


桔梗という花の漢字の読みは、

中国でキチコウと読ばれていたものが、

変化してキキョウになった

と言われています。


一説では神仏にお供えする花として、

吉凶を占ったので

キキョウと呼ばれるようになった

とも言われています。


また、万葉集では

「あさがお」は「桔梗」の事である

とされていて、


「あさがお」の別名は「牽牛」で、

その種は「牽牛子」で、

中国古医書「名医別録」では、

牛を牽いて行き

交換の謝礼したことが

名前の由来とされています。

(牽牛ですから

星そのものの名前でもあります)


また、あさがおの種のみならず、

現在の桔梗も薬草として、

生薬(桔梗根という)として

利用されているそうです。

(サポニンが多く含まれている)


かの有名な陰陽師「安倍晴明」が

使用した五芒星を桔梗印と呼び、

現在の京都晴明神社では

神紋とされています。


冒頭の明智光秀の連歌は

天正10年(1582年)

5月24日(あるいは28日)、

山城国愛宕山五坊の一つである威徳院で、

明智光慶、東行澄、里村紹巴、

里村昌叱、猪苗代兼如、里村心前、

宥源、威徳院行祐と巻いた百韻で、

発句は光秀の


「ときは今 あめが下しる 五月かな」


脇は行祐の


「水上まさる 庭の夏山」


第三は里村紹巴の


「花落つる 池の流れを せきとめて」


となっています。


私は特に

第三の里村紹巴の歌が重要だ

と考えています。



確かに光秀の歌は

天下掌握を示唆するもの

ともとれるのですが、

紹巴の歌も

それに呼応する内容、

むしろ、光秀の歌を

増幅するような内容だと思えるのです。


織田一族の発祥地は

越前国織田荘

(現・福井県丹生郡越前町)にある

劔神社で

神官の家系だったといわれています。


現地では

織田明神と呼ばれ、

「素戔嗚命」を御祭神としています。


また丹生という地名も

全国にありますが、

特に「水神」に所縁のある場所

でもあるのです。


また、素戔嗚命は

神話では八岐大蛇を退治し、

その尻尾から

「アメノムラクモ剣」を見つけ、

後に皇室の三種の神器となり、

尾張熱田神宮の御祭神の依代

にもなっています。


アメノムラクモは

漢字では「天叢雲」と書き、

これは

神剣のある場所に

雨が降りそうな雲が湧き立つ

イメージを意味しています。


実際にヤマトタケルが

焼津で火攻めにあった時に

剣のおかけで助かることになり

火に勝つ「水の剣」ともいえます。

(後に草薙の剣と名前が変わる)


信長の織田家は

愛知県津島市の津市神社を氏神とし、

御祭神は

素戔嗚命(牛頭天王)としています。


また、今川義元を討ちとった

桶狭間の合戦では、

信長は

熱田神宮に軍勢を集結させて

熱田神宮に戦勝祈願を行い、

最前線の善照寺砦に向かっています。


桶狭間では

『信長公記』に

「石水混じり」と書かれているように、

視界を妨げるほどの豪雨が降っていて、

義元を討ちとるのに

少兵の織田勢にとって

恵みの雨(水)であったかもしれません。


織田は水、


つまり天の川から流れだす水であり、

織姫星に由来する名前だと

思えるのです。

(桔梗は牽牛、不思議な一致)



中国神話では

天の川の水が溢れると

度々災害を起こすといわれ、

紹巴は

池から流れだすのは川(天の川)であり、

それを堰き止めるのが「土」

(土剋水)であると考え、

花は天の花、

純白で見る者の悪業を払うといわれ、

天人が雨のように降らす

という伝説があります。


つまり、天下を治めようとしている

信長(水)を堰き止めて、

天人の花を流さないようにするのが

「土」の役目となるのです。


この時の天上人こそ

正親町天皇その人であり、

花は皇室の御紋の菊の花

となるのでしょう。


土は水を堰き止める

陰陽五行の相剋

(そうこく・

相手を打ち滅ぼして行く関係・陰の関係)


〜土剋水(どこくすい)

土は水を濁す。


また、土は水を吸い取り、

常にあふれようとする水を

堤防や土塁等でせき止める。

となっていて、

土気(土岐)には

水を堰き止める力があると、

紹巴は

言っているのではないでしょうか。


また、相侮(そうぶ) の関係では、

(逆相剋、侮とは侮る、

相剋の反対で、反剋する関係にある。)

〜水侮土

水が強すぎると、

土の克制を受け付けず、

逆に水が土を侮る。


土の光秀を

水の信長が無用な家臣と判断し始めた

ともいえます。


土岐氏の支流とされている

明智光秀は、


若い頃、

何と医学に詳しい人物であった事が、

7年ほど前に

熊本で発見され

古文書に書かれているそうです。

また明智光秀を

知る最も古い資料として、

熊本県立美術館で公開されています。


医易同源という言葉があるように、

易学と医学とが

同じ理論・同じ源をなすものであるので、

光秀は

易や陰陽に通じていた可能性があります。


また、光秀は

愛宕百韻の連歌会の前日、

愛宕山の愛宕神社に参拝し、

三度、おみくじを引いたとされています。


今では

神社でおみくじを引くのは

普通なんですが、

武運長久を願う場合は

かなり緊張した状態であり、

占い(陰陽道)を信じていた

光秀らしい逸話ですね。


因みに「明智光秀」の「明」は

日と月を合わせた字で

「日は太陽」「月は太陰」で

陰陽そのものの意味ともとれます。


明智家歴代当主には

「光」の字が多く使われ、

「光」は三辰信仰の「星」に

由来するのかもしれません。

「月日星」ですね。


光秀の坂本城は往古、

天智天皇の大津京があった場所です。

天智天皇と言えば、

蘇我入鹿を殺害したクーデター

「乙巳の変」が有名ですね。


明智光秀は「本能寺の変」、


天智 天智玉は水局の玉

明智 日、月、海(水)→三貴子

  アマテラス、ツキヨミ、スサノヲ


『海と天』と

アナグラムになっているのかもしれませんね。


紹巴は

徳川将軍家に仕え、

近衛前久の父、

近衛稙家から古今伝授を受けています。


また、木喰とは

親交が深く、

木喰は元は信長に攻められた

六角氏の武将ですから、

愛宕百韻では

光秀の迷いを

紹巴が歌で断じたと推測できますね。


ときは今 あめが下しる 

五月かな


明智光秀


花落ちる 池の流れを

せきとめて


里村紹巴


徳川家康は

松平氏の七代目なんですが、

三代目の松平信光は

一時的に「賀茂氏」を名乗ったようですね。


墓所の候補は

「愛知県岡崎市鴨田町の大樹寺」で

鴨田町。


双葉葵は

陰陽家の賀茂氏の紋ですが、


三つ葉葵は

じつは存在しない葵らしいのですが、

しかし葵紋では

一番有名ですね。


徳川もまた、

陰陽と深く関係があるんです。


織田氏の家紋の木瓜紋は、

まさに木気ですから、

水から生じるのは木、

さすが劔神社の神官ですね。

よく考えられている家紋です。



かたや光秀は

桔梗(土岐桔梗)ですから、

五芒星(清明桔梗)そのものであり、

土岐氏で土気になりますから

五芒星の中心ともいえます。



水は天から落ちてくる、

つまり織姫と牽牛のいる

天の川から生じることになりますから、

その水(織田)を堰き止めるのが

土(明智・土岐)である

と言っているのでしょう。



本能寺が何故、焼かれたか?

焼く必要があったのか?


それが、ずぅーっと

悩んでいたことなんですが、


木(木瓜)を焼くと

灰(土)が生じます。



土気は死と再生を意味しますので、


本能寺を焼いて

土(土岐、明智)が生まれることが

必要だったのですね。



文、蛯原春比古さまに

帰属します

マネは一切できません!





ありがとうございます



実におもしろい!


漢方養生士の資格取得を

しておいて良かった♥️


すべての事柄は


五行論、なんですよ!