五行論、陰陽論と、土公神さま | その先、ヒカリ♥

その先、ヒカリ♥

拝読感謝♥
開運行動があなたを変える!
黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!


 
画像お借りいたしました
海に稲妻が落ちた瞬間だそうです




蛯原さまのお話
シェアさせていただきました
ありがとうございます





『素戔嗚尊と日本武尊』

〜神剣の謎  1

明日香の酒船石を昴、
あるいは八岐大蛇(昴宿)である
解釈してきましたが、

八岐大蛇の尾から出た
「天叢雲剣」について
話したいと思います。

日本武尊が
天叢雲剣を
倭媛命から預かって、

東国へと遠征に出かける話は
記紀にも詳しく語られ、
古代の英雄、古事記では
悲劇のヒーローのように描かれています。

「叢雲」の意味は、
前にも書きましたが、
「雲が湧出すような」情景を
あらわした表現で、

実際の夜空にある昴は
星の塊、星団
(プレアデス星団、日本的には「魄」)
ですから、
光る雲のようなものと
考えられていました。

となると、
天叢雲剣は
星の剣、水の剣、光る剣
ともなります。

実際は
天叢雲剣=草薙剣は、

今でも熱田神宮の
奥深く鎮座する御神体でもあり、
皆さんもご承知のように
天皇家の三種の神器の一つでもあります。

水の剣としては
熱田神宮の北東の位置に
神宮では最も神聖な場所として
湧水地(土用殿の裏手)があります。

もちろん撮影は不可なんですが、
熱田台地の先端から
湧き出る神聖な水こそ、
天叢雲が
生まれた意味があるのかもしれません。

また、倭姫が
アマテラス大神と共に
祀っていたことから
(スサノオから献上された)
太陽のように光る剣であるがゆえ、
熱田神宮では

「熱田大神は草薙剣を
御霊代・御神体として
よらせられる天照大神のことである」
としています。

また陰陽五行では
互いに相手に勝つ関係にあることを
相克・相剋・相尅などといい、

木は土に、土は水に、水は火に、
火は金に、金は木に
それぞれ勝つことになります。






つまり草薙剣は
元々水の剣
(火攻めにあうまでは天叢雲剣)
であるので、

日本武尊が
焼津で火攻めにあっても火に勝ち、

実際は
鉄の剣(金)であるがゆえ
火に負けるはずだか、

草(木)を斬り草薙となり、
木気を持ち金に勝る
という意味から名付けられた
と思われるのです。

【水だから火には勝つ、
しかし鉄(金)の剣であるがゆえ
火には負けるので、
草(木)を切る事で、
木に勝つ金気を維持できる】

水と金と木の気を持つ神剣、
それが
草薙剣なんです。


草薙剣は
木気を持っているが
鉄(金)だから
火に負けるので
氷上(火上)や熱田(熱)に置かれていた。

それは
神剣の神威を鎮めるため、
相克した場所が
選ばれたのかもしれませんね。




『酔笑人(えようど)神事と尾張氏』

神剣の謎2

〜読み方は「ようえど」なのに
何故?「えようど」となっているか?

【酔笑人神事】
御神体の草薙神剣
(くさなぎのみつるぎ)が
当神宮に還った故事を
今に伝える神事です。
境内の灯を消し、
影向間社、
神楽殿前、別宮前、清雪門前の
四ヶ所で、
悦びを込めて高笑いをする珍しい神事です。
毎年5月4日午後7時より

天智天皇の御代、
故あって
神剣は一時皇居に留まられましたが、
天武天皇朱鳥元年(686)勅命により
当神宮に還座(かんざ)されました。
この時、皆がこぞって
喜んだ様を今に伝えるものです。
喜び笑う様から
「オホホ祭り」とも呼ばれます。
この神事では
祝詞・神饌がなく
境内の灯りも全て消されます。
古くより見てはならないと
語り伝える神面を
神職各自が装束の袖に隠し持ち、
中啓という扇で神面を軽く叩いた後、
全員が一斉に「オホホ」と笑う
神秘的な神事です。

〜熱田神宮ホームページより

「酔笑人」を中国語として
翻訳解析すると「任晓」となります。
「任晓」の意味は、
日本語では「漣さざなみ」になり、
漣とは
琵琶湖西南部の地名
「大津」「志賀」などにかかる
万葉集の枕詞、
あるいは地名そのものとする説もあります。

熱田神宮に伝わる
「酔笑人神事」の起こりが
熱田神宮ホームページによると、
天智天皇の御代、
故あって
神剣は一時
皇居(大津京)に留まられましたが、
天武天皇朱鳥元年(686)勅命により
当神宮に還座(かんざ)されました。
この時、皆がこぞって
喜んだ様を今に伝えるものです。
喜び笑う様から
「オホホ祭り」とも呼ばれます…。
となっています。

これらの事から推測すると、
尾張氏が
管理
(あるいは尾張氏の神宝そのもの)していた
神宝の「草薙の剣」が
一時的に大津京に置かれていたが、
壬申の乱後に
再び熱田神宮に戻る。

つまり自分たちの大切な
「神宝 草薙の剣」を取り戻すために、
大海人皇子に味方し、
勝利を得たために
熱田に戻ったとも
言えるのではないでしょうか。

笑人Xiào rén
任晓Rèn xiǎo=漣
漣笑Lián xiào
人笑Rén xiào

晓(曉)は
暁(あかつき、夜明け前)の意味もあり、
暗闇で行う神事の意味
かもしれませんね。

酔笑人えようど、
本来なら「ようえど」、
逆さまになったアナグラムですね。



『熱田は陽の気の地』

〜陰の気を持つ草薙 神剣の謎3

陰陽の剣というと

奈良時代東大寺正倉院御物で
長らく行方不明だった
「陰陽剣」が有名でしたが、

東大寺大仏の土台から
発見されたのは記憶に新しいですね。

錆た刀身をX線検査をしたところ、
陰剣、陽剣と
刻まれていることが判明しました。

草薙剣が祀られている熱田神宮は
熱田台地(あつただいち)
名古屋市の中心部にある台地に
鎮座しています。

北西端に名古屋城、
南西端に熱田神宮が
所在する台地表面を
熱田面と称し、
これは熱田層の堆積面に相当し、
また、台地の中央部の
大曽根から鶴舞にかけては、
その東西に比べて
2 - 3メートルほど低くなっている。
この部分は熱田台地の成立後、
庄内川ないし矢田川の浸食により
形成された谷であり、
大曽根層から成る大曽根面で
構成されているます。
熱田層は主として
軽石を含む砂により形成され、
大曽根層は砂礫層であります。

〜wik参考


 




【陽】
五行論とともに
陰陽五行説に発展した。
陽は
「男性的」「剛健」「動く」
「日向」などの意味合いがある。
易学で、陰に対置され、
合わせて宇宙の根元となる。
受動的な陰に対して、
能動的、積極的な事象の象徴とする。
日・春・夏・東・南・
火・男・奇数・強・動など。

〜大辞林参考

草薙剣が最初祀られたのは
元熱田といわれる
氷上姉子だったのですが、

地名は大高、
氷上は本来は火上でしたので、
比較的、陰陽のバランスは
とれていたのかもしれません。

しかし
宮簀媛が保管していたこともあり、
熱田へ移さざるおえなかったのかも
しれません、
余談ですが、

大高は
穂高が訛ったものか、その逆もあり、
「おお」は炎の「ほの」が
正しいのかもしれません。

熱田という陽の地にある陰の剣、

それが草薙剣であり、
陰陽のバランスが保たれているのです。

また、熱田神宮で
最も神聖な場所は

神宮の北東に位置する湧水
「お清水さま」と呼ばれる場所で

熱田台地の砂礫層を通ってきた
清純な水が湧き出しています。
流石、水の剣ですね。

草薙剣の神話は
スサノヲが
八衢のオロチから取り出した時には
アメノムラクモでしたが

ヤマトは
焼津で神剣を使ったあとは
草薙剣と名前が変わります。

つまり、アメノムラクモは
水から生まれた意味があり、
水の剣であるがゆえに
焼津で火攻めにあっても
ヤマトタケルは
窮地を脱することができたのです。

草薙剣は
水、陰の気を持っていることになり、
ヤマトタケルのような
陽の強い人物が持つ事で
力を発揮するとも言えます。

また、本来は
氷上姉子に祀られていたのですが
(氷上の古語は火上であり、
大高は火高が訛ったものです。)
姉子という
「陰」のキーワードがあるため、
熱田に遷座されたのでしょう。
火や熱は
陽の気の名前ですから、
バランスが取れるわけですね。

それに熱田台地は南北に細長く、
台地であるという事と
男根的な地形であること
重要だったのだと思います。



『門の祭祀と草薙の剣』


〜神剣の謎4
荒れ狂う土地を鎮める草薙の剣

熱田神宮は、
神代の英雄
日本武尊の遺した神剣
(天叢 雲剣・草薙剣)を
妃宮簀媛命が 
奉斎したのに姶まるという。

創建の歴史を
古代に遡りうる我国有数の
古社であるとともに、
建築の面では、
草薙剣を奉安したという 
「土用殿」の存在と、
「尾張造」と呼ばれる
独特の社殿配置をもつことで
広く知られている。



しかし、当社は
明治26年 (1893)に
伊勢神宮の規模形式に倣って
社殿の改造を行い、
固有の形式が失われてしまった。

また、改築を免れ遺されていた
土用殿・海蔵門(海上門)・鎮皇門 なども
昭和20年の戦災で焼失し、
近世以前の建造物では
わずかに
西楽所・清雪門・南新宮本殿 
〔いずれも貞享 3年(1686)造営〕などが
現存するばかりである。 
したがって、
建築史学の立場から
研究の対象となるのは、
主として明治26年以前の
今は存在しない社殿ということになる。
〜中略

熱田神宮については、

これまで土用殿の存在、
 尾張造の社殿配置など
他の神社に見られない
特異な点が注目されてきたが、

祭儀を考察してみると、
正御殿・土用殿などよりも
渡殿 ・祭文殿 ・鎮皇門などの
祭祀用社殿の存在の方が、
熱田社の特色を
良く示していることがわかる。

・すなわち、渡殿は
 「本殿 」 に近い機能をも備え、
祭文殿は門でありながら
祭儀において中心的な役割を果し、
鎮皇門は
神幸に際して
 「御旅所」的な機能を担う。 
渡殿 ・ 祭文殿・鎮皇門における祭祀は、
神社祭祀の一つの特徴である
神の移動とともに
進行する神事に良く対応している。 

見方を変えれば、
熱田社の祭儀においては
門がきわめて
重要な役割を果しているともいえる。

このように
門が主要な祭儀の空間と
なりうるの は、

門が秩序の異なる
内外両空間の接点に建つ
両義的な空間であることによると
考えてよいだろう。


〜参考 熱田神宮の 社殿と祭儀
   藤沢 彰



『土用殿』


〜神剣の謎5
熱田神宮の土公とは

熱田神宮の神剣を奉安していた御殿。
本殿の東に並んで鎮座。
宝庫造り(俗に井楼組(せいろうぐみ)とも)
の建築様式で、
屋根は切妻檜皮ぶき。
明治二六年(一八九三)
本殿を一つとする神明造りに改められた。

【八岐大蛇退治】
爾に足名椎手名椎神、
「然坐さば恐し。立奉らむ。」と白しき。
爾に速須佐之男命、
乃ち湯津爪櫛に其の童女を取り成して、
御美豆良に刺して、
其の足名椎手名椎神に告りたまひけらく、

「汝等は、八塩折の酒を醸み、
亦垣を作り廻し、その垣に『八門』を作り、
門毎に八佐受岐を結ひ、
其の佐受岐毎に酒船を置きて、
船毎に其の八塩折の酒を盛りて待ちてよ。」

とのりたまひき。

【現代語訳】
速須佐之男命(ハヤスサノオノミコト)は
たちまち、娘を
 湯津爪櫛(ユツツマクシ=爪型の櫛)
に変え、
自分の御美豆良(ミミズラ=結った髪)
に刺し、
足名椎手名椎神に言いました。 

「あなたがたは、
八塩折(ヤシオリ=何度も醸造した)
の酒を醸造しなさい。 
次に垣根を作って、
そのなか『八つの門』を作り、
 門に桟敷を作って酒の桶を置いて、
 濃い八塩折の酒を盛って待っていなさい」 

と言いました。 

スサノヲは
八岐大蛇の首を
門に酒を入れて退治しますね。

門にいるのは
夏土用の土公神です。


八岐大蛇の尾から出た
草薙の剣(アメノムラクモ)は

土公神(星神の昴)だから、
土用殿に祀られているんですよ。


【土公神】

土をつかさどるこの神は、
季節によって
遊行するとされ、
春はかまど
(古い時代かまどは
土間に置かれ、
土や石でできていた)
夏は門、秋は井戸、
冬は庭にいる
とされた。

遊行している季節ごとに
かまどや門、井戸、庭に
関して
土を動かす工事を行うと
土公神の怒りをかい、
祟りがあるという。

また、土公神は
かまどの神(かまど神)ともされ、
かまどにまつり
朝晩に灯明を捧げることとされる。

この神は、
不浄を嫌い、
刃物を
かまどに向けてはならない
とされる。

ニコニコこれ、本当のことです
わたしの父方祖母の家には
台所に、かまどがありました
かまどの上には
神棚があり、恵比寿さま、大黒さまが
ありました
もちろん、長年のうちに
煤で真っ黒なってました
灯明もつけてたし、 
小ぎれいにしてましたよ


『出雲の神門川と斐伊川』

〜神剣の謎6

八束水臣津野命は
大男ではなく
川の神

八束水臣津野命は
蛇体であり、川を意味し、
人間の姿では
アジスキタカヒコネになります。
京都上賀茂では
鴨川の神『賀茂別雷神』ですね。

ヒコネという名前から
アマツヒコネ(製鉄神)と習合し、
天目一箇神
(一つ目の龍、ひょっとこ)にもなり、
一つ目から
ダンダラボッチにもなっているんです。

志摩国を治めた
出雲笠夜命(志摩国造)と
出雲の出雲国造や二方国造は同族で、
熊野神社などもあり、

紀伊国の紀氏(紀伊国造)は、
五十猛命、大屋姫命、抓津姫命の
所謂
伊太祁曽三神を祀っており、

スサノヲに繋がる一族
(歳神と家宅の神)
という点で、

伊勢国、志摩国や、
その隣国の紀伊国と出雲には
深い繋がりがある

と言えるのです。

志摩では
大王﨑の大王が
ダンダラボッチで、

平安時代に
熊野や伊勢国、志摩国に進出した
九鬼氏の氏神が
上賀茂の賀茂別雷神だった事と、

先程の古代志摩を治めた
出雲笠夜命の信仰から
八束水臣津野命は
大男の大座法師、ダンダラボッチ
になったようです。

出雲風土記の記述が
大男をイメージするような
国引きであるのは、

あくまでも
八束水臣津野命が
超人的な神として描かれている
という事と、
国づくりを想起させるような
内容だからなんです。

実はこれは国ではなく、
 
国の母体となる
土地や土地神祭祀、方位神祭祀と
考えると、

水の神、つまり川の神である
八束水臣津野命が
自然の川として、
どのように変遷して
出雲の国の土地に関係してきたか
わかるのです。



【神門川は八岐大蛇を誘った門】


『出雲国風土記』には
神門川(かむどのがわ)
という名で記されており、

神門水海(かむどのみずうみ。
今の神西湖)に流入していた。

当時は
斐伊川も神門水海に流入しており、
土砂の堆積により
たびたび洪水が起こり、流れが変わった。

寛永十一年(1635年)と
十二年(1636年)の
洪水を契機に

人工的な流路変更(川違え)が実施され、
斐伊川は
宍道湖へと東流するよう固定された。

元禄年間までには
築堤も完成し、
神戸川の現在の流れが確定した。
wik参考


【八岐大蛇とスサノヲ】

スサノヲは
早速、準備に取りかかります。
まずクシナダヒメの安全を守るため、
彼女を爪形の櫛に変えて
自分の髪にさしました。
(櫛は水であり、細かな水路を意味します)

そして老夫婦に、
家のまわりに垣根を張り巡らせ、
その垣根に『八つの門』を設けること、
さらに門ごとに
全部で八つの桟敷を作ること、
そこに何度も醸造した
強い酒(ヤシオリの酒)を満たした
桶を置いておくこと、
などの指示を出しました。

神門は
門にいる夏土用の土公神ですから、
降雨や台風による川の自然災害であり、

スサノヲという
来訪神(方位神)祭祀(占い)が
水田の女神
(農耕の豊穣、櫛名田比売)を
守る話しなんです。

方位神の強い呪力で
土公神(土地神)の禍いを封じる、

これが
陰陽道の祭祀なんです。


酒呑童子(酒呑土神)の御伽噺にも
安倍晴明の占いが出てきますね。

*一条天皇の時代、
京の若者や姫君が次々と神隠しに遭った。
安倍晴明に占わせたところ、
大江山に住む鬼(酒呑童子)の仕業と
わかった。



『出雲国風土記』
〜神剣の謎7

古志郷(こしごう)の由来

伊弉那彌命(いざなみ)の時に
日淵川(ひふちがわ)を使って
池を築くことになり、
古志国の人々がやって来て堤を造った。
そのとき彼らが
宿としていた処であったことから
古志という。

*古志郷は
出雲国神門郡にある郷で 
律令制の施行により制定された
と考えられる。

『出雲国風土記』によれば、
伊加曾然(いかそね)という者が
この地に神門を奉ったことにより
神門臣の姓を賜り、
その神門臣が定住したので
その地を「神門」と
呼ぶようになったとされる。
郡家は古志郷にあった。

郡内の郷は
朝山郷 、日置郷、鹽冶郷、
八野郷、高岸郷、古志郷、
滑狭郷、多伎郷
の8郷です。

天平5年(733年)2月30日に
成立したとされる
『出雲国風土記』には
8の郷と22の里があったとされ、
以上の郷の記載があります。

古志は越、
つまり越の国とされていますが、

これは
北陸道鎮守の気比神宮の
土公祭祀に由来するもので、

古代(弥生晩期)より、
日本海沿岸や中国地方の
土公神祭祀、製塩祀りが
結びついたものであり、
祖霊や来訪神(陰陽道)が
更に習合した
農耕祭祀でもあるんです。

スサノヲという
来訪神(方位神)が
八岐大蛇という
土公神を鎮める、

禍いを鎮める神話であり、
国づくりに参加する
『八束水臣津野命』は、
国を破壊する
土中の悪い土公神
『八岐大蛇』とは
表裏一体ともいえるのです。


文、蛯原春比古さま








ありがとうございます!
わかりやすい!
(*'∀'人)♥*+

おもしろすぎます!

土公神は、地神
ともいわれています

四季には、土用期間が
ありますね
 

① (古くは「じじん」) 天つ神および天孫系の神々に対し、天孫降臨以前からこの国土に住み、その土地を守護する神。くにつかみ。

② 天照大神以下、この国土を治めた神々。皇統の祖神とする。→地神五代
※源平盛衰記(14C前)三〇「伊勢太神宮と申すは〈略〉地神(ヂジン)最初御神也」

③ 屋敷神の一種で、西日本では、じがみ、中部日本から関東地方にかけては、じじん・じしん・じのかみと呼び、多く宅地内の一隅(多くは戌亥隅)あるいはこれに接続した小区画にまつられている。また、特定の旧家に限っている例や村落の神に昇格した例も珍しくない。稲荷であったり、開拓先祖をまつったりしている場合が多い。

④ 土地の神。
※史記抄(1477)七「げにも乾為父、坤為母ぢゃほどに、地神は母であらうぞ」

 特定の家の田畑などに祀り,その田や畑を開拓した人を地神とするもの。田畑の守護神であると同時に,その家の開拓先祖として信仰されることが多く,祭場を屋敷内におき屋敷神としての機能をもつことがある。

  家人が死んで 33年を経過すると,地神と呼ぶ祖先神になるというもの。多くは屋敷の一隅に常設の祠 や藁でつくった仮屋に祀る。

ご先祖さまも
土公神、なんです!
 


昔から
家を新築する前に
墓所が損壊、古いならば
新しくしなさい
それが
家運を上げる大事なこと
いわれていました
「風水」ということを
知らない時代から
いわれ続けてきました

その事から
いかに、土公神さまが
大事であるか

和歌山県の伊太祁曽神社
五十猛命さまは
木の神様ですが
和歌山県では、土着神
として扱われ

黄泉の国の入口の神
として崇められているのです

土着神ー土公神
なんです

土用の神様は
黄泉の国の神様、とも
言えると思います

だから、土用期間に
犯せば
いのちの危険が伴う
というのです