和歌山県 神社巡り(6月17日)⑥ 丹生都比売神社 丹生は水銀 織姫星 | 最強運貯めガイドブック♥古事記、黄泉の国を知る事が大事だよ♥カミコトは記紀の歴史の真実を知る事

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黄泉の国を知ることは、あなたを早く変容させます!
記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
拝読感謝❤
漢方養生指導士で
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!
伊勢神宮と高野山の会員です。
主人のご先祖様は、羽黒山山伏です。

 

 

和歌山インターから入りました

 

 

ほんとは、ここも行きたかった~

華岡青洲~!

もう一泊すれば~良かったか

 

 

 

紀北かつらぎインター下車

 

 

 

本来ならば

109号線が一番いいのですが

 

「土砂崩れ 通行止め」につき

 

480号線を行きました

 

 

 

いよいよ、やってきました!

 

 

 

丹生都比売神社

 

四所明神

 

 

第一殿:丹生都比売大神

(にうつひめのおおかみ)

通称「丹生明神」
古くより祀られていた神
 

第二殿:高野御子大神

(たかのみこのおおかみ)

通称「狩場明神」
高野山開創と関係する神
 
 

第三殿:大食津比売大神

(おおげつひめのおおかみ)

通称「気比明神」
承元2年(1208年)に
氣比神宮(福井県敦賀市)からの
勧請と伝える
 
 

第四殿:市杵島比売大神

(いちきしまひめのおおかみ)

通称「厳島明神」
第三殿と同年に
厳島神社(広島県廿日市市)からの
勧請と伝える
 

 

 

 

 

 

 

 

太鼓橋 淀君の寄進です

 

 

鏡池

 

ウシガエルの鳴き声が

響き渡ります

 

 

空海が

金剛峯寺を建立するにあたって

丹生都比売神社が神領を寄進した

と伝えられ、

古くより高野山と

深い関係にある神社である。

 

神社背後の尾根上には

高野山への表参道である

高野山町石道

(国の史跡、世界遺産)が通り、

丹生都比売神社は

高野山への入り口にあたることから、

高野山参拝前にはまず

丹生都比売神社に

参拝する習わしであったという。

 

 

社務所

 

 

佐波神社

 

 

 

 

 

 

 

 

神社では

国宝の銀銅蛭巻太刀拵

(ぎんどうひるまきたちこしらえ)

を始めとする文化財

 

元寇の際には、

丹生都比売神社は

神威を表したとして

一躍有名となり、

 

幕府が当社に

異国降伏を祈願したところ、

大ガラスが飛び立ち

暴風が起こって

元の軍船を壊滅させた

御神威が理由とされる。


社格制度上では、

大正13年に官幣大社に列格している

 

公家・武家から多くの寄進を受けた。

この頃から、

紀伊国一宮を称するようになった

と見られている。

 

紀伊国では古くより

日前神宮・国懸神宮(和歌山市)が

一宮の位置づけにあったが

「一宮」の呼称自体はなく、

 

丹生都比売神社が

弘安8年(1285年)を初見として

「一宮」を称し、

以後一宮が並立した。

 

なお、他に一宮を称した神社として

伊太祁曽神社(和歌山市)がある。

 

 

今から1,700年以上前と伝えられる。
『丹生大明神告門』によれば、

 

丹生都比売大神は、

天照大御神の御妹神で、

稚日女尊とも申し上げ、

 

紀ノ川流域の三谷に降臨、

紀州・大和を巡られ農耕を伝えられ、

この地に鎮座せられたとある。


また、『播磨国風土記』によれば、

神功皇后出兵の折、

大神の託宣により、

赤土を賜り、

これを天逆鉾に塗り

船に立てたところ、

戦勝することが出来たため、

これに感謝し

応神天皇が社殿を造営され、

紀伊山地の北西部一帯を

神領として寄進されたとある。


今も大神を御祭神とする神社は

県内80社をはじめ、

全国約180社を数え、当社が本社である。

 

 

 

丹生都比売神

 

正一位勲八等 (『紀伊国神名帳』)

 

弘法大師は、

丹生都比売大神より神領を借受け、

高野山の壇上伽藍の御社に

守護神として大神を祀り、

真言密教の総本山を開いた。

 

 

 

高野御子神(狩場明神)

 

正一位 (『紀伊国神名帳』)

 

大神の御子の高野御子大神は、

弘法大師空海の前に、

白と黒の犬を連れた狩人に

化身して現れ、

高野山へ導いたと

今昔物語に伝わる。

 

 

 

びっくり

 

 

 

 

 

 

丹生都比売神社の神職は、

古来より

天野祝

(あまののほうり、丹生祝/丹生氏)

が担う。

『丹生祝氏本系帳』によれば、

丹生祝の祖は天魂命で、

紀氏祖の神魂命の系統を引くという

 

『日本書紀』に

神功皇后が

新羅より帰還された後の記事として

天野の祝(神職を意味する)が

登場することから、

神社の奉斎が

古くから行われていたことを示すもの

とされている。

 

びっくりびっくりびっくり

 

 

古来、高野山への参詣者は、

表参道である町石道を登り、

途中にある二つ鳥居から

まず当社に参拝するのが習わしであった。

 

 

 

 

 

 

佐波神社

 

(丹生都比賣大神他、合祀社)

 

 

 

春日造の檜皮葺!

素晴らしいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若宮社

天野検校行勝上人

 

行勝上人は、

丹生都比売神社の

第三殿・第四殿を勧請した人物である

 

 

 

土台は、もしかして

三波川変成帯の青石?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紀ノ川を

天の川に見立て

 

丹生都比売を

織姫(稚日霊女)とし

 

狩場明神

(南山の犬飼、

牽牛星の和名は

犬飼星、

犬飼星には

二つの伴星があり、

この伴星を

二匹の犬としている)を

牽牛としていて

 

丹生(拼音ニウ)を

牛(拼音ニウ)

 

宿曜にはない

「牛宿」

(牛宿には

織姫星や牽牛星が

含まれる)を

見本にした

高野山の場所選び

 

 

蛯原さまの

五行論、二十八宿に

照らし合わせた

この考えに

 

訪れて

みたくなりました

 

境内背後の尾根上には

高野山への表参道である

高野山町石道

(国の史跡、世界遺産)が通り、

丹生都比売神社への枝道

(八丁坂)への分岐点には

通称「二つ鳥居」と呼ばれる鳥居2基が並ぶ

 

空海、建立

 

二つ鳥居の理由は弘法大師を

高野山に案内したと伝えられる

「狩場明神」と
土地の地主神である

「丹生都比売明神」を

遙拝するためと云われている。

 

 

 

 

両部鳥居は

神仏習合の名残

 

金剛界と胎蔵界の両部は

而二不二

(二つでありながら一体)である

とするのが

真言密教の教学の根本思想