『にゅうもん!』第16回『宇宙の戦士』 | 高い城のCharlotteBlue

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書評家アイドル 西田藍さんの、書評を紹介してゆきます。
基本的スタンスとして、書評でとりあげている作品は読んだことがあるとしています。
ネタバレを気にする方はご注意ください。

 

『にゅうもん! 西田藍の海外SF再入門』2017年8月号 第十六回はロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』だ。

 

 『にゅうもん!』は自分で本を選んでいるのではないらしい。ハヤカワの編集部がセレクトしているとか。もちろんSFマガジンの特集との関連もあるから、それなりの意図で選ばれるのだろう。

 というわけで、ミリタリーSF特集なのでハインラインの『宇宙の戦士』。

 これもまあ、オールタイムベストだし、ミリタリーSFのテキストとして持ってくるのはわかる。

 でもハインラインだぜ?

 西田さんとハインラインと言えば『夏への扉』だ。『にゅうもん!』第二回において、この超有名作を「気持ち悪い」の一言で、ばっさりやったのは印象に残っている。

 『にゅうもん!』では同じ作家を二度以上取り上げたことはなかった。正確にはcakes版の第二回で『虎よ、虎よ』を、2017年2月号のディストピア特集の特別版で『破壊された男』を取り上げているので、アルフレッド・ベスターは二回と言えるのだが、どちらも番外編的な感じだしな。

 まあ、ハインラインに挽回のチャンスを、ということにしておこう。

 

 この『宇宙の戦士』について、西田さんの評は写真の横に書かれたキャプションに集約されている。

 

清々しいほどの、反戦感ゼロです!

 

 まったくもってその通り。以上! 解散!!

 ここからは、ただ僕が語りたいことについて、余計な駄文をつらつらと並べることにする。あ、いつもと同じか。

 

 『宇宙の戦士』と言えばパワードスーツでしょ、というのはSF者の常識だ。映画化された『スターシップ・トルーパーズ』では映画の出来はさておき、公開前から「パワードスーツが出ない? はあっ!?」という反応が多かったように思う。

 しかし、西田さんはそれよりも注目すべきは社会体制の方だと言う。


健康で、適正があって、その適正に沿ったカリキュラムを最後まで終えることができるものだけが、市民になることができる。 


 この世界は二年以上の軍隊経験がなければ、市民権がない。行動や福祉の制限は無さそうだけど、政治参加はできない。西田さんの表現を借りれば、ただ税金納税するだけだ。その使いみちを決める権利など有りはしない。

 シビリアン・コントロール? なにそれ、おいしい? てなもんだ。

 軍国主義忌避の戦後日本教育を受けてきた者としては、ちょっとたじろぐところ。

 ただ、作中の軍人には、悪人は一人もいない。肉体的にはもちろん、精神的にも鍛えられていて、冷静沈着、責任感が強く、常にベストを尽くす人たちだ。

 実際、作中の退役軍人達は悠々と余生を過ごすのではなく、歴史・道徳哲学の教師として積極的に社会貢献している様が描かれている。しかも彼らは名誉などというお飾りでなく、市民権という明確な特権を与えられている。この点は、西田さんも肯定的に指摘する。

 彼らなら、ノブレス・オブリージュの精神で国民のために尽力するだろう。

 

物語の熱さにもほだされて、一見、この社会には問題点はないように思える。いい話だったなあ、としみじみページを閉じるが、これは、本当にいい話だったのだろうか?


 この世界がディストピアなのは、何よりもそれだ。

 ふと「もしかすると、こういう世界は割といいかもしれない」と、思わせてしまうところだ。そういう意味では、『宇宙の戦士』はかなり良いディストピアSFだ。まあ、ハインラインはユートピアだと思っているかもしれないけれど。

 実際には、この構造は戦争が続かないと成立しない、と西田さんは指摘する。

 そして戦争が続くが故に、主人公ジョニーはいつまで経っても市民権を獲得することができないのだ、と。そして戦争が続くと、市民としての適正を持った人たちから先に死んでゆくのではないか、と。

 

 そして、戦争中に強いストレスにさらされたことに起因して、帰還兵が鬱やPTSDを発症したり、自殺率が高かったりということがあるのを挙げ、どんなに軍人達が素晴らしい人たちだったとしても、この世界は肯定できない、と言う。

 

 この意見は納得できる。

 戦争というのは、そんなに能天気なものではなく、やはり殺し殺されの世界では相当なストレスがかかるはずだ。主人公の親友は戦死してしまったし、士官学校の同期も帰って来なかった。

 そのあたり、まだハインラインには認識されていなかっただろう。帰還兵の苦悩が認知されるのはベトナム戦争以降だ。『ランボー』の原作の『ひとりぼっちの軍隊』とか。映画ならデ・ニーロの『タクシードライバー』か。

 『宇宙の戦士』が上梓されたのは1959年(!)。ベトナム戦争終結は1975年だ。

 だから、西田さんは「やはり、このような物語で、全てを肯定したくはない。」と言っている。

 

 おそらく、ハインラインは戦争が好きなのだろう。ただ、人を殺したいわけではないので、敵はコミュニケーション不能の虫型エイリアンだ。

 そして、ハインラインの考える、最も優れた、高潔な人物像というのは「士官」なのだろう。

 高校の道徳の先生も、新兵訓練所の教官の軍曹も、小隊の隊長も、士官学校の校長も、みんな立派な人たちだった。

 既に、こういうところがディストピアなのだ、ということは書いた。だが、ハインラインが士官ばかり書いたことで、良いこともあったと思う。

 この作品に出てくる女性は、基本的に士官ばかりだ。しかも、ほとんどは艦長だ。※

 男性と対等な立場にあり、職務に忠実で責任感の強い、ハインラインの理想の人物像の一角を担う人々だ。

 だからこそ、変なバイアスがかからずに描かれている。このあたりが『夏への扉』と違うところだ。

 西田さんは、冒頭でこう書いている。


私と嗜好を同じくする皆、安心してほしい。そんな心配は無用だ。熱い物語だぞ!


  その通り。僕は『夏への扉』での西田さんの感覚に共感できた者だが、この『宇宙の戦士』の爽やかな熱さも共有できる気がする。

 OK.ミスター・ハインライン。良かったなあ。挽回できたぞ。(どこから物を言ってるんだ)

 

 

※別に男女で入隊が制限されているわけではなさそうだけど、海軍である艦隊の士官が女性ばっかりで、陸軍の機動歩兵が男ばっかりなのは何故なんだ?