廣瀬神社が鎮座する北葛城郡河合町川合は、その名の通り、葛城川、佐保川、曽我川などいくつもの川が大和川と合流するところ。明治の中ごろまで物資の集散地として賑わった。 ただ、一帯は沼地であった。そんな地にあって、廣瀬神社は、水田を守り、河川の氾濫を防ぐ水神を祀る神社として古くから信仰されてきた。 * 昔、河合に藤(ふじ)時(とき)という里(さと)長(おさ)がいた。ある日の夕方、家の外に神様が人の姿で現れた。顔の美しい若者で、花模様の着物を着、芳(かぐわ)しい香りを漂わせていた。そして里長にこう言った。「お前の家の北に池があろう。 あれは水足池で、底は深く、竜王がすんでいる。そこで、その池の上にご殿を造ることにしよう。承知するか」と。 藤時は困った。「池の上はいつも波が高いので、わたしら人間は、とても泳いでご殿は建てられません」 すると、若者は言った。「おまえたちは水に溺(おぼ)れることを恐れているようだ。もし、池の水をなくして平地にすると、ご殿を造ることを承知するか。そのしるしは、翌朝見られたい」と言って姿を消した。 翌朝、驚いたことに、水足池は、水のない平らな地に変わっていた。そこで、藤時は、大工を呼んでご殿を建てた。これを水(みず)足(たる)明(みょう)神(じん)という。 このことを、急いで朝廷に伝えると、天皇の使いである勅(ちょく)使(し)の人たちがきて、厳かにお祭りをされたという。 * 廣瀬神社の創建にまつわる言い伝えも、ほぼ同じ。崇神天皇のとき、水足池が一夜にして陸地となり、橘(たちばな)の木が多く生えた。これが天皇に伝わり、社殿を建ててお祭りをした、と。 今、朱色の大鳥居をくぐると、長い参道が続く。大樹が深々と天をおおい、冬の柔らかな木洩れ日と鳥の声が、ゆっくりと古代の神域にいざなってくれる。 |
氏神様でもある奈良県 廣瀬大社さん。
奈良県のホームページに、ならの昔話として龍王の池、水足池の伝説が紹介されていました。
以前、廣瀬大社さんに初詣に行った際に炎の写真を撮りました。
炎の中に鬼神のような姿の人と龍神が現れていました。
写真を見てビックリし、廣瀬大社の歴史を色々調べたんです。
何故鬼神と龍神が現れたのだろう、と思い。
奈良県のホームページに廣瀬大社のお話が掲載されていました。
これはわかりやすく書いたものでしたが、調べたら色々深いものがあるようでしたが、その廣瀬大社のお話がこれです。
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と、いう伝説がある通り、水足池には龍王が住んでいたのでしょう。
写真に現れた、龍神がその龍王なのかな、と思いました。
赤い鬼神は誰なんでしょう…
そして、この神社には今も小さくなったようですが、水足池はあります。
龍王を祀る、「水足明神」の祠もあります。
こちらが水足池と、水足明神の祠です。
そして廣瀬大社さんはこちら。
うちの犬も居ます(^^)
廣瀬大社と、龍田大社は対の神社として縁が深いと言われていましたので、先日は龍田大社にも行きました。
廣瀬大社に行くと、龍王様がいる水足池に行ってお参りすると龍神様と会えるかもしれません。