チケット業務が始まる。 | 結月美妃の“あれアレこれコレ”

チケット業務が始まる。

 結月でございます。

 

 マロオケ船橋公演のチケット発売は、11月3日から。あと10日くらいに迫っているので、チケットぴあやイープラスなどプレイガイドとの配券確認作業が始まりました。

 

 配券した座席一覧と座席表を睨みつけながら間違いがないか確認するもので、これはかなりハーデストジョブ。

 

 間違えて登録して同じ席にチケットを二重に発券してしまったら大変なことになるからで、一番責任のある作業と言えるでしょう。

 

 コンサートは華々しいけれど、実はこういう地味な作業が最も重要。

 

 わたしは事務作業は絶望するほど苦手だけれど、こうした作業はそれほど苦手でもなく、たぶんそれはチケットを売りたい気持ち、つまりこのコンサートを満席にしたくて、すなわちマロオケというすげーコンサートを聴いてほしいというエネルギーがあるから苦手だと認識しないのだと思う。

 

 こういうエネルギーはひとえに「愛」なのかもしれない。

 

 そういえば、先日、横尾忠則がツイッターで、「やりたくないことをやるから疲れるのであって、やりたいことをやっていれば疲れない」みたいなことをつぶやいていた。

 

 当たり前のことだけど、やりたいことだけやってきたひとの言葉は説得力がある。

 

 つまり、ほとんどのひとはそれはわかっちゃいるけど、やりたいことだけで生きていけない。それはしょーがないと妥協してしまうからだろう。

 

 会社の仕事なんて、総じてやりたくないことだから疲れる。会社という組織で、やりたいことだけができるなんて構造上あり得ないからね。

 

 幸いわたしはコンサートに関しては、やりたいことだからそれに関するどんな作業でも疲れない。もちろんいろんなリスクや思うようにいかないときのプレッシャーはすさまじいけれど、結局は自分でやっていることだから責任は自分にあるし、そこは諦めているから他者に対してのストレスがない。

 

 しかし、自分が始めたことには自分に責任があるという理屈を普通に受け入れられているのは、そこそこのレベルになったんだなと思う。

 

 なぜなら、自分が始めたことなのにうまくいかないと、他人のせいにしてしまうのが自然であり、どこかで責任をすり替えて正当化したくなるのが人間。

 

 まあ、そうやって愚痴ってガス抜きしないと精神的にやってらんない状況だとそうなるんだよね。

 

 それがスタートであり、それを克服できれば、自分がやったことは他人は関係なく、自分の責任なんだと理解できる。

 

 これはひとつの境地だと思う。ただ、これは普通のサラリーマンではなかなかたどり着けないでしょう。なぜなら、会社って責任のなすりつけ合いだからね。

 

 それに会社の中でそもそも自分がやりたくて、自分が責任を負う立場で、自分でやってしまえることなんてそうはないから、自分がやりたくとも他者が絡んでくる。

 

 なので、普通は会社では自分で始められないんですよ。

 

 その状況下では、自分がやることはどんな結果でも自分の責任とい理屈は習得できない。

 

 ですから、長年サラリーマンをやっていて、のちに独立なり、退職したようなひとと話したりしても、

 

 「やっぱ、このひと、サラリーマンだな」

 

 と思うことは多々あります。責任から逃れることは考えるけど、責任を負おうとはしないですね。

 

 わたしはサラリーマンなんて1年と数か月しかしたことがなく、しかもその会社も全然大したことないところなので、幸いに、というかサラリーマン根性はまったく身につきませんでした。

 

 しかし、日本もいい加減、アメリカとか中国みたいに会社に勤めていても、

 

 「この会社じゃ、自分がやりたいことできないから、辞めて他に行くわ」

 

 と、そういう転職が普通になればいいのにと思う。

 

 「やりたいことができるほど、世の中はあまくはないよ」

 

 なんて、年配者が言いそうだけど、やりたくないことをやって過労死したり自殺してるんじゃしょーがない。

 

 それに今はやりたいことをやる気持ちがないと、逆に務まんないよ。

 

 昔は年配者が言うことは含蓄があったかもしんないけど、今は時代が変わりすぎて、年寄りのアドバイスなんて使用不可のウザったい雑音でしかない。

 

 かと言って、若さも頼りないね。

 

 わたしも今よりも若い時の自分を振り返ると、物事の道理がわかってなくて、本当にクソだったなと思うので、若さも評価しません。

 

 年は取るけど、古くならない人間がいいんでしょうね。