進化を拒むと、老ける! | 結月美妃の“あれアレこれコレ”

進化を拒むと、老ける!

 結月でございます。

 

 銀座から移転してちょうど2週間。それなのにまだ電話が開通してないんですよね。

 

 光回線が通らないとか、なんだかメンドーなことをやっていて、足踏み中。

 

 とはいえ、もともと電話はセールス以外はほとんどかかってくることがなく、今日日、問い合わせはメールなので、電話はなくても困ってないです。

 

 一層のこと、ふたつある電話回線を両方ともやめにしてしまって、モバイルの番号だけにしちゃおうかと思ってるくらい。

 

 どうして回線がふたつもあるかというと、それはバイオリンのオルフェ銀座ときものの結美堂で分けるたけではなく、クレジット決済の端末が5丁目時代に壊れて、「それは回線のせいで機械は悪くない」と、端末をチェックもせずに電話で言われ、回線をふやさないと新しい端末をくれないと言われたから。

 

 それでしょーがなく回線を増やしだんだけど、そんなクレジット決済の端末もスマホアプリの決済を使うようになって、ぜーんぜん、使ってない。

 

 時代の進化で、今は信販会社はかなりスマホアプリにもっていかれていると思う。

 

 そんな時代には固定電話が正直要らないって感じてます。

 

 一昔前だと、固定電話がないと怪しい業者みたいに思われたけど、今は個人では固定電話のほうがニッチになったせいもあり、モバイルの番号でも抵抗ない。あとはモバイルのほうがいつでもつながるという認識も普通だしね。

 

 それにファックスは全然使わないから要らない。

 

 聞くところによれば、アメリカの博物館では、歴史的遺物としてファックス機が展示されているらしく、今でもファックスを使っている国は日本くらいだそう。

 

 わたしは全然使わないけど、使っている会社は結構あると聞く。

 

 それは上司がネットに疎いジジイとかのケースが多く、ラインでやり取りする時代にファックスで紙でやってあげないとわかんない世代のせい。

 

 仕事の効率化のためにはそういった時代遅れの遺物のような社員はクビにすべきだと思うけど、そうもいかないのが世の中。

 

 ともかく、なくても困らない固定電話の2回線をやめちゃうか、ひとつだけにしてしまうかで、コスト的にはだいぶ変わってくる。

 

 あと、通販サイトのクレジット決済も今、解約手続きしてます。

 

 あれって、定期的にかかるので、売れた分だけ手数料を払うBASEみたいなものがトレンドの今、ああいうのはもう違うと思う。

 

 年間にしたら結構な額なので、解約でスリム化。

 

 ともかく、アキバに移転して、とても楽になったというか、それは通勤時間が半分になったこともかなり大きいけど、スペース的にもコンパクトになって、むしろ仕事に集中できる。

 

 銀座のときはシャンデリアの照明の下、注意が散漫になりやすく、ギュッと集中してという感じではなかった。

 

 今は執筆するにもよさそうだし、レッスンするにも十分だし、とてもやりやすい。

 

 引越しのときにかなりのモノを処分して、メタボだった銀座からかなりダイエットした感じ。

 

 それに伴って、時代が変わって無駄なまま残りつつ、コストがかかっていたものをそぎ落としていこうということですね。

 

 さて、移転してまだアキバや御徒町などを散策できてなくて、この周辺はどんなところなのかさっぱり知らないわたし。

 

 それよりか今日もいろんな仕事をこなしていたら、あっという間に4時間くらい経ってしまっていて、ビミョーなフィーリング。

 

 銀座だったら気分的に4時間ぶっ通してという感じでなかったけど、ここではそれができる。

 

 やっぱ、環境って大事だね。

 

 しかし、4時間経って、全然達成感がないというか、結構な数のメールを打ったりしたけど、そりゃ、達成感があるような内容じゃないから仕方がない。

 

 ともかく時間って、すぐになくなるんだなと新天地で実感していて、銀座のときは要らない電話回線と同じく、時間も無駄にしていたことが多かったと思う。

 

 と、そんなことを言いつつ、ブログなんて書いてるヒマ、あんのかよ?

 

 いえいえ、ブログ書いてるほうが調子がいいの。そして、こうして書いている間にいろんなアイデアや方法が思いついてきて、それをここに書き留めているからね。

 

 ひとと話しているとき、特に生徒さんたちと馬鹿話をしているときって、わたしの場合、アイデアが弾けるようにわいてくる。

 

 きっとひとと話すことで、ヒントを得られているんだろうね。そして、ブログは自分とのお話の意味合いもあって、自分が他人になりつつ対話している。

 

 さて、移転してきて何がいいかって、それは悲願のウォシュレットがあるってこと。

 

 銀座の店舗は、ビルがすごく古かったからエレベーターもなかったし、トイレは共同でいかにも昭和な和式だったからね。

 

 やっぱ、ウォシュレットはいいね。しかも、自動的に水が流れる。

 

 しかし、あの自動に慣れちゃうとだね、ひとの家とか、どこかのトイレでうっかり流し忘れてしまうリスクってあると思った。

 

 ところで話は戻るけど、ひとと話しながらいろんなアイデアが出てくる。

 

 基本、人見知りで、人間嫌いなわたしが少人数で話すのは好き。たくさんのひとの前でひとりで話すのは苦手だね。

 

 講演がうまいひととか政治家って、ひとりで大勢の前が好きなひとたちだね。

 

 ホリエモンは講演が嫌いだそうで、だから対話形式でイベントをしている。

 

 わたしも対話が好きで、それはやっぱりひとの話からヒントがたくさん得られるから。

 

 大勢の前でひとりだと、ヒントが得られないし、自分が言っていることが正しいとか自信あるとかでないとできない。

 

 わたしは自分が正しいとはあまり思ってなくて、正しいと今は思うことでもそれは経験を重ねれば「いや、違ったかな」と思うし、正解をひとつに固定できない人間なんだよね。

 

 クレジット端末が要らなくなるように時代は進んで、かつ変化しているから、ずっと正しいなんてものはそんなにはない。

 

 だから、自分にはないセンス、アイデア、発想、そういったものを他人との対話で得られることがおもしろい。

 

 何が正しいかを自分が考えるより、自分にないものを取り入れながら、今まで自分になかったものを生み出すほうがおもしろい。

 

 わたしが一番つまらないと思うものは、すでにあるものを踏襲することだとか、すでにあるイメージを壊さない保守的なこと。

 

 進化の要素がない、進化を拒む、そういった立場はつまらない。

 

 ただ、完成されて、これ以上は進まないほうがいいものってある。

 

 例えば、着物。

 

 着物は時代を経て、今の形になっていて、大昔だったらものすごい重ね着をしていたものが削るだけ削って今の着付けになっている。

 

 そして、美しさにおいては、京友禅の古典柄ですでに完成されている。

 

 これを変にいじくりまわして、意味不明な趣味の悪いものを作ってしまったり、モダンと称して美的な観点からはゲテモノにしか見えないものを作るのは進化とは言えない。

 

 破壊は何のためにあるかというと、さらなる美しさのためにあるわけで、ゲテモノな着物を作るのはイスラム国が遺蹟を破壊するのと同じ。

 

 ちゃんとした進歩のために破壊が必要なんだよ。楽に、要領よく、負担なく仕事がこなせるためにメールやアプリがあって、その進歩のためにファックスは破壊しなくちゃいけない。

 

 つまり悪ふざけな破壊はいけなくて、次の新しい試みをやるために古いものを破壊しなければならない。

 

 とにかく、すでに在るものはおもしろくない。今ないものを作るのがいい。

 

 日本人はすでに在るものをコピーして発展させるのはうまい。ところが今ないものを生み出すのはへた。

 

 すでに在る自動車を徹底的に研究して、自動車を造るのはうまい。でも馬車しかなかった時代に、自動車というものを発明したベンツには敵わない。

 

 もっと日本人の思考を変えるべきなんじゃないか?

 

 すでに在るものから発想を得たり、すでに在るものの自分バージョンを作るようなメンタリティーは捨てて、今ないものを生み出すことをプロジェクトにするメンタリティーにする。

 

 周囲の目を気にするってことは、すでに在るものの価値観を気にしすぎてるってこと。

 

 すでに在るものなんてね、見たことがあるものだから、大した価値はないんだよ。

 

 そういう意味でもアキバのほうに移ってよかったって思ってます。

 

 アキバって怪しいものをはじめ、いろんな今までにないものが生まれているから。

 

 銀座じゃできなかったね。銀座は銀座っていうステレオタイプなイメージが強すぎて、すでに在る銀座っていう規格におさまらないといけないような空気がたくさんあったから。

 

 でもね、新しいことを生み出そうとしていると、年は取りませんよ。

 

 逆に進化を拒んで、変わろうとしないひとはすごく老けます。