嘘なキレイは要らない。 | 結月美妃の“あれアレこれコレ”

嘘なキレイは要らない。

結月です。

ボクシングを見ることは好きなわたしはテレビのコンセントをさした。

テレビは全く見ないので、コンセントはいつも抜きっぱなし。

ボクシング中継の前に「サザエさん」がやっていて、昔からつまんないと思ってたけど、今見て、ゲッソリするほどつまんなかった。

脚本がひどいのに加えて、あんな価値観、どうやって共有できるんだろう? あれ、どんなひとが見るのか、すごく疑問。

サザエさんって、すでに歌舞伎とか能楽みたいに変化できない伝統化して、固定ファンしか見ないものになってる。キモいよ。

でも、フジテレビはクソな選挙の番組でなく、ボクシングを選んだのはグッド。

とにかく、政治っていうか、特に今回の選挙はクソすぎて、

「やる意味、あんの?」

と、わたしは投票用紙はすぐに破いて捨ててるので関係ないけど。

関係ないのに世間は騒ぐからウザい。

しかし、小池ってなんなんだろうね。

わたしは都知事選のときから小池の悪口を言ってるけど、当時は豊洲は安全、都知事なんて舛添でオッケーと言ったら総スカンなほど小池フィーバーだった。

それが今はこの有様。それは小池がというより、小池フィーバーに加担していた民衆のクソぶりなのよね。

手のひら返したみたいになるんだから、民衆は小池よりひどい。民主主義って、その程度のものなんだよね。

これから党をやめたり、復帰したりが疑いもなくなされるのが普通になって、選挙自体の意味がなくなると思うよ。

だって、選挙後にいくらでも党を変えられるんだったら、政党政治がそもそも成り立たなくなるから。

さて、そういった政治家の言葉のごとく、キレイを装って演出するやり方はそれからますます見放される。

久しぶりに見たテレビの嘘臭さが見るに耐えなくて、それっていいことしか書いてない見てくれのいいホームページみたいな感じ。

内容とはかけ離れた体裁を大げさに演出するものはもう駄目だね。

今はB級の、生活感ある、マジなリアリズムな時代ですよ。

ああ、映画の歴史を思い出した。

劇を作ろうとする嘘臭さの反動でイタリアンリアリズムが生まれ、同じく撮影所で撮る嘘臭さの反動でヌーベルバーグが生まれたこと。

今はリアリズムの時代ですよ。