環境に伴って、ひとは変わる。 | 結月美妃の“あれアレこれコレ”

環境に伴って、ひとは変わる。

 結月でございます。

 

 一昨日に銀座からアキバに移転して、ずっと後片付け作業。

 

 最初は足の踏み場のない状態で、とこから手を付ければいいのか、些か絶望的になりつつも、ダンボール箱はひとつひとつ着実に減っていき、床が随分見えてきた。

 

 テーブルはまだ使用できる状態にないにせよ、昨日は早速バイオリンのレッスンをしたし、なんとかなるね。

 

 今日、やっとノートパソコンを掘り出し、この二日でたまっていたメールに返信したりした。

 

 でも、電話回線はまだ開通していなくて、ネットはスマホ接続。

 

 NTTの段取りが遅すぎて、

 

 「NTT遅すぎる。日本、死ね」

 

 さて、とりあえずパソコンを開いて、作業が銀座のときよりもずっと集中できて、すごくいい感じ。

 

 環境が変われば、ひとも変わるもので、今まで銀座の店は19世紀末的退廃ムードを演出していたから、来るひとはくつろげても、仕事をシャープにこなすにはちょっと雰囲気が違っていた。

 

 移転したところは照明も異なる。これが大きい。

 

 色温度が高めのせいもあるね。

 

 これからバイオリンとキモノの情報発信をしたいと思っていて、たくさん書かなければならないから、すごくいいよ、この場所。

 

 先月から移転準備が始まって、まったく集中できずにいたから、早く時間を取り戻したいって思ってる。

 

 女子オケっていう大人になってから弦楽器を始めた女子たちでまずは弦楽団を作り、活動もしたい。オーケストラは楽器を弾くことの最も大きな感動を得られる場だから、それを体験させたい。

 

 内容はそこらへんにあるアマオケとは違ったアプローチをするつもり。ありきたりなアマオケなんて全然おもしろくないんで。

 

 あとは、来年のマロオケだよ!

 

 船橋公演だからね!

 

 今、チラシはもうほとんどできていて、チケットぴあなどプレイガイドにも登録完了。

 

 チケット発売は、11月3日。結美堂マロオケ窓口でも扱いますので、去年サントリーに来てくださった方は、また一緒にあの大感動を共にしよう!

 

 しかし、マロオケは楽しみ。だって、すごい演奏するからね。言っちゃ悪いけど、あんな演奏は、プロオケの定期演奏会なんかじゃそうは聴けないと思うよ。

 

 やはり、マロオケはいつできるかが未定であって、企画が立ち上らないと開催されないし、しかもあれだけのメンバーのスケジュールを調整して一か所に集めることが至難の業。

 

 つまり、聴き逃すと、今度はいつ聴けるかわからない正真正銘の希少価値があるから、だからこそ、メンバーだって本気の本気で、そして音楽を思い切り楽しもうとするから、すばらしい演奏になる。

 

 そして、船橋公演は、モーツァルトの35番にメンデルスゾーンの4番、そしてベートーヴェンの7番だからね。これはもう最高だよ!

 

 これから本番当日まで、わたしはチケット販売や広報活動をやるわけで、

 

 「ううっ、また始まってしまった…」

 

 なかなかこれは大変な仕事だけど、マロオケだからまたやろうと思える。苦労が苦労と思えなくなるのはマロオケのサウンドがあってこそで、さらに最高の演奏にするには客席がスカスカなんてことじゃ駄目。

 

 なぜなら、音楽は演奏者と聴衆の偉大なる共有があってこそ成立するもので、いい音楽を実現するには、いいお客さんをたくさん集めること。音楽は演奏者がうまければいいってものじゃない。お客さんと一緒に創り上げていく感動なんだよね。

 

 さて、まだ移転の後片付けも終わらぬ次の日曜からわたしは生後10か月の結美堂チアリーダー、シャンシャンを連れて、京都へ行かなくちゃいけない。

 

 一か月ほど、京都の実家に預けるためで、日曜の夜中に愛車を走らせて、真夜中の高速を走り、早朝、京都着予定。

 

 移転で結構疲れてるけど、クルマの運転は好きだから、やりきれる。好きじゃなかったら、きっと憂鬱だろうけど、好きこそエネルギーだよね。

 

 しかし、引っ越しがあったせいで、今週はシャンシャンに会ってない。2週間になるから、きっとさらに成長している。

 

 1週間でも大きくなったなって思う。表情が大人っぽくなったとか、しっかりと立つようになったとかね。

 

 2週間会ってないと、寂しいね。シャンシャンは可愛いよ。何か気に食わないことがあったら、思い切り泣くけど、その泣く顔や声も可愛いね。生命力を未来に向けて発散させている。

 

 感情が原始的エネルギーに満ちていてすごくいい。芸術だと思う。岡本太郎の世界だよ。

 

 人間は大人になるにつれて、そういた原始的エネルギーを失っていく。

 

 赤ちゃんが泣くと、とやかく怒る親や大人がいるけど、それは大きな間違い。

 

 未来に向かうエネルギーに怒っちゃいけない。それは大人の理屈や都合を押し付けているだけだからね。

 

 わたしはひとつ強く決めていることがある。それはシャンシャンに対して何があっても怒らないこと。

 

 シャンシャンが大きくなって何かしでかしたとしても怒らない。それが過ちだったとすれば、わたしはこう思うという提案はするけど、頭ごなしに怒ることはしない。

 

 人間、怒って何かいい結果が生み出せるかって、全然そうじゃない。怒ると大抵は悪い結果にしかならない。

 

 わたしもあまりに理不尽なことを言われたりすると怒るときはあるけど、それでも随分怒らなくなったって思う。

 

 自分はこうしたい、相手はこうしたいって、つまりそれ、否定の応酬なんですよ。

 

 自分がこうしたいって思うことは相手を否定することだし、相手がこうしたいっていうことは自分に対して否定を浴びせている。

 

 だからね、哲学って大事だと思う。

 

 互いが否定し合っては、互いが怒るだけで何もいいことはない。相手の否定と自分の否定をどちらがいい結果を生み出すか、それを客観的に見て、検証し合う頭がないといけない。

 

 その客観性で見る善悪の彼岸が哲学だと思う。

 

 否定の応酬にならないために、客観的に考えられる力、そして相手がどういう立場にあるかという想像力、それらをひっくるめて冷静に検証して、解決できる頭がなければならない。

 

 否定の結論を出さなければならないときは、客観的な裏付けがあってこそ。感情の否定だけはよくない。

 

 さて、移転してスタートダッシュでいこうと思いつつ、京都に数日ワンクッション。

 

 新しい場所で、また新たな自分を創っていこうと思います。

 

 さあ、残りの片づけをするかな。時間は未来にしか、進まない。