星野監督 | yuzuinc-officialのブログ

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愛知県名古屋市を中心に飲食店を展開しているちっちゃな会社のオフィシャルブログです。
時には食べ歩き、時には熱く、時にはクールに。
飲食大好きなメンバーが綴っています。

おはようございます。當山です。


今日は朝から信じられないニュースが…

星野監督が亡くなったと。


そうなんですよね。

僕の中では「監督」のままですね。

名古屋人だから やっぱりなんかね…寂しい。


星野監督が中日の監督になった1987年に

初めてナゴヤ球場にプロ野球を見にいきまして

当時 確か小学2年生。友達と。

中日×阪神戦でしたね。

まだ阪神にバース 掛布がいたときです。


なんか その日のことは 鮮明に覚えててね…

ワクワクしてたんでしょうね。

心が記憶してるんですねー

そこから 僕のドラ吉人生は始まりましたね。

翌88年のリーグ優勝で

もうドラゴンズの虜になりました。

あの優勝を決めた試合の最後。

三振で決めた郭源治のガッツポーズが

たまらなくカッコよかったなあ(笑)






幼心の中にも「監督」というのはこうゆう人。

ってのがあったんでしょう。


「熱血!」「闘将」

「感情をモロに出す!」「愛情」……


それが自分の中に指針としてずーっとあって

大人になって 自分が仕事で上の立場に

なっていくにつれて 星野監督みたいな

熱血スタイルがスタイルになっていった、と…。



いつのまにか 僕はそのスタイルが

なくなっていきましたけど 星野監督は

ずっと「熱血」でしたね。楽天の監督のときまで。

カッコいい人です!

男が惚れる男なんでしょうね。



星野監督は選手時代を含め

サインを書くときに横に必ず「夢」と

記してました。

昔 監督の著書を読ませてもらったときに

その理由が書いてありました。



「どんな立場でもどんな人生でも

お互いに夢を持って生きたいですね」



確かこんな風に優しい書き方で。



今の時代 「夢」というのを

口に出したりするのが ダサいというか

そんな風に捉えられる時代でもあると思うんです。

「夢」を見れる時代じゃない。みたいな…



監督はただ闇雲に夢を見つけなさいと

解くのではなくて現実的な捉え方を記してます。



「夢とは常に自分自身と向き合っていくこと」

「自分は何をしたいのか?わからない時期も

あるが わからないのでなく見つからないのでなく

それは自分で見つけていかなければならない」


そして最後にこう記してありました。



「夢はいつも自分の手元に置いておけ」



人それぞれやりたいことがあるし

こうなればいいなぁと思ってることが

あると思うんですけど

それも1つの「夢」であって

大きいも小さいもないんではないでしょうか?


その「夢」を口に出しにくい昨今だからこそ

敢えて口に出すことで「夢」が

近づいてくるのかもしれません。





星野監督 ありがとうございました。


ご冥福をお祈りいたします。