ちょっといつものどん耐とは違うけど、まぁ耐えなくても良いのでご覧ください。
ここでいうファントム氏、とは2014年のNHK杯からの「オペラ座の怪人」のことです。
赤ファントム氏ではありません(チキショー)
当時をリアタイでご存知ない方。ぜひ全文読んできてね。
2014年11月30日付のスポーツナビです。
FSの翌日のインタです。
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201411300002-spnavi
昨日は本当に悔しくて悔しくて悔しくてどうしようもなかったです。
ちゃんと冷静に考えられていなかったと思うのですが、一夜明けて一番最初に出てきた頭の中に残っている言葉は『ここまで滑れるのは奇跡的だな』と。その奇跡を起こしてくださったのは、まぎれもなく自分のチームであり、周りの方の応援だったりということもあったので、皆さんのおかげだなと思いました。
(ジャンプについて)
中国杯のときはけがをしたけど、焦っていなかった。
今回と中国杯の違いは焦っていたか、そうでなかったかだけだと思っています。
その焦りが今回はすべてに響いたと思います。
インタビューとかでも全部言葉が速かったし、6分間練習だったりも落ち着こうとはしていたんですけど、『周りを見なきゃ』という自分の潜在意識みたいなものがあって、集中しきれなかったのではないかと自分では反省しています。
集中できるときって、今やるべきことに集中しているという感じはあるんですけど、何をすべきかが分かるんですよ。
でも何をすべきか分かっているのにできないというのは今回初めてでした。無意識にいろいろな方向に目が行っていたように感じます。自分のすべきことに集中していなかったのかなと。
(6分間練習で『もうぶつかりたくない』という意識が働いた?)
そういう意識はなかったかと言えばあったと思います。
特にフリーの、6分間練習でぶつかったときの軌道のフリップの前では本当はジャッジサイドを見てすぐにフォアを向くんですけど、ジャッジサイドを見られなかったです。
ずっとバックの方向を見ていてパンクしてしまったので、若干の迷いというかびびりがあったんだと思います。(今後は)改善されていくと思います。
(6分間練習を6人で滑っているが改善策はあるか?)僕としては当たり前のことですし、僕らがルールを決めるものでもないです。もちろん発言はしていけるのかもしれないですけど、僕からしてみればぶつかってしまったのは僕らの不注意です。こうやってぶつかってしまったのは僕らが悪いですし、ルールのせいとかは関係ないです。ただしっかり注意して集中することが課題だと思います。
(セルフコントロールが未熟だと言っていたが?)
とにかくブライアン(オーサーコーチ)との練習時間が短かった。本当はトロントに帰って2週間ほどしっかり練習する時間を取りたかったんですけど、思いがけず日本に帰ってきて5日間ほどの練習しかできませんでした。
それによるちょっとした不安感だったりが、自分の精神的なものをコントロールできなかったかなと。普通に練習量を積めば問題ないと思いますし、練習の信じ方次第で少ない練習で信じることもできると思います。そこは新たな課題かなと。
(ファイナルに向けてのスケジュールは)
とりあえずブライアンのメール待ちですね(笑)。
すぐにスケジュールを送ると言われたのでそれ待ちです。
(今回の悔しさはいつ以来ぶりに味わうもの?)
小学生以来ですね(笑)。ここまでボロ負けしたのは小学生以来なので。
僕、ノービス上がる前の小学生の大会で絶対に勝てない人がいたし、ノービス時代にリンクがなくなったときに勝てなくなったことがありました。
全然ジャンプを跳べなかったんです。
そのときは結局練習時間が足りなくなっていたのもあると思うんですけど、今はもう子供じゃないので。
そのときはスケート年齢で言えば一桁だったと思いますが、もう二桁で10何年やっているので、それを信じられるか信じられないかは僕次第です。
あとは練習できなかったとか結果がどうとか関係なく、僕の精神的な持ちようだと思います。
(昨季は五輪シーズンで飛躍を遂げた。今季の入り方としてはどう感じているか?)
別にこだわりはないです。
試合は試合で、1つ1つ違うし、別に五輪がどうとか世界選手権がどうとか関係ないんですよ。
もう終わったことですし、終わった名誉です。
次はぎりぎり取ったファイナルなので、はっきり言っちゃうと昔より滑走順が早いわけですから。
たぶん第一滑走ですよね。第一滑走なんてファイナルでやったことがないので、本当にチャレンジャーですよ。ジュニア時代の自分に戻った感じです。
(肩に力が入っていた?)
それはないですね。ただ単に1人のスケーターとして、GPに臨んだ自分がミスを犯したというだけです。
(2週間という期間は長いか短いか?)
考えてみれば僕、今回は5日間でここまでやったので時間はあると思います。
その次のGPファイナルについては、まとめた記事があるのでそちらをどうぞ。
https://yuzuemon1207.exblog.jp/240253995/
年を越えて世界選手権。
2015年3月29日付 日刊スポーツより
https://www.nikkansports.com/sports/news/1453716.html
「なぜ休まないのか。なぜそうまでして試合に出るのか」。
シーズンの締めくくりに、あらためて聞いてみると、本人は一瞬きょとんとした。そして言った。
「それは自分が現役スケーターだからです。それ以外に何もない。別になんていうか、そこに何も不思議な感覚はなくて、日本代表として選ばれたわけですし、そこで滑って戦わないといけない義務感もあった。
ケガをしたのは、ここでのアクシデント(世界選手権の会場は中国杯と同じ)も自分の不注意、管理不足。そこはしっかり反省すべき点だと思いますし、不運と言われるところもあるけど、自分の中では自己管理の不足している部分が、きっと今季足りないよといわれたんじゃないかなと思う」。
こちらは同日の紙面でも紹介されました。すんごい良文です。
日刊スポーツ、執筆はさすがの阿部健吾記者です。
https://www.nikkansports.com/sports/news/1453675.html
昨年末、悩まされた腹痛が「尿膜管遺残症」と診断され、緊急手術を受けた。
怖かったのはへそがなくなること。横一文字に開腹するかと思い、不安でたまらなかった。
「おへそを作って下さい」と懇願した。
執刀医の腕前で半円形にメスを4センチほど入れて事なきを得たが、尿膜管を摘出した後は痛みでうめいた。
術後、都内の病院に入院。寝返りさえ打てない状況に「つらい」とこぼした。
除夜の鐘が鳴る時も、1月12日の成人式の日もベッドの上。記念写真の1つも撮れなかった。手術痕には縫合した糸が残る。
1月には右足首を捻挫。歩けないほどの重傷で、いまでもテーピングが必須。
影響で、大会前の練習は1日1~2時間、週3日ほど。
ジャンプの鍵を握る下腹部に力が入らず、本来の高さや回転速度に足りないのも無理なかった。それでも、最後まで踏ん張った。
激突の後遺症の不安も尽きない。腹部の異常は、激突から約1カ月後。
医者は関連性はないとしたが、関係者は「また何か出るか不安」と話す。
頭部も含め、今後は定期的なMRI検査を受けるという。
万全には程遠く戦い抜いたことを今、誇りに思う。
羽生 今シーズンは山あり谷あり。
良かったり悪かったりの繰り返しだったけど、スケート人生だけじゃなくて、僕の人生の中で生きてくる。よくここまで奮い立たせて頑張ってこれた。自分を褒めてあげたい。
五輪王者が翌シーズンを戦うことすら、近年まれだった。
引退か休養が通例。五輪→翌年の世界選手権と優勝すれば42年ぶりの快挙だった。
負けた相手は練習仲間のフェルナンデス。負けず嫌いの心にも火が付く。
苦難の道の先に栄光があると信じ、歩む。
最後は2015年国別対抗戦です。
こちらも記事にしていますので どぞ。
https://yuzuemon1207.exblog.jp/240282366/
画像はお借りしました。