重村の奥さんである。 | まどでんきがかり。羽生結弦選手全力応援

今日のカホクにこんな話題が。

伊達 重村公のご正室 観心院のお話です。

 

 

仙台藩では殿様のことを「お屋形様」と呼ぶ…
(河北新報 河北抄より)
 
仙台藩では殿様のことを「お屋形様」と呼ぶ。夫人は「お前様」と称し、住まいした建物を奥方と呼んだ。

 後ろに控えているイメージを持たれるが、なかなかどうして。表舞台で動き回った。「あなた、大変よ。ご公儀ではいま…」。当時も女子会のような情報交換会があったのだろうか。鋭い注進によって危機を乗り越えている。

 働き者として7代重村の正室・観心院がいる。1795年2月の江戸屋敷での行動記録が残る。将軍家に月3回のあいさつ、神社参詣、法要、家臣にご褒美と17回の行事をこなしていた。

 

 

しゃきしゃきとした奥様だったようです

 

 

 

ところで、仙台市を流れる広瀬川では 毎年8月20日に灯ろう流しが行われているのをご存知でしょうか。
 
灯ろうを川に流すことにより、故人を偲ぶこの行事。はじまりは宝暦・天明・天保の時代にさかのぼります。
 

数度にわたる冷害や大凶作によって、仙台・伊達藩を含む東北では数十万人が飢餓で亡くなりました。伊達藩のみならず藩外からも多くの人が食を求め、広瀬川付近に集まりました。

そこで、伊達藩では広瀬橋近くに救助小屋を設け、「かゆ」を振舞うなどのできる限りの施策を取りました。

 

しかし、数十万人とも伝えられるほどの多くの人がそこで衰弱し、最期を迎えました。

この様な非業な死を遂げた人々を供養するため、「伊達家第七代 重村公夫人」の観心院が広瀬橋のたもとに桃源院を開基し、灯ろう流しを始めたと伝えられています。

 

以来、盂蘭盆7月16日に”川施餓鬼”を修行する慣例に従い、毎年灯ろう流しが続けられてきたのです。

 

(引用: 広瀬川灯ろう流し実行委員会 HP )

 

 

 

観心院さまは、仙台市の歴史的な行事に携わっていらしたのですね。

またひとつ、親分のふるさとについて知ることが出来ました。

 

 

 

ところで、四大陸を控えた 今日の仙台縁日は。

 
 
 
なんもないんかい!!(ちゃぶ台)
 
 
SさんFさん!ありがとうございます!!