「孤高の星 羽生結弦-SPIN THE DREAM」に、おさしんが加わりました。
https://www.asahi.com/olympics/2018/special/hanyu-star/
なんて素敵な
制作された後藤記者より。
https://twitter.com/gototaisuke/status/964835242719641600
取材後、羽生結弦選手の去り際、「あ、あれ、ありがとうございました。感動しました」と言ってくれました。これのことかな?突然なので、私は「ほんと?」と返すのが精一杯
後藤記者!うちらも感動しましたですとも
羽生結弦、現役続行の意向 「もうちょっと滑ると思う」
羽生結弦「今回は自分に勝てたと思った」 一問一答
https://www.asahi.com/articles/ASL2K3J2HL2KUEHF007.html
(朝日新聞デジタルより抜粋)
――おめでとうございます。涙の理由を教えてください。
「ここまで来るのが本当に大変だったし、4年間ということを考えると、あれから応援してくださった方、ジュニアの頃から、ノービスの頃から応援してくださる方もいて、チームや、人間として育ててくれたコーチ、担任の先生とか、いろんなところで支えてくださった方々含めて、いろいろな思いがこみ上げてきました」
――今日の構成について、昨晩はどんな感じでしたか?
「とにかく今日起きた感じで考えようと思っていました。幸いにも僕はいろんなオプションを持っていて、選択肢がたくさんある中で試合に臨めたっていうのは、ある意味けがをしてしまったから、こうやっていろいろ考えられるということもあったと思いますし、ある意味で、スケートができなかった期間があったからこそ、作戦ということを学び、勝つためにここに来られたこともあると思います」
――前半を丁寧に滑ったのは?
「6分間練習でサルコーが不安だったので。とにかくサルコーさえ降りれば、前半の感覚で後半跳べると思っていましたし、何よりも、サルコーもトーループもアクセルも、トリプルジャンプすべて、何年間もやってきているんで、やっぱ覚えていてくれました」
(以下は有料なので、この記事でのご紹介はここまてです)
こっちの方が詳しいね。
羽生「(東日本大震災の)被災地のみなさんに笑顔になってもらえたら」
http://www.sankei.com/west/news/180217/wst1802170048-n1.html
(産経ニュースより抜粋)
すべての人に感謝
--先日の記者会見では「(負傷後の休養で)待っていただいた甲斐がある演技をしたい」と語っていたが
羽生「こうやって五輪の舞台で滑れたことが幸せ。その前に1つだけ言わせてほしい。こうやって金メダルを取れてうれしく思うが、何よりこの五輪で滑ったたくさんのスケーター、この五輪を作り上げてくれたたくさんのスタッフ、サポーターのチームメンバーも含めて感謝している。何よりここで滑った素晴らしいスケーターの皆さん、ありがとうございました。皆さんがいて、この五輪ができた」
「質問の内容に答えます。けがからなかなか滑ることできなかった。最終的に皆さんの前で笑顔で終われてよかったと思う。まずそれに尽きるかな」
--囲み取材の際に2011年の東日本大震災について聞かれて「考えさせてくれ」と言っていた。あらためて震災体験は自分の中で、この4年間でどう変化したか
《羽生はしばらく言葉を探してから答える》
羽生「本当に大変な日々だった。僕は内陸部の人間だったし、実際に地震の被害にしかあっていない。それでもガスも電気も、水もない生活は本当に大変で、それ以上に苦しんでいた方々がたくさんいることを、特に津波とか原発で被災された地に足を運んでそう思った」
「ソチ五輪でもこういう質問をされて、どう答えたらいいかわからなくなった自分がいて、そのときの自分になんて言ってあげたらいいかいまだにわからない。ただ1つ、言えることは、こうやってまた五輪という、僕が一番大切にしている大会でまた金メダルとれたこと。それは誇りに思う。何よりも自分が金メダル持って被災地の方々に挨拶したときにたくさんの笑顔が見れたので、 今度ははちょっと自信を持って、皆さんにまた笑顔になってもらえたらいいなと思っている」
--10月のグランプリシリーズ・ロシア杯の時に「ドラマチックに勝利したい」と話していた。今日の勝利はどうだったか
羽生「開き治るしかないと思っていた。けがが思ったよりひどく、練習がなかなかできなくて…。それでもなんとかスケーターとしてできることを探ってがんばってきた。漫画の主人公にしてはできすぎなくらい設定がいろいろあって…」
「でもこうやって金メダル取って、たくさんの方々に応援してもらって、いろんな方々に名前を覚えてもらって…こんなに幸せなことはない。勝ちについてはどうかと言われたらわからないけど、とにかく人間としての人生を考えたら、なんか変だなと思っている」
--フィギュアスケートは人気になってきたが、どう感じるか。また、韓国での経験は。焼肉は食べたいか《外国メディアがくだけた内容を交えて質問した》
フェルナンデス「きょうは重要な日だった。われわれもスケートリンクを増やすなど、競技に影響力を及ぼしている。今日はたくさんの人が見ていて、本当に良い日だった。焼肉は本当に大好きになりそう(笑い)」
--フェルナンデスと羽生に。お互いに長く同じ夢を共有してきた。ただ五輪で戦うのは最後かもしれない。どう声をかけるか。また、他の選手の存在はどのような刺激になっているか
フェルナンデス「フィギュアスケートのアイドルはたくさんいる。今はまさにハニュウが強くて、すべてをまとめる力を持っている。悪い瞬間を良い瞬間に転換する力がある。みんなが学べることがある。(2020年の)東京五輪は戦うことは出来ないと思うので、最後になるのかなと思う。2人はまだ若いから、キャリアはひらけている。いずれにしてもフィギュアに尽くすことができて、一緒にトレーニングしてきたので、コーチも支えてくれたので、彼らにプレゼントすることができてうれしい」
羽生「たくさんの素晴らしいスケーターがいてこそ、こうやってみんながフィギュアスケートの基盤を作り上げてきていると感じている。いろんな方が僕のスケートが素晴らしいとか、僕が切り開いたと言ってくれるが、僕はそれは100%否定したい。僕がこうやっていろんなジャンプを跳ぼうと思ったのは間違いなく、金博洋選手(中国)のルッツを見て思ったことだし、ループを跳ばなきゃいけないと火がついたのはハビ(フェルナンデス)の素晴らしい完成度の高い演技があった。日本でもうかうかしていられないと思ったのは宇野選手の存在があったから。何よりもこれまでたくさんの選手がいて、引退してしまった選手も含めてたくさん応援していただいて、自分の目に焼き付いているその方々が僕を鼓舞してくれた」
「ハビエルについては、彼がいなかったら…まずカナダにいかなかったし。彼がいたから僕はサルコーもトーループも安定してプログラムに入れるようになった。彼がいなかったら辛いトレーニングに耐えることできなかった。ただ、僕は一番近くにいたスケーターとして、彼が2014年ソチ五輪ででメダルとれなかった悔しさ、今回の五輪で絶対に(メダルを)取りたいという気持ち、そういうものは強く肌で感じていた。彼がメダルを取っているというのが本当にうれしい。もちろん僕が金メダルだったのは、それが良かったけれども(笑い)。1位だったからこそ、(表彰台で)隣にいると思う。本当に素晴らしい瞬間だった」