2024年5月1日

 

 落語読書三昧

 

(故人、現役ともに敬称略でいきます)

 

 落語にはまり始めて2年半くらいになる。

 もっぱら定席や落語会に足を運んでいたのだが、ここ一年くらい読む方も興味を覚えてきた。

 

 

◆「上方落語の四天王」(戸田学)2011年9月 岩波書店

 笑福亭松鶴、桂米朝、桂文枝、桂春団治といえば私が中高生くらいのころ(昭和40年代半ばから終り頃)に壮年期を迎えていた噺家さんたちである。当時生で見る機会はなかったが、テレビではよくお見掛けしていた(関西は東京に比べて寄席中継番組はずいぶん多かった)。

 戦後間もないころに相前後して入門し、切磋琢磨して芸を磨き、滅亡寸前といわれた上方落語を復興させた功労者たちである。

 

 米朝は私の中高生当時すでに大御所的存在。四天王とは言いながら、松鶴と並ぶ二大巨頭というイメージだった。

 春団治については、当時十代の私でさえ初代春団治の破天荒ぶりを聞いていたので、はんなりとした三代目春団治は個人的には「(上方落語には珍しい)上品な人」という印象だった。

 文枝は当時まだ「小文枝」と名乗っていた時代で、その後出てきた三枝(6代目文枝)の師匠というイメージ以上のものはなかった(ごめん)。

 松鶴はいかにも上方らしい外連のある師匠という感じだろうか、学者タイプの米朝とは対照的だった。米朝は私の高校の大先輩にあたり、今は大学出身の落語家の方が特に若い世代は多いが、当時旧制中学を経て大学を卒業したなんていう落語家はいなかったんではないだろうか。インテリ臭は隠しようもなかった(悪い意味ではありません)。

 

 すでに郷里を出て50年が経過し、最近の上方の落語家に関する知識がない。ナマの高座を聴いたことがあるのは、米朝一門ではざこば、米團治、南光、雀々、吉弥、吉坊くらいか。笑福亭で笑福亭鶴光、たま、羽光、茶光。あとは当代(四代目)桂春団治くらいしかいない。

 

◆「戦後落語史」(吉川潮)2009年12月 新潮新書

 志ん生、円生の復帰から始まり、落語協会分裂騒動や時代を象徴する噺家の栄枯盛衰まで、戦後落語史を俯瞰する。

 

 吉川潮氏といえば日本の演芸評論家として最高峰の方。ただし、どうしても東京中心の活動で、この本も正確には「戦後『東京』落語史」である。中に出てくる四天王が「柳朝、談志、圓楽、志ん朝」となると、顔と名前は知っていても、その演芸に触れたことがほとんどない。 

 それでも今実力派として活躍している師匠方の若いころの話が満載で、こういう時代もあったのだなというか、やはり実力ある人は若いころから違っていたのだねと再認識する次第でありました。

 

 

◆「生らくごのススメ! 東京版」2021年1月 (広瀬和生/橘蓮二) 小学館クリエイティブ

 これも東京落語に限定した、いわば寄席入門のムックといった態。

 入門ガイドブックとしてはそこそこ読ませた。

 

 

◆「この落語家を聴け!」(広瀬和生)2010年10月 集英社文庫

 著者は年間にのべ何千にも及ぶ高座を聴いている方。本職は音楽ライターだが、落語界の現場を最もよく知っている人物であろう。

 この著作は、観客としての視点による同時代的落語論として評価が高い。ただし、当初出版から16年、文庫版からでも14年近くを経過しているため、個々の落語家に対する評論はさすがにひと昔前のにおいを感じさせる。今をときめく春風亭一之輔がまだ「有望な二つ目」という時期である。今般「笑点」の新メンバーとなった立川晴の輔など影も形も出てこない。

 

 とはいえ、この著作で有望と評価した若手落語家はその後順調に名を上げ活躍著しいところからも、その批評眼はさすがというべきだろう(柳家小せん、春風亭一之輔、春風亭百栄などが有望若手として名前が出ている)。

 

 その他にもいろいろなるほどと納得することが多くあったところ、五代目圓楽一門会に関する記述は深く同意したので、長くなるが具体的に引用しておきたい。

P333~

 『圓楽党(註;著者はこの名称の方が通りがいいとしてこれを使う)は組織のあり方としては立川流と似ているが、落語界における位置づけとしては全く比べ物にならない。立川流は常に落語界をリードする先鋭的な存在として活躍し続け、多大な影響を及ぼしてきたが、圓楽党は『笑点』に圓楽、楽太郎、好楽の三人が出演してきたという以外にマスメディアに対する影響はほとんどない(楽太郎は2010年、六代目三遊亭円楽を襲名。なお、本人の意志により、「圓」ではなく「円」の字で通すという)。

 圓楽党の存在感が薄いのは、一にも二にも人材が不足しているということだろう。人数は30人以上いるようだが、落語家として注目に値する人材が非常に少ない。「隠れた逸材」を見逃したくないので、僕も機会を見つけては圓楽党の噺家の高座に接しようとはしているのだが、虚しい結果に終わることがほとんどだった。

 立川流と違って昇進の基準が非常に甘いことがぬるま湯的な体質の温床になっているのかもしれないし、そもそも才能を持つ人材が集まってこないのかもしれないが、いずれにしても、「これが真打?」とビックリするほど下手な噺家がゴロゴロいるのが現状だ。』

 とかなり厳しいが、100%同意する。鳳楽だけは例外として賞賛しているが、兼好に触れていないのは、この当時(2010年10月)まだ真打になって間がなく(2008年9月昇進)、あまり注目していなかったのだろうか。今や圓楽一門会の絶対的エースといっていい存在だろう。

 

 そもそも五代目圓楽の師匠である圓生が、自身の後任会長であった柳家小さんの大量真打昇進方針に反対して、落語協会を脱退したのが圓楽一門会の起源だろう(当初の名称は落語三遊協会)。それが今や真打の粗製濫造の一派に堕しているのは皮肉というより運営の失敗としか思えない。

 

 足で稼ぐレポートで定評のある(と私は思っている)コラムニストの堀井憲一郎氏がどこかで書いていたのには、「落語4団体といっても、団体としての組織がきちんとあるのは落語協会と落語芸術協会だけで、立川流も圓楽一門会も、それぞれ立川一門と圓楽一門というに過ぎない。立川流は、志の輔、志らくを頂点に人材が豊富なのに対して、圓楽一門は人材も組織もなく、いずれジリ貧は目に見えている。早晩他組織に合流するのが必然だろう」。御意。

 

 

 

◆「落語の凄さ」(橘蓮二)2022年9月 PHP新書

 著者は演芸写真家として高名な方(らしい)。各種落語本の挿入写真はこの人の手になるものが多い(上記の『生らくごのススメ!』もそのひとつ)。

 当然数多くの落語家の芸と人に接しているから、その知識と批評眼は普通の落語ファンの及ぶところではない。

 ただ、この本で対談した落語家5人は、当世最高クラスの人気を誇る方たちであり、少し遠慮もあったか、突っ込みが足りないという印象はある。

 

 

 

◆「21世紀落語史」(広瀬和生)2020年1月 光文社新書

 古今亭志ん朝の死で幕を開けた21世紀の落語界の歴史を振り返る。上記の『この落語家を聴け!』の続編とも言える。

 著者の落語愛がほとばしる労作。

 若手落語家、女流に対する論評は的確であり、また私の個人的な感想とも一致している部分が多く、嬉しい気分になった。

 

 この本も深くうなずけるところが多かった。一か所だけ引用しておきたい。

P327

 『「とにかく寄席に行ってみよう」というスローガンが甚だ危険なのは、寄席の定席に出ているのは年配の演者が多い、ということだ。もちろん面白ければ年齢は問題ではないけれども、寄席には必ずしも面白い人ばかり出ているわけではない。若い人が初めて寄席に入ってみたときに、もしも年配の噺家の退屈な落語を聴き続けたら、「落語って年寄りの娯楽なのかな」と思ってしまうに違いない。』

 

 最近定席に足を運ぶ気がしない。面白い噺家ももちろんいるが、そうでない人の噺を聴くのはつらい。いろいろ聴いてみて、と考えて寄席に通ったものの、はずれの時間帯が長すぎる。ホール落語中心に戻ってみようか。

 

 ちなみに著者の広瀬和生氏は1960年埼玉県所沢市生まれ。東京大学工学部都市工学科卒。音楽誌“BURRN!”編集長にして落語評論家という方。ほぼ毎日ナマの高座に接している。

 

 

 

 

◆「談志のはなし」(立川キウイ)2021年10月 新潮新書

 著者は立川談志の直弟子にして、落語史上に残る「前座16年」という経歴の持ち主である。それだけ談志と過ごした時間が長いということで、この本は談志との思い出を語るというエッセイ。

 

 私はキウイ自身の高座は1度しか聴いたことがなく、しかもその際はまくらだけで終わって落語を聴いていない。したがってこの人の芸を云々するほどの経験も知識もないのだが、この本を読んでみると、落語における師匠と弟子の関係、あるいは個別の談志とキウイの関係というものが、誇張も卑小化もなくストレートに伝わってくる誠実な文章であった。

 キウイの高座を聴いてみたいという気がいたしました。

 

 

◆「大河への道」(立川志の輔)2022年3月 河出文庫

 これは映画「大河への道」の原作になった立川志の輔の落語を小説の形にしたもの。あくまで原作が落語というからこの本はそのノベライズということのなのだろうか。残念ながら肝心の志の輔の高座をまだ聴いていないものだから、その関係がまだよくわかっていない。

 映画のできも悪くなかったが、この本は記憶にある限り映画のストーリーの運びと似ている。

 

 

 

 

◆上方落語史観 (高島幸次)2018年1月 株式会社140B

 これは上述の「戦後落語史」の上方版ではない。個別の落語家の名前や逸話ではなく、大阪の街と歴史や人びとの活動を、落語の噺を題材にとって語るという、けっこう学術的なアプローチをとったまじめな本である。

 

 

◆「吉朝庵 桂吉朝夢ばなし」(上田康介/小佐田定雄)2011年12月 淡交社

 桂吉朝は桂米朝の、入門順でいえば3番目くらいに当たる古参の弟子になる。一番から月亭可朝、桂枝雀、そしてこの吉朝ということになる(諸説あります)。この3人の芸風の違いを見れば、師匠米朝の懐の深さが知れる、というのはまた別の話。

 実は私、吉朝の現役時代を知らない。吉朝の芸に触れたのは没後のことになる。DVDでしか知らない。それでもその芸には深く感銘を受ける。極端ではなく、「たちぎれ」の高座は師匠米朝を凌ぐのではないかと思うのだよ。

 

 2005年11月、胃がんからの心不全で50歳という若さで死去。最後の高座からわずか12日後のことだった。

 

 米朝は1994年にも、「爆笑王」と言われた桂枝雀を失っている。高弟二人に先立たれるという不運を米朝師匠はどのように受け止めたことだろう。

 

 この本は、吉朝のひとり息子上田康介氏が、吉朝ゆかりの人を訪ねて集めた思い出話を、演芸研究家、演芸作家の小佐田定雄氏が編集したもの。

 

 私の吉朝に対する思いは、生前の姿を知らないことで美化されているのかもしれないが、それにしても早世が惜しまれる。健在ならば間違いなく上方落語の重鎮として活躍していたであろう。もっと言えば、上方落語の人間国宝の枠が今空いている(東京は昨年五街道雲助師匠が認定された)。残念でならない。

 

 米朝に次ぐ上方落語界二人目の人間国宝は、誰の手に。当代桂文枝(前の三枝)が意欲満々と聞いたのは結構前のことだが・・