“大河への道”は、立川志の輔の創作落語を聞いて感銘を受けた俳優の中井貴一が志の輔師匠に直談判して映画化を実現したもの。プロデューサー兼主演として参加している。一方“太陽とボレロ”は俳優の水谷豊が脚本、監督を担当、脇役としても出演している。

 前者はかなりできのよい映画と感じたが、後者は水谷豊の余技と言うか趣味というか、ありきたりのハートウォーミングストーリーにとどまっていたのは残念だった。物語の深みもないし、映像が素晴らしいとも思えず、まして壮大なしかけがあるわけでもないし、迫力に欠ける映画だった。最近よくあるTVドラマの拡大版的な傾向が強く、だったらTVで十分じゃないの、これを手間暇かけて映画にする理由がよくわからない。俳優陣が演奏を吹き替えなしに完璧にこなしているという部分に興味をそそられて見る気になったが、半ば予想通り、プロフェッショナルの中に俳優が参加しているというだけで、それほど見どころとも言えまい。その割に東京藝大音楽部声楽科出身でサックスも吹くという石丸幹二が、そのサックスソロ演奏の場面がまるで吹き替えのような映像だったのはどういうことかな。追っかけの熱狂的ファンがいる、指揮者の西本智実が本人役で出ていたが、いくら演技は素人とはいえ、セリフが一言もないのはむしろ不自然だった。

 

 

 さて、“大河への道”は、現代劇と時代劇を融合させた脚本もよく練られていて、原作の落語がどんなものか聞いてみたい気がする。中井貴一を初めとするキャストも適役が配置されていて好演。たまたまこの同じ日の夜に、ケーブルTVの映画局で中井主演の“柘榴坂の仇討”を見たのだが、中井貴一という俳優は現在活躍中の日本男優の中では、最高レベルの俳優だなと感じ入った次第。デビュー間もないころは、親の七光りの典型という先入観があり、かつお父さんに比べるといい男じゃないなとか、勝手な印象を持っていた。いやいやなかなか、大した俳優になりました。

 立川流という一門はいろんな人がおりますね。柳家小さんと三遊亭圓生の対立による落語協会分裂に端を発し、その後の真打昇格試験の運用にからんでついに立川談志が落語立川流を創設して分離独立、現在も立川流一門は寄席での定席興行を打つことができない。私なんか寄席に行った経験はむしろ少なく、ホール落語で楽しんでいるから何ら問題はないが、これもそもそも前座から始まって二つ目、真打なんていうまるで会社の役職のような肩書をこしらえているから発生する弊害なんじゃないかしら。上方落語のように、なんの資格も問われず、面白いやつがエラいということにすれば、時たま見かける下手な真打など淘汰されると思うのだが。

 立川談四楼というじいさんがいる。共産党支持を公言していて、かつて自民党から参議院議員になった師匠の談志とは政治信条が大きく異なるようだ。まあ、落語に政治信条は関係ないからそれはよしとしたいところだが、主にSNSで偉そうに政治談議をしているのを見ると、落語の品格も落としているのではないかと心配している。おまけにこの人、かつて“声に出して笑える日本語”(「日本語通り」を改題=齋藤孝氏のベストセラー「声に出して読みたい日本語」をタイトルだけぱくったのは明白)という本を出しており、日本語のウンチクを語っているのだが、これがまたレベルの低い本で、「知恵の森文庫」じゃなくて「知恵遅れ文庫」とでも呼びたいしろものだった。あ、今は知恵遅れなんて言っちゃいけないのか、知的障害というのかな。

 談四楼とは対極と言っていいのかどうか、最近まで朝のワイドショーのMCをしていた志らくという人もいる。これは談志がフランス大統領のジャック・シラクにちなんで名付けたという話、談志はやはり政治が好きだったのかな。

 で、志の輔。明治大学の落語研究会で、同落研に伝わる紫紺亭志い朝の名を三宅裕司から引き継ぎ、渡部正行に引き継いだという、明大では由緒正しき系統の人物ということになる。

 今月末、この志の輔の一番弟子にあたる立川晴の輔の独演会に行く予定である。さてできばえや如何。機会があればまたご報告いたしたい。