亡き父へ 育ててくれてありがとう | south wind sea therapy MARI☆mari の blog

south wind sea therapy MARI☆mari の blog

アロマフランス認定クレイテラピストの佐伯眞理子です。
~南の国からの贈り物、クレイで究極の癒やしをあなたに~



   

こんにちは

自然療法が大好きな

south wind sea therapy MARI ☆mari

の佐伯眞理子です

今日もブログに来てくださってありがとうございます


ご報告です

令和2年1月21日  午前7時11分
父が亡くなりました

88歳でした




今、我家の玄関には豪華にカサブランカが活けてあり

とてもよい香りを届けてくれています


父は
昭和8年9月2日生まれ

あれっ?
と思われる方もいらっしゃると思いますが
私も9月2日生まれ

そうなのです。

私たち父娘は同じ誕生日

はじめての子どもの私が同じ誕生日

父の喜びは大変なものだったそうです。



(今は下関美術館になっている、長府遊園地にて)



とても厳しい人だったので、高校生の頃はウザイ
あの頃にこの言葉があったら、連発していたと思う。

でも
ずっと、ずっと静かに私の事を見守ってくれていた

夫が突然倒れた時もすぐに駆けつけてくれた父

私が夫の治療費の支払いに困っているのではないかと「金の事は心配せんでいいから、相談しろ」と夫の治療費を心配してくれた父  (夫の治療費はおかげさまで自分で何とかなりました)

退職後ずっとずっと町内会の世話役をして、慕われていた父

たくさんの愛をありがとう

7年前膀胱がんが見つかり、治療をしていました
その後、大腸がんや肺がんも見つかりました。
どちらも、転移ではなく、原発
手術で取り除きました

そんな大病を繰り返しても、とても元気な父は歩くスピードも速く、歩く距離も半端なく広く‼️
貴船町から下関駅まで普通に歩いていました

いつまでも、こんな日々が続くと思っていました。

この夏、腰痛を訴え、検査をしたら、膀胱がんのリンパ節転移が見つかりました。

定期検査を怠っていたわけでもなく、
化学療法はしない
延命もしない
自然なままにできるだけ家で過ごしたい

本人の意思で決めた治療方針

少しずつ弱ってはいっていましたが訪問看護師さんの助けを借りて、在宅。

でも
寝たきりではなく、家でパソコンをしたり、テレビをみたり
普通に食事もしていました

1月13日頃、痛みが激しくなり、入院したいと本人が訴え、入院

それでも、もう一度自宅に帰れるだろうと、本人は勿論、家族も主治医も思っていました。

その時はそれほど、まだまだ体力も気力もあったのです

私がお見舞いに行っても、声もしっかりして、食事も少ないけれどとれていましたから。

しかし
様子が悪いと連絡が入り

私は20日の19時頃に病院へ行って、父に声をかける
疼痛緩和の薬が効いているようで反応なし
酸素濃度等の機材の確認をして
点滴が落ちていないことに気づく

点滴再開させ、手を握って声をかけるが反応なし

落ち着いてる自分にたいして、少し嫌だなと思いながら

「眞理子が医療に詳しいから助かる」と父が言っていたことを思い出す

夫の為に取った看護師資格だけど、家族のためになっているんだなと

父の今の状態からすぐにどうかなるわけではないと主治医も考え、私は一端、実家へ帰った。


その夜はほとんど寝られなかった

夫が倒れた日の夜を思い出していた

ふと、うとうとしたかなと
思った、早朝6時

病院から電話
呼吸が荒くなってきた

急いで病院へ駆けつけ、母を先に下ろし、私は車を駐車場に置き、病室へ

そこでは
ベットに寄り添い父の顔を触って、「まだ温かいよ。まだ温かいよ」
と言っている母

最後はえらい、早く駆け抜けたね。
もう、30分でもゆっくりしたらええのにね

「私が昨日、あんなにお父さん、お父さんって声かけても目をあけてくれないで」
ちょっと、恨み言を言っていました。

でも
苦しまず
今にも起き出しそうなすこやかな顔でした。

お正月には
全員で写真を撮り、みんな笑っていました




本当に
ありがとう
たくさんの愛をありがとう