~ 2011年4月3日 あの日の私  その1 ~ | south wind sea therapy MARI☆mari の blog

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アロマフランス認定クレイテラピストの佐伯眞理子です。
~南の国からの贈り物、クレイで究極の癒やしをあなたに~



   


現在の私がここにいるのは
本当にいろいろな出来事があり、
その中で夫の病は切り離せるものではありません。
そして、記憶の定かなうちに記録に残したいと思い
綴って行くことにしました。

日々の事も綴るので長くなるとは思います。
どうか、おつきあい下さいませ。

私はサラリーマンの夫と2人の男の子の母
夫が転勤族だった為、各地で大好きな保育士の仕事をしていた。
ごくごく普通のある意味幸せな生活を送っていた
あの日までは

2011年4月3日 日曜日
東北に震災が起こり、まだまだ世間がざわざわして、全く落ち着いてなかった頃

長男はすでに就職し、二男は大学2年生。
私は今までの保育士の仕事から介護の現場に4月1日から飛び込んで、新しい生活を始めたばかり。
夫は単身赴任中
通勤に
車で1時間半かかるため、アパートを借りて普段は1人暮らし。

私は4月1日は金曜日で初めての職場を体験し、土日はお休み。
土曜日に単身赴任中の夫のアパートに行き、掃除やまとまった
食事を作り、その日は夫の希望で手巻き寿司が
食べたいと言うので、アパートで2人で手巻き寿司を
巻きながらの夕食

子どもが大きくなってからは
モーニングに行ったり、ランチに行ったり、
梅が綺麗だよと聞けば、梅を見に行くといったように
どちらかといえば、仲の良い夫婦。
なかなか、旅行に出かけるなど忙しくてできなかった私たちにとっては
そんなささやかな時間がホッとする楽しみでもあった。

だから、その日も普通に夕食を食べ、数日分の食事を作り置きした。
翌日4月3日は日曜日だが夫は勤務
私はいつの通り、夫にお昼の為のお弁当を作り、
いつも通り
「また、徳山へ私が来るか、お父さんが山口へ帰って来るかだね。
どうなるか、連絡ちょうだいね。」と
話して、私は自宅のある山口へと帰った。
午前8時のことである。

自宅では私は午前中家事をして、ゆっくり過ごし、
午後2時
電話が鳴った。

昼ご飯後の眠気もありウトウトしていた。

電話は夫の職場から
女性の声で
「ご主人が今、急に倒れて、救急車で運ばれました。徳山中央病院
まですぐに来て下さい。」


私、これは夢の話???????
何?????
思わず
「主人は今日は仕事じゃないですよね」
何だか、変なことを口走っていた私
電話の相手は
「えっ?奥さんですよね。
 大丈夫ですか?
ご主人が倒れたんですよ!!!」


多分、私がパニックになったと思ったのでしょう。
でも、すぐに正常に頭を戻した私は
「あっ、はい。大丈夫です。徳中へすぐに向かいます。」
と返事をした。

相手の女性は
「気をつけて来て下さいね。
 本当に大丈夫ですか?
 山口からですよね。
 本当に気をつけて来て下さいよ」

と何度も何度も心配して下さった。

その後の私の対応は早かった

長男への連絡は夫の職場がしてくれていた。
長男と夫は同じ会社だったのです。

二男は幸いな事にその日は山口市内のコンビニでバイトをしていて、そろそろ終了の時間

だから私は即、二男のバイト先に向かった

車のエンジンをかける手が震えていた
心拍数が上がっている
心臓がバクバクしている。
こんな事、生まれて初めて

あっ、ヤバイ
冷静に
冷静に
冷静に
落ち着け、落ち着け
と言い聞かせる。

走り出すと、そのうち、なんとか落ち着く

車で10分以内のところが二男のバイト先

たどり着くと、事務所に飛び込む

「お父さんが倒れたって!!!」

その時、長男からすでに連絡をもらっていた二男は知っていた。
幸いな事にコンビニのオーナーは私たちの古くからの友人

すぐに行きなさいと。

二男が車を運転してくれたので、再び落ち着けと
唱えた

大丈夫
絶対に大丈夫

倒れたって言っても、あの人は不死身だもの
死なない

もし、脳出血でも、手術でよみがえるから

不思議な事に
最悪な事は私の脳裏には浮かばなかった。

電話の状況から多分
脳に出血か、梗塞かの何かが起こったとは思っていたのでした。

でも、二男が近くにいたことに本当に感謝

1人だったら心細かった
高速道路の運転に自信が持てなかった

「急いでね。でも気をつけて」

「ここで、事故したらシャレにならんわ」

「私たちに何かがあったら、お兄ちゃんがたった1人になって大変だわ」


なんて、会話をしながら一路、徳山へ
二男のおかげで
私の心は少しばかり和んでいた

その2に続く