ピーターラビットのタオル | ネマリンミオパチーに奮闘中

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ネマリンミオパチーという先天性筋疾患と闘いながら毎晩呼吸器のお世話になって明るく生きてます。


ネマリンミオパチーと時々株に奮闘中



久しぶりにPCに向かっています。


ようやく、2月末から始めた「バイト勤務」が週明けの月曜日(4/11)を残すのみになりました。体力はすでに限界で先週の土曜日なんか、大学病院での通院日の予約変更(3月末の予定が4/11までバイトが延長したので)で1週間分の薬を貰いに行った時、ついでに点滴を1本売ってもらいました。


そんなこんなでしたが、ようやく体力も大分回復してきたので、久しぶりの記事の更新です。


写真のピーターラビットのタオルは三菱UFJ銀行の株主優待商品です。

昨年も貰いましたが、今年は色使いが可愛い感じです。

株価は震災の影響で随分下げていますが、定期預金と思って、そのままにしておきます。

毎年2枚づつ送ってきますのであと5年(10枚)ほど頂くつもりです。


さて昨日、4月8日は23回目の結婚記念日でした。

式はカナダ(バンクーバー)の教会で我々だけで挙げましたが(正確には現地在住のMちゃん&ドン君夫妻立会いの下)、せめて日取りは母親が熱心な真言教徒だったので、お釈迦さんのお誕生日(花祭りの日)の4月8日に決めていました。

入籍は帰国してから4月11日でした。


先日の東日本大震災で被災された障害者のご夫婦も沢山居られると思いますが、「頑張って!」とは軽々しく言えませんが「負けないで!」と言いたいですね。


我々夫婦もこの昨日までの22年間で大きな災害を2回経験しました。


1回目はまだ娘が奥様のお腹にいる時「ゲリラ豪雨」がありまして、住んでいた地域に1時間あたり40ミリの大雨が降って、南部地域のうちのマンション付近が市内の北部地域から流れてきた雨水が下水管の許容量を超えたため、マンホールから雨水があふれ出し道路が水につかり、夫婦共足に障害があるのであえてマンションの1階に住んでいて、しかも段差がないマンションを選んだのが災いしてあふれた水が畳のちょっと上まで浸水して来ました。いわゆる「床上浸水」状態になってしまいました。


普通のマンションなどは、道路地面からちょっと嵩上げした状態で建てているのですが、フラッットだったんですね。

リビングの絨毯マット(そのころはフローリングではなかった)はベチャベチャになり、和室2部屋の畳はプカプカ浮いていました。

うちの畳(安物かな?)発泡スチロールで出来ていたので浮いていました。


とりあえず、濡れた畳を専用庭(1階のみあった)に立てかけて水で軽く洗って、乾かして再び使いました。

リビングは後にフローリングに張替えました。


友人親子が某たわしを持ってきてくれて、和室の床をキレイに掃除してくれたことに感謝、感謝です。


市役所の方がその日のうちに来てくれて「避難グッズ」をくれました。軍手やビニール袋や非常食の乾パンなどが入った袋でした。案外手早い行動で有り難かったです。


フローリングに張替え費用などは、翌日すぐにマンションが火災保険で契約している損保会社の担当者が来て、床上浸水の場合は「火災保険の何%か(多分5%だったと思う)が出ます」と言われたのでその場で手続きしてくれ、その保険金で賄えました。(床下浸水の場合は出ないらしい)



次の大きな災害が娘が幼稚園の年中さんの時に起きた、皆さんご存知の「阪神淡路大震災」でした。

これについては、このブログでも1月17日が来ると何回も取り上げていましたので、あまり詳しく書きませんが、

この時もライフラインが完全に止まってしまったので、5日か6日目に「長崎五島列島」から奥様の弟さんがわざわざ来てくれて、しかも大阪では買う場所もわからないからと、長崎から「単一電池や懐中電灯やお米」などを背負って、当時甲子園までしか阪神電車が通じていなかったので甲子園から我が家マンションまで歩いてきてくれました。


その後、一緒に叔母さんの遺体安置所になっていた中学校の教室まで一緒に行ってくれて、お参りして、全てのタンスが横倒しになっていたのでお二階のご主人と弟さんが元に戻してくれて、ようやく服などを取り出すことが出来ました。しかし、食器類はほとんどが床に落ちて足のふみ場もないので土足で部屋中を動きまわっっていました。

私もいつまでも避難所暮らし(北側のおうちは電気が通じていたので、そちらに家族みんなでお世話になっていました)も出来ないので、会社が借り上げてくれた同僚の大阪に使っていない部屋があると言うのでそちらに移ってそこから通勤。当時まだ小さかった娘や足に障害がある奥様は落ち着くまで実家(五島)に弟さんと一緒に帰ることにしました。


あとで聞いた話ですが、当時長崎の地元新聞に「阪神大震災で被災した家族が一時実家の長崎に避難」と大きく写真付きで掲載されたので、出身小学校や中学の先生や同級生から沢山のお見舞いや励ましのお手紙を頂いたそうです。娘には玩具や文房具も近くの集落の方から頂いたようで、ありがたいことです。


会社に行けば、娘と同年代の子供さんを持っている同僚から「昨日子供たちの服を買いに行ったので、ついでに娘さんのも買ってきた。戻って来られてたら着てもらって」と可愛い洋服を何着か頂ました。

感謝、感謝です。


そういう、大きな災害を何とか乗り越えて、ここまで無事に来れました。

震災当時、年中さんだった娘は、今は大学3回生です。


沢山の方達の支えもあってここまで来れました。


また今日からの23年目も宜しくお願いいたします。  m(__)m