昔の階段
昔に作られた城、民家、石段、框(かまち)はやたらと、高い。
しかも角度が急と思うのは自分だけでしょうか?
いやいや城の観光の際、天守閣までの階段が急であったのは皆さん感じたはず。
気になったので調べてみることにしました。
そもそも昔の城は
★階層を重ねる場合は、
部屋に柱、天井に梁(はり)を沢山取り付けて天井を支える工法
だった。そのため
階段の位置を自由に決められず、幅・勾配に制限があった。
★あるいは
防衛上の理由で敵が駆け上りにくい急な階段を作った。
とか言われています。
そうした城の階段の構造は一般の民家にも広まり、
★急な小さな階段は居住スペースを広くとれるからだとか。
以上が
城・民家で急勾配・幅狭い階段が普及した一因と言われています。
で時代の流れで西洋文化が流入し
大正8年(1919)に市街地建築物法により
階段の蹴上(1段ごとの高さ)七寸五分(22.7㎝)以下、
踏面(足を載せられるスペースの奥行)五寸(15.15㎝)以上になりました。
つまりこの時以降の建築は現代の階段の使用になったんですね。
なので
大正8年(1919)以前に作られた建築物ならば江戸時代の人が作り使用していた階段
がありそうです。これは調べる際のポイントですね。