平安さん・星月夜虹霓綺譚 四十二 《 四季の箱庭(上) 》 | yuz的 益者三楽

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四十二 《 四季の箱庭(上) 》



大司命星君壬魁はまだ幼い頃、世父南斗星君に連れられて西方阿弥陀甘露王の城殿へ何度か殿上した。
壬魁は物心ついた時から既に、南斗星君の紅い袖に引かれてどこにでも顔を出していた。鬼界も冥界も天界も、南斗星君にはそれ程出入りの難しいものではないものだったらしい。

そしていつの間にか、壬魁は南斗星君の背を追い越して幼児から少年になっていた。南斗星君は相変わらず初めて会った日のままに、いつでも朝焼け色の濃紅(あか)い衣に愛らしい黒髪を両耳の傍に双輪(もろわ)の下げ髪にして「阿弟、こっちこっち」と手を振って楽しそうに壬魁を連れ回す。
そしてあの日は、…そう、あの日壬魁は西方阿弥陀甘露王の八葉院の中庭にいた。

眩しい程に、降るように光射す庭は時に息苦しいぐらいで、壬魁は眩暈にも似た感覚をどうにかこうにか抑える。そうして漸く一つの疑問を南斗星君に向けて口にしたのだった。少年の、ヒヨッ子の顔をした壬魁は自分より更に小さな姿を晒す南斗星君の紅い袖を後ろから引っ張ってわからぬ様にこそりと囁く。
「世父(おじ上)、一つお尋ねしてもよろしいですか」
南斗星君は斜めに振り向くとパチパチッと二度ほど瞬きをしてふっくらとした愛くるしい顔を「ん?」という調子に傾けた。
「あの…」
「何?」

ゴクリと生唾を飲み込んで、おずおずと続ける。
「こちらの一尊、阿弥陀甘露王は極楽教主であり衆生に対する全ての権限をお持ちであると…」
「そうだね」
世父(おじ上)は右手を顎の下に添えて、それは僅かに何かを考えている風で、壬魁の話の続きを待つ。
「私達は凡人の運命簿を握っています。それは生も死も一雫。他書、故事に於いても大洪荒のその昔まだ一族の括りも定かではなかった時代、まだまだ荒く粗く、修養と休息の場も持たずに血で血を洗う戦いを繰り返していた五族支族の為に父神が作られたのが凡界だと承知しております」
「うん、ま…概ね間違ってはいないね。突っ込み処はあるけど」

クルリと向きを変えてまた踊る様に歩き出す。光が風をフヮサ…リと運んで来る度に、南斗星君の肩に落ちている髪が揺れ、雫を含んだ蜘蛛の糸の様にキラキラと光る。それは「南斗星君」という夜の宿性の神でありながら自ら陽の光を産んでいる様に明(あけ)らかで、ふと釈尊が獄の海より救い出そうと手にした一本の蜘蛛の糸は彼の髪ではなかったのだろうか、などと余計な事を考えてフルフル…と首を振るのだった。
「で、でも世父(おじ上)」
慌てて追いかけながら続ける。

「謂わば凡界は我らの箱庭です。その一つ一つを目を皿の様にして眺め、手を加え、あるべき姿に定めていく」
「うん」
南斗星君は振り返らずに応える。その瞳が少しばかり翳るのは壬魁には判らない。
「なのに…」
「うん」
「阿弥陀甘露王…教主はそんな理と何の理屈も関係もなくその御手を凡界の衆生に差し伸ばされる」
ぴたりと南斗星君の足が止まり壬魁を振り向く。その顔はいつもの愛くるしい笑みが消え、濃い睫毛をキッと上に上げて、転げ落ちんばかりの大きなあどけない瞳を真っ直ぐにこちらに向けた。
「…る、……ですよ、ね……」
モゴモゴと口ごもる。
南斗星君は、己の似つかわしくない真顔に気付いたらしく、ちょっと視線をずらしペロリと小さく唇を舐めるとこう答えた。
「ふうん、それで?」

壬魁はグッと腹を決めた。
「教主は、その御右手で凡世の暗愚で低俗な畏怖を消し諭し、その御左手で凡界の衆生の願いを叶え、拾い救う為に差し出し給う。何故、それ程までにこの小さく愚かな凡界の魂をお救いなろうとされるのですか?」
南斗星君は即座に反応してこう言った。
「阿弟にとって凡界の衆生とは、何?」
「…我が子に等しき愛(めぐ)し子です」
「ハハハッ……それが解っておきながら教主の行いに疑問を差し挟むのだね」
いつの間にか二人は大きな池の端まで辿り着いていて、南斗星君はその飛び石をポン、ポォンと軽やかに跳ね飛んで行くのだった。壬魁も後に付いてその後ろをトン…トンッ…と飛び越えて行く。
池を越えた後、壬魁はじっとその池中を見つめてみるが蓮葉の陰から見えるその底に昔語りにある獄界の惨劇も凡界の喧騒も見える事はなく、ただ黒く濁った底なしの水が映るのみであった。

その時、一陣の風が巻き上がり、壬魁は思わず風に向かって強く眼を瞑る。
「あなた方にトッテハ、衆生は慈しムベキ幼な子。あなた方ハ百の凡界を統治スルベキ神であなた方の指先ノ血肉を削リ万の凡界は出来上ガル」
発せられる度に言葉は光となって弾け飛び、それは痛い程にそこ此処の空に突き刺さる。色を持ち、新しい命の欠片となり二人の子供を包み込み、彼らは一瞬恍惚の表情を浮かべハッと我に返った。
「甘露王教主。予告なき来訪申し訳ありません」
南斗星君は深々と頭を下げて長い黒髪を揺らした。壬魁はその後ろで言葉なく礼をとる。

「予告はナクトモその訪いは意味があるモノ。礼を失するモノではナキものに」
阿弥陀甘露王の言葉に二人は顔を上げるが、壬魁にとってその尊顔を判別する事は未だ至難の技でパチパチと何度も瞬きをすると、ただその光の行く先を追って行く事しか出来なかった。
「そう言っていただけるならば幸いです」
南斗星君だけがいつも通り滑らかに言葉を続ける。
「そちらノ幼な子はイズレの司命星君であろうガ…」
慈悲と尊厳に満ちた声に、南斗星君が応える。
「僕の阿弟、近々大司命星君を拝領致す者でありますれば、こうして僕の傍に連れてきております」
声の調子は明るく、どうらや彼はニコニコと笑っている様だ。

「成る程、ソレナラバ…のあの問いデあるカ」
「……も、申し訳ありません。軽はずみな問いでありました」
ドッと、滝の様な冷や汗と共に初めて壬魁が口を開いた。

甘露王はそれについては応えず、僅かに手を揺らし、僅かに顔を傾けて、その度に世界がその存在を変えるかの様に空気を揺らしかき混ぜる。
その様子をじっくりと一千世界を眺める瞳で沈黙した後、徐ろにこう言い始めた。

「あなた方にトッテ凡界の衆生が我が子デアルナラば、私共にとってソノ衆生は親デアル。あなた方ノ血肉にヨッテ衆生が生まれたナラバ、衆生によって私ハ生まれ、育チ、存在シテイルのである。即チ衆生無くして私の存在ハナク、私の存在ガ無かリセバ衆生の救イはない。子ガ親ニ孝養ヲ尽くす道があるナラバ即ち、私は衆生に尽くす道ヲ模索する者デアル。故ニ、私共の指先ハ常に衆生ト繋がるモノでアル」

阿弥陀甘露王の尊顔に人に似た微笑みが走る。

どんなに似て非なるものであったっとしても、人を産み、人から生まれ、人を諭し、人を知り、人を超え、人と共に、人たらんとする、微笑み。
南斗星君はそんな尊主を憂いのない笑みでニコニコと返す。

光は、そこら中をころころと走り回る。





夏の間中、壬…撫星と咸宴は一緒に旅をした。
数日のうちに女王蜂は卵を生み、養蜂箱はあっという間に賑やかになった。
二人は養蜂箱を覗き込んで満面の笑みを交わし合う。
「小咸、どう?満足か?」
「ええ!これでいつだって蜜集めが出来る。どこの花畑に行こうかしら?ねぇ、撫星哥哥。睡蓮の咲く池?向日葵の畑?山百合はどこかしら?芙蓉の花を咲かせてるお屋敷の近くに宿を取る?ううん、シロツメグサの河原でも構わないわ」
無邪気に急く様に喋る咸宴を撫星は笑いながら見つめた。

初めの内は野宿を繰り返し、しばらくして宿を取った時は「兄妹」と言った。養蜂箱を抱えた蜂飼いの兄妹は楽しげに語り合いながら街道を歩き、街を抜けて、田舎道を辿る。
牛小屋の納屋に寝床を得て夜中語り明かす。
安宿に銭を投げて、ハタと立ち止まりしどろもどろする咸宴の頭をクシュクシュと撫でて床(とこ)を整えてやると、用心棒よろしく扉の前で足を組んだ。
咸宴は暖かい布団にくるまって眠れた様な眠れない様なふわふわした気分で、とびきりの夢の中に落ちていく。

蜂蜜はびっくりするくらいの速度で蓄えられていき、その元は撫星が作った女王蜂から始まっている事に咸宴は嬉しさと安堵と、己の下賎な想いと行いに始まった後ろめたさと、様々に思いながら小さく唇を噛む。
「これだけでは不満か?」
不意に背中越しに声をかけられてビクリッと身を震わせて耳まで赤くなるのだった。
「ち、違うわ。もう蜜を取ってもいい塩梅だと思って…どこかの市の隅っこででも売ろうかしら。…ねぇ、哥哥」
「そうだな」
咸宴の髪から香る花の香りは、どの花とも似つかわしくなく、それは彼女が生まれ落ちた瞬間から百花の中で育まれてきた事を意味する無敵の花香に近い。西方阿弥陀甘露王の庭に宿る天華散華にも似たその薫香が、凡界の泥女から香るのは不思議でならないのだった。
くん…と鼻を鳴らして撫星は言う。
「蜜のままで売ってもいいが…、菓子や香を作ってそこの辻売りでも悪くはない」
「私、…菓子や料理は得手ではない…」
少し恥ずかしそうに言い、それは彼女が目の前の生きるという事に精一杯だった証だ。
撫星は笑って言った。
「私は得意だ」

数日のうちに、彼らは蜂蜜入りの蒸し菓子を作って宿の前で売った。
ついでに宿屋の厨(くりや)に作り方を教えて蜂蜜を売りつけて次の旅に出たのだった。


夏の終わりの嵐、吹き付ける暴風雨に崩れかけた無人の道観に潜り込む。
「撫…撫星哥哥……ここに、ヒャッ…!」
カッ…ドドッッ…ンッ…‼︎と落雷に全身を強張らせてどうにかこうにか心細げに言ったのは、いつ吹き飛ばされ下敷きになっても不思議ではないボロ屋の現実と、僅かばかりの下心だろうか?
「哥哥…」
ふわふわなあの羽衣を下に敷くと不思議にもそれは綿入りの半纏の上に乗る様な深々さと暖かさで、それでも咸宴はその上でペッタリと座り込み、養蜂箱を抱きかかえて身の置き所なくビクビクと外の様子を気にし続ける。

いつも通り、外の軒にでも行こうかと思っていた撫星は「ん?」と下から咸宴を覗き込む。しばらくすると耳後ろから、まるで仔犬の首筋を撫でる様に優しく沿わせて、彼女の安心した笑みを確認して一段下がった場所を陣取った。
「大丈夫だ、おやすみ」
にっこりと笑って横になる。
小咸。
小咸、君は今まで一人の夜を一体どうやって過ごしてきたのだろうか?
右手に残る彼女の香りを嗅いでいるうちに、いつの間にか健やかな寝息が背中の向こう側から聞こえてくる。



「死にたいほど辛い事だってあったのよ」
「うん」
秋口、背中合わせに互いの温もりを感じながら咸宴はポソリと言った。
「でも、死ぬのだってタダじゃない。死ぬ事だって生きるのと同じくらい、ううん、それ以上に難しい。だって、今私はこうして生きているんだもの。なら、それを精一杯やり遂げるしか私には出来なかっただけなの。挙句の果てが人殺しだったけれど…。私、地獄に落ちるかしら?」
「さあ、どうだろうな」
撫星は眼を閉じたまま答え、チラリと盗み見た彼女の運命簿を思い浮かべる。それはあの事件の後黒く塗り潰され、先の八卦は何一つ書かれてはいなかった。
「それでね………」
眠るのが惜しい体で彼女はブツブツと呟く様に次から次へと様々に話を続けていった。女子がお喋りで姦(かしま)しいというのは古今東西天上天下変わらないのだな、と撫星は可笑しくなる。話半分に聞きながら、彼は彼女の運命簿に思いを馳せる。
彼女の命運は、本来あの場で尽きていた筈なのだ、と思う。
その先は、彼女の思いのままか、私の思いのままか。
背中には生きた人の証である温かさと彼女の声の振動がジワリと伝わり、不思議と彼を安心させていた。

冬が近づくと蜜蜂達は鳴りを潜めて、薄暗い養蜂箱の中でただただ春の来るのを待ちわびていた。
「哥哥…」
咸宴は居心地悪そうに寝床の中で身を捩る。
「寒いから温めているだけだ、気にするな」
言いながら彼の息は咸宴の耳元に吹きかかり、彼女は益々居た堪れない。撫星の男性らしい太いしなやかな腕が腰に回り彼女を抱き寄せている。
「今更追い出さないでくれ。私だってこうしていると温かい」
振り解こうと撫星の手に自分の手をかけたところでそう言われて「そうなの?」と咸宴は撫星の方に顔をあげた。
撫星は半分眼を閉じていて、咸宴の頭が動いたせいで彼女の髪が鼻先にかかり僅かに顔を動かして眉を顰める。
おずおずと、咸宴は頭の向きを変えてそれに応える様に撫星は腕に力を入れる。彼女の耳後ろの小さなホクロを愛おしげに見つめる。

その年の冬は、咸宴にとって暖かい冬だった。


春が目覚めて、それでも撫星は彼女を抱える様にして寝むのを止める事はしなかった。
咸宴はもうすっかり安心して彼に身を委ねていて、彼女の安らかな寝息は彼にとっても居心地の良いもので、彼はじっと彼女が目覚めるのを待つのが好きだと感じた時、その春の日差しに負けないほど自分の中に暖かい気持ちが生まれている事に気づいてどこか当惑した。

当惑は、やがて確信に変わる。

咸宴。