第6章 亭国皇宮
帝都は華やぎ、王宮には五彩の布が掲げられ、金木犀(キンモクセイ)の花の香りが漂い、回廊には竜胆(リンドウ)や茉莉花(ジャスミン)の美しい花々が飾られ、维昊国の使者たちを出迎える。
太子 引天籟は、维昊大国の正使として金糸と深い瑠璃色の刺繍を施した月草の花で染められた薄い青色の衣を纏い、威風堂々と亭国宮殿の正門を進み、その傍らに侍従の一人として仮面を着けた秦玉風(引凰華)が立ち、彼らを守る兵達の長として周 天佑がその後ろに続く。
程なく正殿の近くの便殿に通され、秦玉風(引凰華)を含む数名の侍従と侍女が引天籟と共に部屋の中に入り、兵を指揮した周 天佑は扉の前で守りにつく。
この便殿は数十年前に焼け落ちた東林王宮を再現した宮で、庭から見える景色もそれに似せて作られている。当時より幾分 質実剛健ではあったが、何分かは東林王宮の絢爛豪華だった頃の様相を呈している。
あの日以来、周 天佑は秦玉風(引凰華)と親しく話す機会はなく、久方ぶりに彼女の姿を見かける。
秦玉風(引凰華)は引天籟の後ろに追従し、多くの侍従や兵達に付き添われていたが、周 天佑は秦玉風(引凰華)の様子をみて、ある異変を感じる。
それは仮面を着けている秦玉風(引凰華)を注意深く見ていないと分からない程度の小さな事で、他の者は誰も気が付いていないようだった。
仮面を着けているのでその表情まで推し量ることは出来ないが、恐らく彼女は体調が悪く、青白い顔をしているのではと、周 天佑は心の内で秦玉風(引凰華)の身体を心配する。
秦玉風(引凰華)はあの日、様々な事があり過ぎて疲れてしまい、風邪をひいてしまったのだろうか?
緊張してあのように青白い顔をしているのだろうか?
思いは巡る。
只ここは亭国皇宮内の便殿の上、公の場である。
周 天佑は心の内で気持ちは逸っていたが、秦玉風(引凰華)に近づくことは出来なかった。
部屋の中で 引天籟は秦玉風(引凰華)の様子に気が付き、侍従達を全て下がらせてから彼女に声をかける。
「大丈夫か?体調が悪いのか?」
「はい。お兄様(引天籟)なんだか少し体調がすぐれぬようです。」秦玉風(引凰華)は仮面を外し、その表情を露わにする。
彼女の顔色は青白く、その白皙のような肌が透けるようだった。
引天籟は心配そうな表情で秦玉風(引凰華)の蒼白な顔色をみて、すぐに彼女の手をとって脈を診る。
トクン、トクン
脈を診終った後、引天籟は秦玉風(引凰華)の手を置き、少し安心した表情で言う。「大丈夫だ。少し緊張して疲れたのであろう。私は後ほど亭国皇帝(楚北捷)と謁見をしてくる故、暫しこの便殿で休むがよい。」
秦玉風(引凰華)は頷き、促されるまま便殿の奥の間に行く。
奥の間は使者たちが宿泊できる幾つかの部屋があり、秦玉風(引凰華)はその一つの部屋へと入る。
各々の部屋にはそれぞれ いくつかの美しい壷と、真鍮で出来た睚眦(がいし)の像が飾られ、その奥に一揃えの卓と椅子、ベッドが用意されていた。
秦玉風(引凰華)は上衣を脱ぎ、ベッドの上で横になり瞳を閉じると、やはり疲れていたようで 次第に深い眠りに落ちていく。
引天籟は秦玉風(引凰華)の眠りを妨げないように侍従達に別棟の宮で待機するように申し伝えてから扉を押し開け、幾人かの護衛兵を秦玉風(引凰華)の警護の為に宮の外側に配備し、周 天佑を連れて亭国皇帝(楚北捷)との謁見の為に便殿を後にする。
周 天佑は心の内で秦玉風(引凰華)の事を気に掛けてはいたが、まずは公務が優先で、黙って引天籟に付き従う。
その日 深い眠りについた秦玉風(引凰華)は夢を見る。
それは儚く哀しい夢
一人の美しい女人が赤子を抱いて涙を流す夢