渡邉邸
新潟県岩船郡関川村
3,000坪の敷地に500坪の大邸宅。
広い土間、高い天井、重々しい梁組み、いろりのある茶の間、趣のある庭園など、
古いたたずまいの一つひとつに往事の暮らしぶりが偲ばれます。
渡邉家の初代は村上藩主の家臣で郡奉行として活躍。
寛文5年(1665年)、家督を嗣子に譲り桂村に隠居、寛文7年に現在地の下関に転居したと伝えられています。
その後、渡邉家の子孫は、廻船業や酒造業、新田開発などで富をなし、
財政難に苦しんでいた米沢藩に幕末まで融資をして、米沢藩勘定奉行格の待遇を受けました。
全盛期には75人の使用人を抱え、約1,000haの山林を経営、約700haの水田から10,000俵の小作米を収穫したといわれています。
(関川村HPより)
江戸時代中期、京都から遠州流庭師を招いて築かれた廻遊式の庭園。
剛毅な中に、繊細な印象も随所にうまく織りまぜてあります。
石材の多くは、紀州・小豆島などの関西方面のものが使用されています。
(関川村HPより)
田園風景が広がる関川村にあるとは思えない
洗練された庭園です
お寺の庭園とはまた違った趣があります
少し青みがかった池の水が神秘的に見えます
新潟の豪農や豪商達の優雅な生活が思い浮かびます
切妻造りの豪壮重厚な母屋。
この屋根は、石置木羽葺屋根撞木(いしおきこばぶきやねしゅもく)造りという珍しいものです。
たび重なる火災被害後、文化14年(1817年)に現在の建物が再建されました。
中に入ると、母屋を南北に貫通する広い土間が開けます。
茶の間、中茶の間、台所が土間に面しており、順に1段づつ低くなっています。
また、柱や丸桁、敷板などには、厳選された巨木良材が用いられています。
(関川村HPより)
渡邉邸のごく一部をご紹介しましたが
規模の大きさには驚きました
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