経済界のHP 
http://keizaikai.co.jp


にほんブログ村

kireiStyie 美の賢人ブログ


4回目となる金の卵発掘プロジェクト2014




思えばこのプロジェクトを始めようと社員に発表したのが、社長になって10年目の2011年の夏のことでした

父のお言いつけを守って、粛々と会社を運営していたのですが

社長なのに、何一つ自分のやりたい仕事をやっていないじゃないか

と、いうことに気がついて

そろそろ自分のアイデアで、新しい何かを始めたい、と思ったことが、きっかけでした

ある朝、朝礼で社員を前に「父のお言いつけどおりに運営してきたけれど、社長歴10年になったし、そろそろ新しいことを始めます

そう言うと、社員たちはドン引き

何せ、我が社は創業50年を迎える、旧態依然とした文化が根強い企業ですから

前例のあるルーティーンワークは得意でも、前例がないことは苦手な傾向

主幹(父のこと)の娘(私)ごときが考えた、うまくいかないかもしれない企画なんかより、今まで通りのルーティーンワークを守っていくことの方が大事だもんね、、、

そんな社員たちの心の声が聞こえてくるようです

それでも、主幹(父のこと)のDNAを受け継いでいる、ちょっとめんどくさい女社長(私のこと)は

キミたちが手伝ってくれないなら私がやるよと、行動開始

社員たちにドン引きされたことを、食品関係の会社を営む妹分に愚痴ったところ

「それ、私やりたいですっ 」と目をキラキラ輝かせて手を挙げました

ならば、善はいそげ、とばかり、その日から、二人で起業家や起業家を目指す若者たちが集まる飲み会に出まくって

「キミも応募してね 」とチラシを配り、広報活動しまくりました

前例なんかなにもありませんし、その企画が成功するかしないかなんてわかりませんが

プロジェクトへの熱い想いを伝えるために、起業家たちに会って広報しまくっていたら

ドン引きしていた社員たちも、一人、二人と率先して手を貸してくれるようになり、徐々にプロジェクトがカタチになっていきました

そして迎えた応募締め切りの日

「大変ですっ、パソコンがオーバーヒートしちゃいました

締め切り当日、我が社のぬるま湯パソコンくんは、同時に一気にデータが殺到した異常事態に耐え切れなかったようで

なんとなく、勝ち誇った気分で、フン、どんなもんだい と鼻を鳴らしてしまった

応募してくれたみんな、ありがとうねっ


金の卵発掘プロジェクトfecebookページ


人口減少は止まらない昨今

労働力が若くないと国力は弱まる一方です

だから、大人たちは、「今時の若いもん」たちの斬新なアイデアや技術、ヤル気や勇気に後押ししてあげることが大事なんです

「出る釘」を育てることが国力アップの鍵 ですから

しかも、こんなに厳しい時代に「起業」するなんて人は、よっぽどの強い想いや高い志があってのこと

だからこそ、社会全体でヤル気ある若者を応援しようではありませんか

そんな想いで「金の卵発掘プロジェクト」を立ち上げました

経済界大賞&金の卵発掘プロジェクト表彰式

今年は4年目、ドン引きしていた社員たちも率先して動いてくれる仲間が増えて

今年は、豪華審査員のほか、金融機関や個人投資家、ベンチャーキャピタルなども審査委員会にお呼びする予定です

社員たちみんなの想いが大きく膨らんだおかげで、昨年までとはちょっとレベルアップした運営ができそうです

何もないところから作るのが面白いのが「前例」

新しいモノにまずは疑ってかかったり、拒否反応を示すことは普通のことですから

それでもやり続けることで、共感の輪を広げていくのだ、ということを実感しました

社会全体で、若い活力を応援していこう

そんな想いに共感してくれる人たちの輪も大きく膨らませていきたいな

さて、今年はどんな金の卵たちに会えるでしょうか

熱い想いがたくさん詰ったあなたのビジネスプラン、お待ちしていますよ

 

経済界のHP 
http://keizaikai.co.jp


にほんブログ村

kireiStyie 美の賢人ブログ



 経済界のHP 
http://keizaikai.co.jp


にほんブログ村

kireiStyie 美の賢人ブログ


大阪で仕事を終えた後、父の心の故郷である、茨木市のお寺を訪ねて
 
なんだか心がとても感動して、しばらくその場にただずんでいました

父や叔母が子供の頃に、笑い転げながら走り回った楽しい思い出の地

いまだ感動冷めやみません

さて、それでも現代人は、文明の利器を使って前に走り続けます



関西にはおいしいものもたくさんありますが、せっかくのレンタカー、有効活用しちゃいましょう

と、いうわけで、茨木を後に、淡路島にGO

淡路島は3回目ですが、なぜに淡路島かというと

絶品タマネギと幻の牛

美しい夕陽を眺めながら、日本最古の地で自然の恵みを食そうではありませんか 
 
約一時間半のドライブで夕陽が美しい淡路島に到着

 

さて、目指すは、パソナが運営する「のじまスコーラ」

 

廃校になった小学校を、物販やカフェ、レストラン、そして、コミュニティーとしてパソナが再生

 

勇壮な和太鼓の音が、体育館から聞こえてきました

若者たちの和太鼓レッスンをしばし見学させていただいて、う~ん、若いっていいね
 

 

楽しみにしていたのじまスコーラのイタリアンディナーは、地産の海の幸やお野菜をふんだんに使ったおいしいイタリアンです

おいしすぎて、ほとんど写メらずに平らげてしまいましたが

淡路牛だけは、抑えました

筋肉質で柔らかい淡路牛は、生産量が少なく、ほとんど他県に流通されていない希少な牛さんです

 

塩だけでいただく絶品淡路牛、う~ん、シアワセですっ

ココは、経済界ビジネススクールの課外授業でパソナ代表の南部靖之さんのご紹介で来て以来、すっかりお気に入りの場所になっています

そういえば、南部さん、しばらくお会いしていないけど、お元気かなあ~

南部さんも、ココが好きでよく来ていると言っていたっけなあ~

お食事を終えて、スタッフに「南部さんは時々来られるんですか」と訪ねると

「えっ、南部とお知り合いですか、今、上の階でセミナーやっているんで、会っていかれてください

農業従事者を育てるための講習会で、若者たちと一緒に、畑で採れた野菜バーベキューディナーの最中で

笑顔が眩しい若者たちに囲まれた南部アニキの姿が

わあ~、なんという偶然

久々の再会を喜び合います


 

若者たちの中には、外国人も多く、希望にキラキラと目を輝かせて笑顔がはじけていました

人口減少に歯止めがきかないわが国の国力アップには、若者たちが希望をもって働ける社会にしていくことに限ります

労働力が若いと、活気にあふれ、活力ある社会が育ち、新しい産業のカタチもそんな環境から生まれ出るものなのです
 
だから、われわれ大人たちは、若者たちの夢や希望をカタチにしていくために尽力しよう、ということを

社会全体でもっと活性していくべきなのです

人材派遣業通じ、国籍を越えた若者支援を自ら率先していらっしゃる南部アニキに偶然お会いできたことも 
 
南部アニキ率いる農業従事者を目指す若者たちと出会えたことも大いなる刺激となりました

 

わが「経済界」も創業50周年

新しい経済界の幕開けの年でもあります
 
若者たちから元気いっぱいのエネルギーいただけたし、前を向いて歩き続けよう




経済界のHP 
http://keizaikai.co.jp


にほんブログ村

kireiStyie 美の賢人ブログ



 経済界のHP 
http://keizaikai.co.jp


にほんブログ村

kireiStyie 美の賢人ブログ



父が歩いてきた道のりは波乱にあふれるものでしたが

そんな父にだって、幼少期はあったわけです

しかし、その頃をよく知っているのは、父の妹である叔母しかいないので、叔母から聞き取り取材をしています

父たち家族が昭和12年くらいから5年間程度、大阪の茨木市に住んでいた時のこと

茨木市に住んだのは、逓信省に勤めるエリート官僚であった、祖父の転勤のためだったそうです

 



「背が高くて素敵で、とっても優しくて、自慢の父だったの 」といつも叔母は目を輝かせて語ってくれます

茨木市時代は、一家揃って平穏な暮らしができており、思えば、父たち家族にとって最も幸せな時期だったと、父が残した原稿に、何度も出てくるのです

しかし、実はとても悲しいことがあった時でもありました

当時13歳だった父の姉と、5歳だった父の妹が、この地で亡くなっているのです

何せ、昭和13年から15年頃のこと、日本全体が貧しく、栄養不足で医療技術もありませんでしたから、幼子が亡くなることも珍しくはない時代のこと

 

そう思うと、医療技術だけでなく、あらゆる産業が発展してきたことは、実にありがたいことだと改めて思うのです

幸せだった父たち家族の悲しい出来事を忘れすに弔うことが、血縁のお役目ですから

叔母からの聞き取り情報を頼りに、茨木へと足を運ばせます

大阪市内から車で40分程度の茨木市

叔母からの情報は、お寺の宗派も名前もわかりませんが、お寺の近くにお焼き場があったということと、少し丘っぽく地形が高くなっている場所、ということくらいでした

そもそも70年以上も前のこと、お焼き場事情に関しても、現在とは違うので、調べようがありません

しかしそこは父のDNAを持っている私のことですから、「まず動け、そこから泉がわいてくる」を信じての行動です

当時佐藤家が住んでいたという「春日村」から、子供の足でも何とか歩いていけそうな範囲の寺を探す小さな旅のはじまりです

父や叔母が通った「春日小学校」は今でも同じ地にありました



現代人の便利グッズ・カーナビ検索によって、春日村から徒歩でいける範囲のお寺を訪ねることに

最初にコレかも、と思った寺は、叔母が語った雰囲気とまったく違うのでスルーし

次は、少し丘のような地形だったという叔母の記憶のイメージに似通った場所にある「慶徳寺」がヒット

慶徳寺の付近は、まるでそこだけタイムスリップしたかのような場所でした


車が通れないくらいの細い道幅といい

いったい何年前からあるんだろうと思うような庄屋っぽくて旧い立派な門構えの家といい


きっとこのあたりに間違いないのではと、根拠もなく感じるのです

慶徳寺に足を踏み入れると、警戒した目つきのニャンコたちがじっとこっちを見ています



「すいませ~ん、このお寺の方はいらっしゃいますか

するとほっそりした品のいい女性が出てきて対応してくれました

70年前に亡くなった、私の叔母にあたるふたりの子供に手をあわぜにやってきたことを話すと、品のいい女性は、とても親身に接してくれました

「昔、この辺りにお焼き場はありましたか

「はい、今は墓地になっていますが、かつてはお焼き場があったと聞いています

品のいい女性はこの地の人ではないのだそうですが、ご近所に住む90歳の生き字引的存在のお婆さんから聞いて、お焼き場のことは知っていたと言います

この地にお焼き場があったことを知る人は、今では地元でもほとんどいないそうです

叔母の記憶のお焼き場がキーワードになったとはいえ、このお寺の品のいい女性に出会えたことも奇跡的なことです

「それにしてもわざわざそのために東京からいらしたのですか?ご縁のある人に手を合わせてもらえるなんて、仏さまもお喜びですね


 
実は慶徳寺、昭和32年頃に火災にあい、建物も旧い資料も焼失してしまったため

現在の建物は復旧したものなのだそうです

ですから、当時10歳くらいだった叔母の記憶にあった「大きなお寺」というよりも、だいぶこじんまりした印象でした

かつて門のところにあったという大きな五葉松を再現しようと、育てている最中でしたが、大きな五葉松は、叔母の記憶に残る情報のひとつでもありました



品のいい女性に丁重にお礼を述べて、お焼き場があったという場所に行ってみました

慶徳寺から徒歩5分程度の場所で、あたりには活き活きとした稲が育つ田んぼが広がっています



地元のこじんまりした墓地の入り口に、お地蔵さんが並んでいました

70年前も現在も、子供は甘いものが好きでしょうから、サクマドロップを供物にして手を合わせます



「来てくれて、ありがとうな

そんな父の声がどこからか聞こえてきた気がし、なんだか感動して涙があふれそうになりました

それにしても、叔母の記憶情報だけでここにたどり着けたのは、目に見えない何かが道先案内をしてくれたのかもしれません

茨木の地の青々した稲穂がさわさわとそよ風に揺られています

父の姉妹たちの短い生涯最後の地で、子供たちの笑い声が遠くに聞こえた茨木の青い空





経済界のHP 
http://keizaikai.co.jp


にほんブログ村

kireiStyie 美の賢人ブログ