これから夏休みだ❢と週末に入った矢先に、虫さされのような発疹を発見したその日の夕方から「寒い。。。」との訴えに高熱になっていた長男。


緊急病院へ電話対応してくれた旦那と、辛そうな長男と、何も変わらない長女を連れて緊急病院へ。


「ただの夏風邪であろう。」「手足口病でも水疱瘡ではないだろう。」という診察結果で終わり。。。

なんだかパッとしない、モヤモヤ感が残る週末に、高熱と咳、倦怠感に食欲不振となっていく長男。


平日になり、かかりつけ医へ受診。


その日の夕方が悪化する。咳き込みしすぎて嘔吐。気管支炎持ちの長男。

「咳が出るから、ヨーグルトでいい。」食欲不振へとなっていく。

食べたくても、咳き込みしすぎて嘔吐になるから、いらないと、拒否していく長男。高熱が続き、倦怠感が続くばかり。


日中、微熱になり、倦怠感が消え、玩具遊びや夏休みの宿題をやる長男を見ては、不安が拭えないものだった。


過去に気管支炎喘息になったことがあるだけに、不安が拭えず「きっと治る❢」と、信じながら看病するものの、かかりつけ医受診して3日目の夜に、血が混じった嘔吐。そして、長男がトイレへと行かれたとき、妙に母親の勘なのか、胸騒ぎがした私は、長男の後を追い、排尿チェックをすると、血が混じった尿を排泄。益々不安となる。


旦那が緊急病院へ電話対応してくれたものの。。。

「こちらでは、判断出来かねないので、小児緊急センターか119に。。。」と、言われたようで、電話番号を教えて貰った小児緊急センターへ問い合わせるも、繋がらないとなった夜。


119に電話をするか。。。朝を迎えるまで待ってかかりつけ医に行くか?素人の私達には、悩んだものだ。

出来ることなら「119に電話してください。」と、言われた方が、行動しやすい。素人人間に、判断委ねられたら、わかりやしない。。。


そんなモヤモヤと不安いっぱいの夜を過ぎて、朝を迎え、かかりつけ医へ。


「病原菌による感染で、腎臓病の疑いがある。」と言われ、紹介する病院が見つかるまで、別室で待機となった。


「腎臓病」という言葉に、かなり自分を責めた。


119に電話をしよう❢と旦那に言えばよかったのかもしれない。。。

もうすでに、悪化してるはずなのに、これ以上悪化したら、119に電話をなんていう判断がいかなかったのか?

月曜日にかかりつけ医受診したが、火曜日にもかかりつけ医受診すれば、まだ薬が変わって、こんな事にならなかったのでは?

そもそも、小児科ではなく、少し遠い耳鼻咽喉科に行けば、もっと、適していた薬を貰って、こんなことには、ならかったのでは?


そんな気持ちを抱きながら、一つ一つ、看護師から医師からの説明を、忘れないよう、仕事中の旦那にラインで情報を送っていた。


徒歩中心の私は、タクシー代がかかろうと、長男の命が大事だと、近くの大きい病院を紹介されるであろう。そんな気持ちで待機していた。


今でも忘れられない待機していた一瞬の楽しさ。

「お腹空いた。なんか食べたい。」と、長男が言った言葉嬉しかったのを覚えている。病院探しに追われている看護師に、状況説明し、長男を看護師に託し、長女と一緒に近くのコンビニへ。


帰宅して、待機室で、長男と長女が美味しく食べる姿に『大丈夫❢ヨーグルトしか食べてくれなかった長男が、ドーナツパンを❢イチゴヨーグルトを嬉しそうに食べているから、大丈夫❢』そう、自分に言い聞かせながら、これから紹介される病院への行動を、一人で考えていた。

この楽しく食べ合う二人の、嬉しそうに、美味しそうに頬張る二人の時間が、今でも浮かぶ。浮かんでは、入院生活中の長男の痛々しさと狭間な記憶に、涙が止まらない日々となる。


そして、待機中に、難聴の私は、とにかく、紹介される病院へ向かったら、筆談で対応してもらうよう医者、看護師らに、話を聞こう❢入院なんて、絶対ないはず❢


そう気を強く持ちながら、一つ一つ情報を旦那にラインしていると、午後から半休してくれたことで、少し負担が消える思いを感じた。


紹介された病院は、自宅から少し遠い場所となった。近くにある大きい病院だろうと思っていただけに、ショックとこれからの不安感に、なんなら、怒りさえ感じた、この言いようのない感情は、言葉にできない。


徒歩中心である自分の情けなさに苛立ちながら、それを少しでも追い払うかのように、運転する旦那に、色々とお喋りしていた。何を話したかは、記憶がないほど。


紹介された病院へ受診し、入院となった。

「溶連菌感染後急性糸球体腎炎の疑い」


自宅までの距離が距離だけに、不安よりも、徒歩中心の自分と、なんのゆかりもない、神奈川の交通機関に詳しくない自分のぶがいなさに、イライラしていた。

そして、更に自分が専業主婦であることにもイライラしてならなかった。


長女も含めて、長男の付き添い入院生活が出来ない苛立ち。

専業主婦であり、経済能力がない苛立ち。

交通機関に詳しくない苛立ち。

神奈川ではなく、九州だったら、どんなにいいことだろうと、一瞬でも思った。

九州だったら、気兼ねなく母親を長女に託し、長男を付きっきりで看病出来たのではないか?とさえ思った。

最後は、なぜ、こんなに遠い病院なんだよ❢と苛立ち。


旦那の「タクシーなんて、かなりかかるよ。」「バスなんて乗り換えもあり、聞こえないでしょ?乗れる?」その言葉に、益々、何もできない自分の情けなさに苛立ち。


そんな感情を、必死に飲み込みながら、入院手続きの紙を書いていた。そして、点滴に繋がれた長男の涙に、見てられなかった。けど、必死に寄り添い、入院手続きの紙を書いていた。


「一緒に頑張ろう。」

「お母さんも寂しい。けど、一緒に寂しさを頑張ろう。」

「退院したら、沢山お出かけしよう。」


長男もまた、必死に入院を受け入れようと頑張ろうと

「僕は、どこの部屋なの?」

「いつまでなの?」

「もしさ、夏休み終わったら、学校どうするの?」


そして、平日は、仕事の後旦那が面会し、私と長女は、家で過ごし、週末は、家事を色々して昼ご飯を食べて、家族皆で病院へ。


4歳の長女は、感染防止のため、長男の部屋に入れず、退院する日まで会えない。そんな長女もまた、寂しさを抱いている。


週末で、長男と二人きりの時間は、もう涙涙である。

痛々しさの姿で、頑張っている長男。

どんなに感動するドラマでも、感動の気持ちはあっても、どこか作り話という冷めた感覚で、涙が出ない私は、我が息子には、堪える。


子供一人で入院生活の精神面が、計り知れない。

親がいなくてもいても、食事量は変わらないと、誰かが言った。

そういうことじゃない❢親がいるいないで、精神的に変わってくる。何も出来ない自分は、そんな言葉さえも言えない。

なぜなら、今の私が口にしては、無責任のように思えてならない。


「お母さんがいい。」と言われた長男の言葉に、どれだけ嬉しいことだろう。

私が来ると、嬉しそうに、塗り絵をしたがる。

私が帰ろうとすると、途中でやめて塗り絵を閉じる長男。

そして、泣きながら嗚咽や嘔吐。


この文章を打つだけで、涙が止まらない私だ。

私だけじゃない。長女もまた、一人で泣くことが増えた。家事中に、やけに静かだな、と思うと、角の隅っこで泣いてることがある。

いつも当たり前のようにいる長男が、いつも喧嘩しては仲良く遊んでいた長男がいなくて、一人遊びが増えた長女。

そんな長女もまた、空気を読みながら、笑顔で遊びつつ、一人で隅っこで寂しさを感じているようだ。


今日はここまでにしておこう。。。

涙が止まらない夜だが、長女がいる。泣いてばかりではいられない。


強くならねば❢