2月になり、もう少しで小学2年生になる長男。
言葉の成長は、どこまで向上していくだろうか?
今では、不安もあるが、楽しみが大きい。
長男を、信じているからこそ。
ここまでに、どれだけ悩んだり、悔やんだり、不安感抱きながらも、よく、前に進んだ自分を誇りに思う。
長男も、長男で、よく頑張ってる。
長男が、小学生になったときは、やっと。。。という思いと、もう❢という長かったような、短かったような、なんとも言えない気持ち。
長男を授かった時は、嬉しさと同時に不安もあった。
なぜなら、難聴である私が親であり、将来この子に、障害を持った親というレッテルで、いじめに合わないだろうか?など、色々と見えない先に不安を抱いては、何かあったら必ず守ってみせる❢
そんな思いで、妊娠生活を送っていた。
出産時は、大きな声で泣かれ、無事に産まれた時は、ホッとした。
長男の産声に安心した記憶は、今でも鮮明に覚えている。
もしも、私と同じように、難聴だったら、せめて、私と同じように声だけは、出せる子であってほしい。
できる事なら、難聴でもなく、障害もない、健康で丈夫な子であってほしい。
そんな思いで、必死に命がけて産んだものだ。
初めての育児に、ピリピリしてた私は、とにかく、神経質になっていた。
気持ちよく寝ている長男の寝顔に、何度も息してるか確認していたことも。
1歳、2歳、3歳と。。。言葉がなかなか出ない中でも、毎日毎日、長男と向き合っていた。
妊娠が、発覚して、パートを辞めた私は、何度も辞めなければよかったのか?
経済的を、考えると。。。と、色々と悶々しながら、なんで、こんな不安も、女性ばかりなんだ?
ワンオペ育児の中、初めての子育てに、情緒不安が半端なかった。
母子保健センタースタッフや、児童施設スタッフのサポートの方に、どれだけ、救われただろうか?
九州で、良かった。。。と思うほどの周りの温かい環境が、どれだけ居心地よかっただろう。
スーパーに行くと「あら。坊っちゃん。」と、肉屋のスタッフに、話しかけてくれたり。
ずーっと、このまま、転勤辞令がないといいなぁと、思ったほどだ。
長女を授かり、妊娠中は、私の母親に助けを求めた。
悪阻で、長男をかまってあげられず、また、長女を産んでからも、かまってあげられないからこそ、母親に協力を求めていた。
母親にも、長男に言葉が出るよう、沢山話しかけて貰うよう、協力してもらった。
関東へ引っ越ししてからは、九州ならではの温かな環境の中で、育った私も含めて、長男も長女も、なかなか、馴染めずにいた。
片や疲弊して、ずーっと、嘔吐・発熱を繰り返しては、寝てる長女。
片や「九州がいいー。」と泣きわめく長男。
「戻れるもんなら戻りたい❢」と、苛立ちながらも、必死に対応する私は、心も体も、ボロボロだった。
けれど、へこたれる訳には行かない❢
そんな気持ちで、九州にいる母親に救いを求めた。
今では、決まった時間に電話をするようになっている。
「今日は、お婆さんからの電話あるよね?」と、毎日楽しみにしている二人。
いっぱい、喋って、口の筋肉を使って、発音がしっかりになるよう、お婆さんと、これからも楽しい電話しておくれ❢
学校から帰ってくると
「今日ねー、えっとさー、給食、全部、食べた。」と、1つ1つ、ゆっくりだが、報告してくれる長男。
「あとさー、えっとさー、転んだ。」と、話され、学校で過ごした事を、話したくて仕方ない長男。
今日、転んだんだ?何をして転んだの?
「えっとさー、なんかさー、走ってさー、こーやって、転んだ。」と、体で表現しながら、話す姿に
いつまでも、いつまでも、こんな風に、ずっと変わらず話してくれたらいいなぁ。
と、思いながら、毎日毎日、長男と長女の話を、楽しく聞いている私。
この時間が、1番好きである。
寝る時間になると
疲れた体を横にして、早く休みたい私は、なかなか寝ない二人に
「はよ、寝て」と、何度も言いまくる私。
流石に、寝る時間も、長い話はしんどい。
年は勝てない。。。
寝る時間は、スッと寝てもらいたいもんだ。。。
だが、長男は
「ねぇー、あのさー、えっとさー」
もう寝よ。。。(頼む。。。休みたいんじゃ。。。)寝て❢と、頼む私をよそに
「どんな約束する?」と、毎夜、必ず言う長男。
早く寝るという約束❢と言うと、しょうがないという表情で、約束パンチをし合う。
若くないんですよ。。。母さんは。。。
夕方までが、限界なんですよ。。。母さんは。。。