思えば、ここまで来るのに、どれだけ苦しかっただろう。

振り返る度に、「〜たら」「〜れば」な気持ちが、凄く感じるものだが、当時は、当時で、いっぱいいっぱいだった。


2歳、3歳と、なっても「マンマンマン」「あー」「うー」しか、発しせず、不安になるばかりだった。

それでも、人との関わりが少ないからだ。と、毎日毎日、児童館や子供と触れ合うようなイベントなどに、駆けつけた。


人見知り、場所見知りの長男は、私としか接しないからこそ、不安になるばかり。

ならば、私も、頑張らねば。

なのに、難聴である私は、頑張ろうとしなかった。

なぜなら、人との会話には、かなり神経使うため、億劫だっだ。

目が離せない長男の方に、神経を使うことに、いっぱいだった私は、聞き取る神経を使うのを避け、人との触れ合いを長男に任せきりでいた。


言葉がなかなか出ない事で、習い事をしたらどうだろう?と、近くにあるピアノ教室を、始めてみた。

しかし、どうだろう。

習わせてみるものの、音楽に興味持たず、言葉も一向に出てこない。


3歳半になり、ようやく出た言葉。


「はい、どーぞ」


これだけである。


「ママ」「パパ」「わんわん」さえも出ない。

唯一、出た言葉が、いつも、私が発する「はい、どーぞ」のみ。


「はい、どーぞ」が、発した時は、もう、嬉しかったのを覚えてる。


大丈夫だ❢ちょっと遅かっただけ。これから、これからだ。と思っていたが、4歳になろうとしてるのに、出てこない。

一生懸命、お喋りするものの、聞き取れない。

発音が幼く、聞き取れず、私のような難聴タイプなのか?と疑い始めた。


だが、普通の人でも小さい音でも敏感に聞き取る長男の姿に、難聴とは、思えなかった。


児童キャッチスタッフに相談したり、母子保健センタースタッフに相談したり。


3歳になって、ようやく、始めてみた言語施設にて訓練。

だが、10日間で「行きたくない」と強い拒否反応をする長男。

それでも、必死に誘導して連れいくものの、限界だった私は、退会を求めた。


後悔するかもしれませんよ?

今は、行きたくないと拒否反応されるが、長男の為にも、お母さんも鬼になって。。。と色々言われるものの、私の心が限界だった。


なぜなら、赤ん坊の長女を見ながら、拒否反応する長男を、必死に言語施設に連れて行くことや、強いストレスを抱く長男の症状が、大変だった。


大好きないちごを食べても、ちょっとしたストレスで、戻してしまう。

何度も何度も嘔吐する長男の姿に、もう見てられなかった。

絵が大好きな長男が、真っ黒に埋め尽くした絵を見た時は、ゾッとした。

真っ黒に描く姿の長男の表情にも、ゾッとした。

懇願してやめた言語施設の名前、施設の名前に似たような言葉も、口にすると、ひきつった表情になる長男。


一からまた探し、4歳半になってようやく見つけたのが、病院のような言語施設へ。

体験しに行く日は、ドキドキと不安が半端なかった。

場所見知り・人見知りの長男は、果たして、すんなり、施設へ入るだろうか?

拒否反応をするだろうか?


そうドキドキ不安していたが、スッと施設へ入り、楽しそうに初めての検査を受けて、楽しく言語訓練を受けていたときは、もう、それはそれは、ホッとした。


長男は、病院のような造りの施設で、個人指導が、一番適してるということが、分かった私は、このまま訓練を受けて、言葉が❢発音が❢しっかりと出ますように❢と、強い思いを抱いた。


初めは、順番待ちで、月1の訓練。

その日が来ると「言葉の病院に行くんだよね?」と、いう、発語をする。

発音は、聞き取れないものの、そんな言葉を発し、楽しそうに、向かう長男の姿を見ては


大丈夫❢必ず、しっかりと聞き取れる発音が、必ず出るはず❢

少しずつ、お喋りするようになってきたから、大丈夫❢


そう、思いながら、その施設のスタッフに、託していた。


5歳になり、ようやく順番が来て、週1の訓練となった。

5歳半になっても、一向に聞き取れる発音が出ない。

2回目の検査を受けるものの、結果は同じ。

IQが、低く。だが、医師は

「今の段階で、判断するのは難しいから、訓練をして、また検査を受けて、判断するのもいいですよ。」


その言葉を信じ、必ず、発音がしっかりと聞き取れるようになって、会話になるはず❢

そう思いながら、週1の言語訓練を受けに行っていた。



すっぽん小町

 


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