今回は神頼みの是非という話を、していきたいと思います。
世の中には、様々な神様がいます。
日本で神様と聞いて最初に思い浮かぶのが、神社ではないでしょうか?
特定の神様を信仰していない人でも、日本人であれば少なくとも1回は、神社に参拝したことがあるかと思います。
そして神社に行った際は、願い事をします。
例えば
「試験に合格したい」
「運命の人に巡り会いたい」
「企業して成功したい」
上記はほんの一例です。
仮に神社に行かずとも、何か困った時や試練が立ちはだかる時に、心の中で祈ったことはないでしょうか?
「上手くいけ」
「失敗するな」
といった感じに日常生活の中で、無意識に願っていることが多々あるのです。
誤解があると困るのですが、願うことが悪いと言っているのではありません。
むしろ願いがあるから、人は進化することができるのです。
考える必要があるのは、願う時のスタンスになります。
例えば「運命の人に巡り会いたいです」と、毎日神様を拝んでいる人がいたとします。
一方で自身の魅力を高めることや、出会いの場に赴くことは全くしていない。
神様への参拝は毎日欠かしていないけど、解決するための具体的な行動は全くしていない状態です。
言い換えれば、全部神様に依存してしまっているということです。
考えてみて欲しいのですが、神様は常日頃から何百・何千という人の、願い事を聞いています。
そんなに沢山願い事を聞いていたら、「叶えるとしても好印象な人からにしよう」と思うのではないか?
"頑張っている"、"誠実である"、"本気度の高い"といった人達の願いを、叶えてあげたいと思うのではないか?
そういったことを、考えるようになりました。
実際神様がいるか否か、気持ちで判断するか否かは、僕にはわかりません。
しかし事実として、誰かに全力で寄りかかって、自分では何もしないというスタンスは、現実の人間関係でもいい結果を生みません。
調子よくお願いばかりして何もしない人間を、大抵好きにはなれないと思います。
言行一致し、誠実に相手と接する人間が好かれるのです。
僕は神社を願い事を叶えてもらう場ではなく、願い事を宣言する場所だと思っています。
現実を変えるのは、あくまで自分の力によるからです。
様々な巡り合せもあると思いますが、究極的にはそれさえも自身が選んだ結果と言えます。
だから神社に行く時は、
「願い事を実現してみせます、だから見ててください!」
みたいな気持ちで、参拝します。
声に出さなくても願い事の実現を宣言することで、「やってやる!」という気持ちが湧き出てくるのを感じます。
やる気が満ち、実際に行動することで、最終的に願い事は実現するのです。
願い事をする際のスタンスを変えて、現実の行動を通して叶えていきましょう!