長文になります。
ブログでもお伝えしていたように、昨日第22回日本緩和医療学会学術大会の市民参加セッションでお話をさせていただく機会をいただきました。
今回の市民参加セッションは「拝啓 若者たちへ〜AYA世代の今を“生きる”ことを考えよう」をテーマして特にAYA (Adolescent and Young Adult) 世代(10代後半から30代の方々)に着目したセッションでした。
このAYA世代とは主にがん領域で使われる言葉で、患者さんは進学や就職、恋愛、結婚など他の世代とは違った悩みにも直面するため、病気の治療だけではなく別の配慮が必要であることが最近ようやく認識されてきています。
今回の講演の中で、私はこれまで公の場で話したことがなかった自分の話もさせていただきました。
このブログを読んでくださっていたり、普段テレビでみてくださっている方にはびっくりされてしまうかと思います。
実は私自身もAYA世代のがん患者の一人です。
私は18歳のときに悪性リンパ腫という血液のがんになりました。
見つかったときはステージ4(ⅣB)という進行した段階でした。
抗がん剤や放射線の治療を受けて、その後がんの再発も経験したり絶望の中にいた時期もありましたが、現在はがんが寛解して11年以上たちます。
がんの治療は受けたらそこで終わりというものではなく治療後の影響も色々あるものの、いま前向きで自分らしい日々を過ごせています。
私は闘病中から、もしも自分に命があればいつか必ず自分の経験を人に話そうとは思っていました。
当時元気になった人の姿を見たり話を聞ける機会が本当に少なく、そういう人の姿を知ることが患者にとってどれだけ活力になるか身にしみていたので私も必ず話すべきだと思っていました。
そして、私が話すときには、患者さんやご家族がみて身体的な面でも精神的な面でも社会的な面でも希望を感じてくれる存在にまずは自分がしっかりとなってから話したいという思いが強くあり、メディアでがんとは関係なく私の存在を知って頂いたり、医師としての診療を行ったり、いつかこの話をできるようになるためにここまで少しずつですが積み重ねてきたつもりです。
ただ、ずっと前からそのつもりでいましたが、それでもいざ話すとなると躊躇した部分もありました。
これまでがんとは知られず築いてきた人間関係や職場、このブログをみてくださっている方からの印象もかえる可能性もあるのに、あえていまから公にする必要性は本当にあるだろうかとも不安にもなりました。
以前、この学会の大会長で緩和ケア医の有賀悦子先生からこんなお言葉を教えていただきました。先生ががん患者の立場の方からこのように言われたそうです。
「患者が患者の経験を話すということはつるの恩返しなのです。自分の羽を抜く痛みを伴いながら、それが何かに役に立つことを祈り、協力するのです」
がんに関しては悲しかったり不安になるような情報が世の中で取り上げられていることが多いです。
そんな中で、がんになったあとの自分も肯定して前を向いて進んでいる1つの例として誰かの目に届くことは意味があることだと思いましたし、また私が話すことで新しい輪が必ず広がっていくはずだと考えているので、昨日私は羽を抜いてみました。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
こうしてようやくみなさんに公にでき、また話すまでの経緯をお話できて感謝しています!長くなりましたので治療や心境、考え方など様々な話はまた機会があれば少しずつお伝えできればと思います。
今後とも変わらずお付き合いいただけると私としては嬉しいです。
私の第1部の講演のあとに第2部の小泉進次郎さんが登壇されたセッションの流れの中で小林麻央さんのことも少し話題にあがり、その場で涙を抑えることはできなくなってしまいました。
どなたであっても若くて未来のある方が亡くなるというのは本当に悲しい出来事です。
私は麻央さんと同じ事務所に所属しているものの、残念ながら直接お会いしたことはありません。
画面を通じて感じる可憐さや伝え聞くお人柄からも憧れの方でした。
私がこれ以上多くを語るのはおこがましいですが、同じくAYA世代のがん経験者としても、きっとブログではみせない苦しみや葛藤があったことを拝察して胸がしめつけられるような気持ちになります。
ブログを通じて麻央さんはご自身の羽からいろどり豊かな布をたくさん織って、多くの人に与え、多くの人の心を温めてくださったように感じました。
心よりお悔やみ申し上げます。