退院してから1日くらいは模様発作もありませんでしたが、体からウイルスが無くなると、また発作は増加…
しかも間代発作もあります。今までは欠伸発作がほとんどだったのに、また形が変わってきたみたいです。
そして、見る頻度もかなり多く、周りの人間がへこたれてます。
さて、GWに旦那の幼馴染のお家でピザパーティがありました。
そこで、ゆゆの病気の話をしました。
旦那の幼馴染のうち、ゆゆと同学年の同じ学区の子がいるのです。
まだ就学のことは決めてないけど、知っておいてもらった方がいいと思い、話しました。
模様のこともあるし。
そしたら、そこのお家の奥さんが、早速ゆゆのために網戸を外してくれて、嬉しくて泣きそうになりました。
連休明けてすぐに市のカウンセリングがあり、そこでも病気のことをきちんと話しました。
このカウンセリング。
半年に一度受けていたんですが、私は行った事がありませんでした。
というのも、これが始まった頃はゆゆの発作が本当にひどくて入退院を繰り返していた時期だったんです。
育休明けて復帰したばかりで、通院だけでかなり休んでて…正直、こんなカウンセリングのためになんて休めない!
でも、子供のために仕事も休まないひどい母親なんだ、と、かなり精神的に追い詰められてた時期でもあり…見かねた旦那が連れて行ってくれていました。
今思うと、もっと早く私が行くべきだったと思います。
告知され、ゆゆの病気とちゃんと向き合えるようになったのが、実はここ2年くらいです。
ドラべじゃない。
ゆゆがそんな病気のはずがない、という気持ちが強過ぎて、実は告知されてすぐの遺伝子検査は断っていました。
当時は模様発作もなく、発熱時以外はほぼコントロールできてたので、熱性けんれんのひどいのなんだ、と思い込みたい気持ちがありました。
ドラべと分かっても具体的な治療法はなく、発達に関してもほぼ遅れると言われたことも、遺伝子検査から逃げた理由の一つです。
現状と治療法も変わらないなら、はっきりさせるのが怖かったんです。
時間を戻せるなら、あの時の自分を張り倒してやりたいです。
もっと早くから受け止めて、色んな情報収集をしていたら、ゆゆはもっと発作が抑制されて、発達も伸びてたかもしれない。
ゆゆと会話もできていたかもしれない。
本当に、馬鹿だったと思います。
でも、まだ間に合うかもしれない。
そう思い、カウンセリングに行きました。
市の職員も一緒だと知っていたので、前回の保育園での話し合いよりも進んだ話ができると考えました。
学校のこと。
学童のこと。
デイのこと。
OTやPTのこと。
調べて連絡しますと言ってもらいました。
少しは、前進したかな?
隠しても、ゆゆの病気は治らない。
だからちゃんとカミングアウトして、助けてもらえることは助けともらおうと思います。
母も、頑張ります!