こんばんは。
華都麗愛ですうさぎ

親知らずが生えてきて歯茎がめちゃくちゃ痛い。たまに血の味がする、、

歯医者は週末。
行ってすぐ劇的に改善とはならないだろうけど。

久しぶりの歯医者さん怖いし緊張します。

痛いの嫌すぎ泣き笑い

※無事に初診終わりましたニコニコ
痛みは少しずつ治っているのでしばらく様子見です
優しそうな先生で良かった!



里帰り中に夫と両親が一悶着ありまして、娘はわたしの親戚と縁を切れと言われています。

(このことについてはまた書きたい思ってます。)


里帰り延長の単身赴任期間を経ていまの家に引越してからわたし自身も実家にはペットの急変と葬儀に参加する2度しか帰っていないのが現状です。

もう1年以上経ちました。

ついこの間、実母からわたしと娘を祖母たちに会わせたいと連絡がありました。

母は自分が原因だと思っているので親戚まで悪く言われていることは知りません。

(ちなみに夫は両親以外会ったことがありません。)

なのでわたしも祖母は好きだし会いたいけどどうも難しいのです。

自分の家族、親戚の話題はタブーでどういうことか口論になってしまうから。


この状況を何とかしたいとずっと思っています。
でもどうしても夫のせい、夫が分かってくれない、変わってくれないと感じてしまうので、自分の気持ちとしっかり向き合いたいと常々。


夫の怒りの気持ちを受け止め切れないのはなぜなのか。

やはり妊娠中からの思いやりのない行動と発言に酷く傷付き絶望感に打ちひしがれていたからです。


あろうことか現在夫は、過去のことをいつまでも言うな、あのときはお互い余裕がなかったから仕方ない、と謝って済まそうとするのです。

こうしてわたしの行き場を失った感情たちがずーっと苦しくて仕方がありません。


時間が解決するものなのか、それはいつなのか。

つらい気持ちがずっと続くのは自分自身もしんどい。

しっかり自分で受け止めてあげよう。

全てはここからだと思います。


少しずつでも。


もともと子どもが大好きというわけでもなく、欲しいとも思っていなかったわたし。

この先子どもが欲しいと思うときがくるなら年齢、周りのサポート環境(両親の健康)がいいタイミングが良いのではと一つの結論が出ました。


するとすぐ妊娠が発覚しつわりに悩まされる日々が始まりました。


初めての妊娠だったので、とにかく不安で毎日子どもが生きているか怖くて仕方がありませんでした。

SNSで色んな人の妊娠記録を見て自分と比べてしまったり、つわりは産むまで無くならなかったという話や、心拍が見られず胎内で亡くなってしまった話を読んでとにかく怖くて怖くて。

自分の行動一つで命を危険に晒す影響があると思うと全てにおいて神経質にならざるを得ませんでした。

それにどんなにつわりが辛くてご飯も水分もとれなくて起き上がることもままならなくても母親として子どもを作った責任を果たさなければ、とつらいとも言うことが出来ませんでした。

毎日布団の中から天井を見つめてただただ時間が過ぎるのを待ちました。

少しでも寝て気持ち悪さから解放されたいと思っても、やはりなかなか寝ることも出来なくて、やっと寝れた思い目覚めたときには30分も経ってなくて、本当に時間が経つのが遅く感じました。

あとどれくらいの間こうして耐えなければいけないのか、終わりが見えない状況は絶望感しかありませんでした。

しかし前述の通り、つらい、怖いと言った気持ちを誰にも言うことが出来なかったのです。


加えて、自分の意思で決断したから責任感を持たねばと自分で自分を苦しめていました。


この頃夫は個人事業主から会社経営者として仕事をとるために毎日営業やミーティングをしていました。

それに相続で揉めていて弁護士とのやりとりも多く神経を使っていた時期でした。


わたしもこのことについては、今後の生活に影響することだから上手く進んで欲しいと思っていました。

なので毎日動けずに家事が出来ずにいることがとてもつらく感じました。

夫の元気が出るように好きなご飯を作ったり、家で快適に作業が出来るように掃除をしたり、自分のことだけに集中できる環境を用意出来ないことに罪悪感を抱いていました。


夫は夫で、帰宅後に夜ご飯を用意したり、妊婦検診での長い待ち時間に辟易したり、かなりストレスを抱えていました。

平日休みに産婦人科まで送迎して貰っていたので、窓口の開いているタイミングで役所や郵便局に行きたいというのもわかります。

病院はアクセスが悪く、車で行くのが最適で、つわりの酷いわたしは遠くのバス停まで歩くことも無理だと思い、いざとなったら自力で帰れと言われたこともありましたがそれに対しては只々酷いと思いました。

とある検診の日、藁にもすがる思いで点滴をしてもらっている中、スマホをベットから離れた位置に置いていたため連絡を返さなかったことがありました。

夫はどうしても仕事関係で郵便局に行きたかったらしく連絡くらい返せただろうと大激怒。

わたしを待っている間に窓口が閉まってしまったからです。

家に着いてから、明日郵便局に行ってこいと。

自分だけが大変だ、自分だけが時間がない、ご飯も用意しても食べてくれないしまるで介護だと。

そう言われました。

脱水で細くなった血管に、入りづらい点滴針を何人かに何ヶ所も刺され痛い思いをし、それでも元気になりたい一心で頑張ってきたのにこの台詞。

本当に悲しくなりました。

夫が毎日しんどそうにしてため息ばかり吐くから、支えになりたいと思っていたのに。

でも出来ないもどかしさと毎日向き合っていたのに。


この人は味方ではない。

絶望しかありませんでした。


翌日なんとか郵便局に行ったもののやはり本人ではないと手続きは難しいとのこと。

夫はああ、行ったんだ。このあと自分で行ってくる。

それだけ。


その後もつらいつらい言われてわたしも精神的に限界がきて実家で過ごすことにしました。


そういえば検診で一旦戻ってきたとき父に車で送ってもらって駐車場で一旦吐き気を堪えていたところ、夫が昼休憩で戻ってきたのですが、ろくな挨拶もなく急いでてーなどと言い面倒くさいから逃げたと後で言っていました。

義理の親の相手をするほどの精神的余裕が無いらしいです。

このエピソードは書いてて思い出しました。夫やば。何がやばいのか気づいていないのもやばい。

この後再び実家に戻り世話をしてもらい体調も落ち着いてきたのと、コロナが広まってきた実家県から離れるために家に戻りました。

もう妊娠7ヶ月半ば。身体は重いけど家事が出来るようになり、夫は一切家事をすることはなくなりました。

唯一のゴミ捨ても忘れたり。

ベビー用品も値段で揉めて。
予算も大事だけど自分の子どもにそんなにお金かけられないのかと。

他にもいろいろ。

妊娠してないから愛情も沸いてないのかと、男女でここまで差があるのかと思ったらまた悲しくなりました。

わたしは親になろうとしているのにこの人はそうじゃない。

育児も教えて貰う前提。
夜泣きは仕事があるから起きるつもりはない。

だそうです。


そうしている間にすぐ里帰りの日がやってきて。この話は書いた気がする。たぶん。


初めての出産をそれはそれは恐れていたわたしは夫からのエールを期待していたのですが、そんなことを考える余裕はないと言われて、そんなこととはどんなことだ!!とめちゃくちゃ大号泣した日。


この人はもうだめだと思ったn回目。


出産も無事に終わり2日後。

娘が無事に産まれたことはもちろんですが、やっと、やっと妊娠から解放されてつらかった吐き気ともおさらばして元の自分の身体を取り戻せたのが本当に嬉しくて、つらかった日々を思い出し涙が止まりませんでした。

とっても愛おしく尊い命を前に、一刻も早く妊娠から解放されたいと毎日願っていた妊娠中の自分が醜くて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


生後5ヶ月まで夫は育児を一切せず、実家の家族に支えられて頑張ってきました。

魔の何週目なんて言葉を何回やり過ごしてきたのかわかりません。

2時間おきに授乳していた時期もありました。

毎日毎日寝不足でつらかった。

そんなとき夫は上司の愚痴、仕事は順調だと永遠に自分の話を電話でしてくる。


正直こんな話聞くなら少しでも寝たかった。

毎日電話するのはわざとやめましたけど。

でもこれをいま伝えても全然わからないっぽい。


ここまでつらつらと書いてきてもはや何かのネタに思えてきました。


今まで心の中で思っていただけだったので改めて文字にして、誰かに向けて発信するってことが出来れば少しは心が軽くなる気がします。


たくさんつらい思いをしたよね、毎日頑張ってくれてありがとう。

些細なことで悩んで不安になって、そうして向き合ってきた娘は1歳9ヶ月。

大きな病気もなく元気いっぱいのママっ子です。

初めての育児はまだまだ続くけど少し余裕も出てきたいま、何もわからず答えのない育児の正解を求めて毎日必死だった自分をとても誇りに思います。

実家とは言えみんな現役で働いていてワンオペのようなものだったけどよく頑張った。


今なら分かる。気にしすぎ。大丈夫だよ。


凄い自分も成長させてもらったね。強くなったし弱くもなった。




ありがとう。
これからも頑張ろうね。


華都麗愛虹