沖縄博物館めぐり②壺屋焼物博物館 | 船橋市茶文化資料室

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フルネームは「那覇市立壺屋焼物博物館」。小さかったが見ごたえがあった。

住所:沖縄県那覇市壺屋1丁目9番32号 TEL.098-862-3761

アクセス:

モノレール最寄り駅:牧志駅から徒歩10分 

バスの最寄り駅:壺屋バス停から徒歩5分 開南バス停から徒歩5分

国際通りから徒歩:15程

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常設展では沖縄の焼物の歴史や特徴を知る良い機会だった。沖縄で土器が作られたのは、今からおよそ6600年前のこと。中世に入ると、徳之島で焼かれたカムィ焼呼ばれる灰黒色の焼物や中国産陶磁器が沖縄へ入ってくる。この時期には、土器と外国からもたらされた焼き物が両方使われたという。

(壺屋焼物博物館紹介板より)沖縄の中国産陶磁器の輸入は14世紀末から15世紀初めにピークに。この時期の沖縄本島は、北山、中山、南山という3ブロックに分かれ、それぞれが中国と正式に交流していたとか。

龍泉窯の青磁。元王朝との貿易によって沖縄に伝わった龍泉窯の青磁だろうか、「超凡脱俗」という宋代青磁の「飄逸之美」を見受けられない。日常用の青磁貿易かな。

可愛らしい水滴。「華南三彩」は初めてみた。可愛らしいというより個性的だ。15世紀になると、朝鮮、タイ、ベトナム、日本からの輸入が加わるという。この頃の沖縄遺跡からは本州の遺跡に比べて外国産の陶磁器が大量に出土したとか。

 

壺屋焼の始まり(江戸時代初期)
1616年薩摩より張献功(一六)ら3人の朝鮮人陶工を招き彼らから製陶の技術を学んだという。「「(万暦)四 十五年丁巳。以高麗人烏師。始造陶器。」 (伊波普猷、東思納寛惇、横山重 編『琉球資料叢書 第四』『 中山世譜』井上書房 1962年)。窯の場所は那覇の湧田村。現在の那覇市泉崎。これは”現在のやちむんの基礎を築きました”と(紹介板より)。

その後、琉球王朝の尚貞王(しょうていおう)が産業振興目的で、1682年各地に分散していた3つの窯場(現在の那覇市泉崎・首里・沖縄市に位置する)『湧田・宝口・知花』を那覇市の牧志の南に統合し、その土地を『壺屋』と呼び、そこで作られるやちむんのことを『壺屋焼』と呼んだ。これが壺屋焼の歴史の始まりである。

ヤチムンのチューカー。チューカーは沖縄の方言、土瓶のこと。

壺屋焼の焼成方法についても紹介があった。南部の土と北部の土の違いがあり、焼き方も違うとか。

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壺屋焼のヤカン。焦げがあり、直火に使っていたことがわかる。

壺屋焼の急須。

県立博物館で似たような中国産の急須がある。おそらく真似して作ったのではないかと推測する。よくみると中国産の方が土胎が薄い。熟練度や土の質も異なるので、薄く作るのは結構難しい。

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見学は30分ほど終了した。小さな博物館だったが、内容が充実していて大変勉強になった。壺屋焼物博物館の隣は「壺屋陶芸サンター」。ここで特に気に入ったものがなかった。

国際通り。ここから「壺屋焼物博物館」まで徒歩十分以上かかる。

那覇市立壺屋焼物博物館の公式サイト⇒⇒