佐賀茶文化の旅④【背振山・石上坊跡】のヤマチャとその生態環境 | 船橋市茶文化資料室

船橋市茶文化資料室

旧・Jun’s茶日記blog
日本茶インストラクター&リーダー
悠々茶館主催【茶書を読む月茶会】書籍
2020-2024/2中国唐代・陸羽『茶経』
2024/3~現代・『茶の民族誌ー製茶文化の源流』

杉林から漏れる柔らかい秋の日差しを感じながら、多良さんの後ろに付いて霊仙寺跡・西谷を歩く。“熟知這山的一草一木”という中国の諺があるように、松隈(元東背振村現吉野ヶ里町)を知り尽くしている多良さんが、まるで平地で歩くように足が速い

ここを歩くと「背振千坊」という当時の修行生活やヤマチャの生態環境を肌で感じる。写真13枚。

撮影場所:佐賀吉野ヶ里町松隈霊仙寺跡西谷

撮影時間:20201115

1

2

3  時々写真を撮ったりして、、、資料作成のためだろうか

4 この石段は昔のままであるとか

5

6 栄西茶栽培800年記念の時、大きなイベントがあり、その時に作られた立て札

7 

10 地元の俳句入賞者の句~

11 

12

13

14 OpenstreetMapへ感謝の意を表す

歩きながら多良さんから教えていただいた言葉

「背振千坊嶽万坊英彦山三千八百坊」(せふりせんぼう たけまんぼう ひこさんさんぜんはっぴゃくぼう)。

背振山の宗教的勢力が最も盛んだ平安後期~鎌倉初期は栄西や円仁が修行&布教の時代でもある。

 

近年茶の発祥地としての背振山調査は最も全面的にかつ各方面の専門家が揃って行ったのは前世紀60年代。1966-67年2回渡って松下先生が率いる【茶の起源研究会】チームのフィルドスタディである。66年の調査は、“その内容報告には地元の人から聞き間違いや誤りがあって"翌年、橋本実氏や九州大考古学の専門家等と共に再度現地調査をし、その報告書は【ヤマチャの研究】第5章におさめてられている。

報告内容として①「背振千坊跡の植物とチャ」(神谷平)、②「考古学からみた背振山」(岡崎敬)、③「近世背振山の製茶について」(森靖雄)がある。

また栄西が実際背振山に行ったかの手掛かりとして④「東背振村文化財調査報告書第4集・霊仙寺跡」(1980年)や⑤「修学院文書」⑥「真福寺文庫」の栄西自筆書状の発見などがある。

 

ちなみに「石上坊跡」は栄西が修行した場所とお茶を蒔いた場所と推測され、その坊跡の生態環境の今は上の写真である。