貴州の旅③「世界抹茶之都」という名のもとに、、、、江口県碾茶園風景 | 船橋茶文化資料室

船橋茶文化資料室

旧・Jun’s茶日記blog
日本茶インストラクター&リーダー
悠々茶館主催【茶書を読む月茶会】書籍
2020-2024/2中国唐代・陸羽『茶経』
2024/3~現在・『茶の民族誌ー製茶文化の源流』

貴州Day3-20190403 銅仁市江口県にて

 

命がけの旅だったと言ったらちょっと大袈裟だが、碾茶園への山道はかなり急ですごく怖かった。

良い道路の時

あまりよくない道路

茶園で働いている人に会い、ここの茶園は碾茶園ですかと聞いたら“ハイ、これからかぶせる”との返事。

温暖差の激しい気候。その日山霧が発生していた

さらに上に登ると被せている茶樹を発見。上から下へ徐々に掛けていく予定である。その日は4月3日。

 

殆ど段々畑のような碾茶園。ところどころシェードツリーが植えられている。どんな木だろうか、

覆う素材は寒冷紗。

茶摘みの時中に入って摘むか、機材を外して露天下で摘むか未確認。

碾茶園の社長が新築茶園を案内してくれたが、霧がすごくて

もう少ししたら寒冷紗をかけると

碾茶園見学の後碾茶工場も案内してくれた。自粛で(あまり写真を撮ってほしくないかなと思い)工場内の写真を撮らないことにした。碾茶製造ラインは全部中国製の製茶機械。その日稼働していない。碾茶の製造は4月後半から5月にはいらないと始まらないから。では昨年の「碾茶」がありますか、と聞くと「ない」ですとの返事だった。ここでわかったのは江口県の大半の碾茶園は碾茶を作って「貴茶公司」に売って終わり。「貴茶公司」がその碾茶を使って「抹茶」を生産する。なので碾茶園の人達は自分の碾茶はどんな抹茶になるか、あまり知らないし、そんなに興味も持っていない。

 

碾茶はあくまで、抹茶を作る工程の途中で作られている「半製品」である。そのことについてもちろん碾茶農家達は理論上はわかる。今のところは自分たちの仕事はその半製品の製造なのでそこだけ集中して頑張っている。

江口県の碾茶で作られた抹茶を飲みたいと私が言ったら自分の碾茶工場にはないが、鎮政府のオフィスに行けば飲めるとのことで飲みに行くことにしました。たまたま私が碾茶工場を訪ねた時鎮政府の幹部達もいたので都合よく私を鎮政府に連れてってくれた。

見学した碾茶園は江口県怒溪鎮の管轄下。写真は怒溪鎮の役場

私が持参した日本抹茶を点て、鎮政府の女子は「貴茶公司」の抹茶(緑缶)を点てた。

飲み方は抹茶碗で点てて小さい湯呑に分けて飲む。点て方はとても上手だった。

「貴茶公司」の抹茶。色は綺麗だが渋味はかなり顕著。

 

***********************************************************:

感想

  • 一昔抹茶のことを知っているが、「碾茶」のことについてほとんど知らない製茶メーカーが多かった。今はそちらの碾茶は覆い下栽培ですかと聞くと“もちろん、かぶせなかったら碾茶とは言いません”と自信たっぷりのご返事。「碾茶知識」の普及を感じさせる。
  • 浙江省のような碾茶から抹茶まで製造するメーカーは貴州にはまだ少ない。設備投資が大きいからだろう。江口県の碾茶園はそもそも貧困村地域にある場合が多いので資金がないのは特徴である。漸く外省から「貴茶公司」のような大出資企業が江口県にきてくれて、抹茶工場を建設し、それまで茶を作っても売れない茶農家達に碾茶園技術を教え、貧困から村を救ったような存在になった。その反面、この独占的な存在は私はやや危険性を感じる。
  • 現在貴州銅仁市はめざせ「世界抹茶之都」というスローガンを掲げ、抹茶の生産に力を入れている。その目標生産量、碾茶園面積と碾茶ラインの数などなど数字をみるとこれが銅仁市が思う「世界の抹茶」なのだと思った。

 

抹茶とは何か、、、、、いろいろ考えさせる貴州碾茶園の旅だった。

 

2019年春嶺南茶の旅レポートはここで終わりである。

************************************************************:

2019年春嶺南茶の旅

その1 広東省広州の旅 

その2 広東省韶関の旅 

その3 広西省の旅

その3 貴州の旅