広西の旅⑨恭城山村のヤオ族ファミリーを訪ねて | 船橋市茶文化資料室

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広西Day5-21090331午後 恭城県山村のヤオ族ファミリーを訪ねて

恭城観光の後、近くの山村にあるヤオ族ファミリーを訪ねることにした。かねてから願っていたことをやっと実現することができて言葉にできない程の喜びだった。莫先生がお茶の栽培と製造もしている恭城県西嶺郷新合村小源瑶に住むヤオ族――鄧家を案内して下さった。打油茶の習慣がある恭城県の周辺は、茶の自家栽培と製造をしているヤオ族が結構いらっしゃるそうだ。その一軒-鄧家を訪ねることにした。

山村の名前は「新合村」(恭城県西嶺鎮=西岭乡の管轄下)恭城県の地図↓

県内からタクシーをチャーターした。代々瑶民である鄧家は恭城県の街からかなり離れた山奥に住んでいる。事前に莫先生が連絡をしてくれ、通訳もしてくれたおかげで貴重な夜を過ごすことができた。

山に囲まれた長閑な三階立て村役所

夕方なので誰もいない。

「扶貧」(貧困扶助)という言葉を目にする。この村は「貧困村」であるということを知った。

莫先生と鄧ママの後ろ姿。先にある部屋は豚小屋

農家の仕事、料理、刺繍、子育て、何でもこなす鄧家の奥様、私はどのように声をかけてよいか、わからないので勝手に鄧ママと呼んだ。

家周りの茶樹。鶏、豚、牛、馬、鴨を買っている。夕食は鶏をしめて料理すると、、、、

↓30~40年前に植えた茶木。ほったらかしして飲む茶葉がなくなったら作るという。

↓県がヤオ族の茶栽培を奨励しているのでこれは無料で貰った苗

↓近年植えた茶木。慣れた手付きで茶を摘み, 油茶用の茶葉は毎年3月にこの茶山で摘むという

 

柿の栽培もしていて生活は随分豊かになったとか。家も建て替えをし、長男、次男、四男の家も近くにある。

夕食は家族で鍋もの。これは典型的なヤオ族の食事スタイルらしい。いろいろな食材を用意して日本の石狩鍋みたいにすこしずつ鍋の中にいれて煮る。

鄧ママの手作りの帽子を被って夕食を頂くてへぺろ

お酒を勧められる。これは大変なことだ。実は前日莫先生のお宅で夕食を頂き、白酒を勧められ、飲み過ぎてしまった。そこで一つの勉強になった。飲めない時は正直に“もうダメ、もう飲めない”と正直にいう。やお族のお酒は皆自分達が作ったものでそれほど度数が高いくない。が、それは落とし穴。美味しいし、度数も高くない、これが飲めると思っていつの間にか酔ってしまうという危険さ。

鄧家の皆さんは皆お酒に強い、、、、歌もうまい。お酒がだめなら歌を歌って、、、え、、、日本語の歌?知っている歌がないよ。何でもいい、、歌って日本語を聞きたいから、、、じゃ、四季の歌を歌うね。 “春を愛する人は 心清き人。すみれの花のような ぼくの友だち  、、”

もうお酒を飲む方がよかったかな、、、

仲良く歌うお二人。遠く遠く響き渡る声だった。歌詞は殆どわからないが、

鄧ママが作った帽子を被り、鄧パパが作ったお酒を飲み、へたくそな歌を歌い、、今夜は羽目を外しても良いかも

結局その日どんな話をしたかあまり覚えていない。。。

でも皆の歌声と溢れる笑顔、今でも昨日のことのように思い出す。

因みに夕食は鶏肉ではなく鴨肉だった。

鶏を攫もうとしたら逃げられて仕方がなく鴨をしめた。

鶏が生き延びたよと莫先生が(笑)

鄧家の油茶と竈

来年新茶の時また行くと約束をし、お別れのハグをして帰路についた。